まんがなど
(18.03.02更新)
魔女集会まんが『百年の眠り』追加。



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(18.05.05更新)
神ギフ総集編を追加。
電書化、始めました。
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過去日記一覧(随時リカバリ中)

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Author:舞村そうじ/RIMLAND
 創作同人サークル「RIMLAND」の
 活動報告を兼ねつつ、物語とは何か・
 どんなメカニズムが物語を駆動し心を
 うごかすのか、日々考察する予定。

【最近の動向】
8月東京ティアで新刊。

WebまんがSide-B遅々として更新中。

note絵更新。(16.05.26)

旧サイトは2014年8月で終了しました(お運びいただき感謝)。再編集して、こちらの新サイトに少しずつ繰り入れますが、正直、時間はかかると思います。

[外部リンク]
comitia
(東京名古屋新潟関西みちのく)
あかつき印刷
POPLS

sumabo(クリック募金)
日本赤十字社
JEN
ALL OUT

if you have a vote, use it.(save kids)


日記更新。大阪・京都で「オトナ修学旅行」してきました。後編もアップ。こちらから(18.05.31)


お知らせ8/19開催のコミティア125」にRIMLAND名義でサークル参加します。売り場F29b
新刊、用意できました。何か致命的なミスをしてない限り『フューチャーデイズ 5(7)』が並ぶ予定です。
長かった(前回からの間が)。つらかった。あとがきにも少し書いたのですがなかなか続きが出ないのは、もしかして最近の展開が重く、しんどいので、つらくて描きにくいのでは?と問われたこともあって、いや、そんなことはなくて。言うなれば、自分でコントロールできる重さ・しんどさは別につらくないのです(鬼のような発言)。何よりつらかったのは、続きを出せないこと自体でした
そんなわけで、意外なキャラの再登場もある←表紙を見たら一発で分かる5の(7)。たいへん長らくお待たせしました。待ってなかったかたは、ま、ゆるりとおいでになると好いですよ。熱射か、さもなくば豪雨みたいな天候しか期待できない今日このごろですので、皆様いのちだいじに。お会いできるかたは、ビッグサイトでお会いしましょう。

(2018.8.19)
第四回「創作同人電子書籍いっせい配信」で『総集編 神様のギフト』、紙版にスピンオフ三作を加えた『FOR SALE+』そして『収容所の小さな貴婦人』配信開始しました。
RIMの販売ページはこちら

貴婦人』については売り上げ一冊につき(著者の利益分)50円を、平成30年梅雨前線等による大雨災害の被災者支援に寄付します日本赤十字社の義援金が年末〆なので、そこで取りまとめ→寄付と考えてます。義援金は「大怪我だ!手術を!」というより「これで身体を養って」という性質のものなので、ゆっくり・忘れずにで行くつもり。(18.07.22)
2月コミティア新刊『世界で一番長い名前の』と、11月の前刊『行ってみようか台北に。』と合わせ、可及的すみやかに通販の御案内もする予定…と御挨拶してから三週間…すみません、まんが描いてました。
コミティアで目を回してる間にネットを席巻していたハッシュタグ「#魔女集会で会いましょう」遅ればせに概要を把握した(間違ってるかも知れません)とたんに24ページくらいの「今を逃したら描けない気がする」作品が降りてきて…描いてみたら24どころか52ページでした(バカなの?)
『百年の眠り』←ここか↓画像クリックで開きます

復讐心に苛まれる魔女ラナと、彼女が拾い育て上げた若者カイ・復讐のターゲットとなる姫君リナ、そして王や魔女たちの、すれ違い、届かない愛の物語。一気呵成に描き上げた(ラフですみません)生まれたての新作です。お楽しみください。

オトナ修学旅行[2/2]大阪〜京都編(2018.05.31)

 3.鬼と水晶宮

 関西で同人活動してる人には馴染みの建物らしいインテックス大阪。空が思いがけなく綺麗に撮れたので画像ふたつ並べましたが、ロンドンで1851年に開かれた第一回万国博覧会の「水晶宮」を彷彿とさせるデザインですね。前日は大阪万博・この日はロンドン万博。

 関西コミティアで入手した薄い本、一冊だけ。治島カロ(奇人別動隊)さんの『魔女と鬼のはなし』は、大流行した(自分も乗った)ハッシュタグ「#魔女集会で会いましょう」準拠作品。
 完全にオリジナルの設定や世界観で勝負する一次創作と、与えられた元ネタの解釈で勝負する二次創作の中間くらい・決められたシチュエーションでの競作は、おのずと作者の腕くらべ・あるいは個性の表出になって面白い。『魔女と鬼…』の場合は、平安時代を思わせる和風ファンタジーに仕立てた手技もあるけれど、それ以上に魔女と鬼の、互いに不器用なようでいて心の芯で通じ合ってるパートナーぶりに、作者の人となり・というか「こうあってほしい」という理想・志向が見えて、心温まる作品でした。
 こちらで閲覧できます→Twitterモーメント「魔女と鬼のはなし」まとめ

 4.神獣カーニバル

 大阪のドヤ街のように極端に宿代が安い場合、日曜に新幹線や、割高な週末料金のバスで関東に帰るより、もう一泊して月曜に帰ったほうが安上がりというのはその余計な1日分の散財を考えると決して合理的ではないのですが、
 浮いた月曜でそうだ、京都行こうということになりました。高速バスの京都での乗り場になる駅のコインロッカーに重荷を預けて、まず出向いたのは北野天満宮

 学問に御利益があるらしい牛の像にお賽銭を上げて、大学生・高校受験生の甥っ子ズのために(そのほか身内や自分のためにも。学問は一生つづくのだ)像を撫で撫で。しかし境内、牛の像がいくつもある。最初に目につく小さく古びた像に賽銭をあげると損した気になるかも知れないし、全体と比べると見劣りしそうな小さな像に賽銭したほうが「見上げた心映え」的な御利益があるかも知れないし、あー、よく分かりません。
 カメラには収めなかったけれどメインの社殿、青龍・朱雀・白虎・玄武と象・獅子・麒麟の木彫りが軒下に突き出て、ちょっとした神獣カーニバルでした。

 天満宮近辺の名物は極太の一本うどんと、餅の部分が黄色い粟餅。一本うどんは、なぜか二本に切れていたような気がするが深く考えてはいけない

 大阪から阪急線で京都の西院まで一本、そこからバスで北野天満宮。同じバス路線で前まで行けるということで銀閣寺へ。約15年ぶり。好きなんですよね、銀閣寺。

 どこかSF的な向月台と銀沙羅・観音殿もいいけれど、何よりチルアウト効果があるのが、夢窓国師リスペクトで作られた苔庭。

 15年前に訪れた時には「いい苔・ちょっと邪魔な苔・とても邪魔な苔」のサンプルがあって可笑しかったのだけど、さすがにもう無くなってました。


 せっかく銀閣まで来たら大豊神社まで足を伸ばそうと、哲学の道を(本を読みながら)てくてく20分。狛犬ならぬ狛ねずみ(ちゃんと狛犬もいます)が売り?の神社だけど、ドングリ?と巻物を抱えたネズミだけでなく、サル・鳥・お稲荷さんのキツネさまに、黒々としたヘビまでおわす。

 参道の灯籠には、人々が寄進?したらしい馬やら牛やらネズミやらの小さな人形がポツポツ置かれてるのだけど、中にはミドリの恐竜までいて、もはや何が何やら。

 聖フランチェスコか!と思うくらい、あらゆる獣に神が宿る。このユルさは逆に尊いかも知れません。

 5.聖地巡礼そして政治

 話は遡りますが万博公園・国立民族学博物館(民博)の向かいには薔薇園があって。小説『マリア様がみてる』で学園の憧れ・生徒会長の異名になってるロサ・キネンシス(紅薔薇)を拝んできました。残念ながら盛りを過ぎて、少し萎れぎみ。作中の気品高いお姉様から、幾重にも花弁を巻いた花を想像しがちだけど、単弁のシンプルな花でした。

 大阪では『ラーメン大好き小泉さん』に登場した「おいしいラーメン」(本当にそういう名前)も食べてきました。実は東京や神奈川にも支店のある、かなり庶民的・ファミリー向けっぽいチェーン店。野菜の甘味が出た、やさしい味でした。
 京都では、銀閣寺→京都大学→の延長線上に、アニメ『たまこまーけっと』のモデルになった商店街もあり、せっかくだからと聖地巡礼。作中には出てこなかったけれど、軽く歩いただけでも二軒も古本屋がある文化的なアーケードでした。前から気になってて、少しずつ知りたいと思っていた思想の科学の関連書と、それから聖地巡礼的には「お餅」だろうということで散財。

 京都大学では、ちょうど名物?だった立て看板の撤去が行なわれたばかりで、立て看板の代わりになぜか色とりどりの洗濯物が。看板撤去でキャンパス周りをキレイにした積もりの当局への皮肉かも知れず、それは深読みかも知れず。個人的には詰まらんことしたな(←撤去が)と思っています。

 銀閣から京大→三条→四条河原町と歩く。河原町でも古本を一冊。前から宿題だった(学生時代に読んだつもりで読んでなかった)エーリッヒ・フロムの古典『自由からの逃走』。オシャレなショップが並ぶ河原町、ちらほら古本屋があるというのも今回の発見で、街の底力を見た気がしました。いい街だ京都。

 四条河原町から四条烏丸へ。高度プロフェッショナル制度(別名・サービス残業合法化)に反対するスタンディング+リーフレット配布に参加。京都で過ごす6時間を自分のために使い、1時間くらいは社会のために使うのも悪くないだろうと(まあコレも自分の精神衛生のためではあるけれど)。
 コンビニの小規模オーナーやファーストフード店の名ばかり店長・建築現場で個人事業主あつかいされ被雇用者としての権利が保証されない、などといった事例を拡大するような悪法であると考えます。残念ながら今日(5/31)衆院を通過してしまいましたが、この国はどうなってしまうのでしょう。

 社会参加が終わったあとの京都・錦小路はおおむね店も閉まってシャッターが降りていたけど、10軒に1軒くらいシャッターが伊藤若冲の日本画をあしらったデザインになっていて、こういうギャラリーも悪くないと思いました。アーケードの天井から下がった垂れ幕も若冲で、こんなところで(北野天満宮で会って以来の)象とも再会。

 河原町ではパフェだけで何百種あるという喫茶店にも遭遇。画像はとんかつパフェ・アメリカンドッグパフェ・エビフライパフェと飛び道具な並びですが、見本の上段にあった黒ごま杏仁パフェとか、ふつうに美味しそうだった。満腹のため見送りましたが、また京都を訪なう機会があれば…と言いたいところだけど、中年おじさんの一人パフェか…とハードルの高さに頭を抱えつつ、はい、また機会があれば京都に。そしてまた大阪に。

オトナ修学旅行[1/2]大阪編(2018.05.30)

 1.異形と親しみ

 一次創作系の即売会「関西コミティア」にサークル参加は(完全に自身の手続き不備により)しそびれたのですが、せっかく大阪に行くのだからと予約していた太陽の塔の内部公開を観に、関西に行ってきました。

 1970年の大阪万博で建てられた岡本太郎デザインの「太陽の塔」。グラスの底に顔があったってイイじゃないか(古い)も岡本太郎でしたが、太陽の塔も背後に第三の黒い顔があります。表に上下二つ・裏に一つ。

 これに加えて塔の内部・地下に「第四の顔」=地底の太陽があるというのが、今回の内部公開の目玉のひとつ。そして塔の芯にあたる部分には、アメーバや原生動物に始まり両生類・爬虫類・哺乳動物から人類へと進化の過程を再現した「生命の樹」。SFか!というオチもあり、これはいづれ場所をあらためてネタバレのレポートを描きたいと思いますが…
 万博当時も内部公開されていたものが、50年近い時を経て再公開ということで、行ける人は行ったほうがいいです。岡本太郎という人物には全面肯定できない部分もあるかも知れませんが、アートの力・アートの力が信じられていた時代のアートの力を感じました。逆に言えば、アートの力なんてハナから信じてない人たちが今また大阪に誘致しようとしている、新しい万博に何事が出来るものかと、不信の気持ちを新たにしたり。

 久しぶりに訪ねた民博=国立民族学博物館も、相変わらず好かったです。

 前に訪ねたときは、世界各地の文化の多様性を見て、自分を含め今「ファンタジー」「異世界」と称して創作をしてる者の想像力の範囲がいかに狭まっているか実感して危機感を覚えた。その時は異様で、想像の外にあると思えた、たとえば仮面や人形などの異形が、今回は「あー人間も生きてりゃ(気持ち的に)こういう感じになること有るよね」と逆に共振できた気がするのが面白かったです。歳を重ねることで、色々と感受性に広がるものがあったかと思えば嬉しい反面、未知を未知として遇する素直さが薄れたのかもという懸念もあり。

 最初に見たときは「理解の外…」としか思えなかった、ギターの胴くらいある大きなアフリカの仮面も今回は「あれ…こんな処からヘビとか垂らしてたんだ、キミ!」と思ったり。

 これを目にした時のなんとも言えない思いを、なかなか理解してもらえないのだけど、民博には文化人類学や構造主義にとっては「沢田研二が投げた帽子の実物」に匹敵するような(よく分からんし古い)アイテム「南太平洋のクラ交換で取引される宝物」があります。これが今ココにあっていいのか、ということを含め感慨にとらわれる品です。
 アイヌ神謡集に出てくる、神に捧げる「イナウ」も民博では、これでもかというくらい展示されている。木を削って作るコレが、簡略化・抽象化されると「幣もとりあえず手向山」の、紙でできた幣(ぬさ)になるのだろうなと見当がつく。

 今回あらたに知った収蔵物で可笑しかったのが、ウガンダの酒壺。ヒエなどの穀物を発酵させ、滲み出るアルコールを含んだジュースを(粒は通さず汁だけ吸える)ストローで吸うものだけれど、皆で車座になって一斉に吸える=呑める仕組みになっている。こういう宴会は楽しいだろうと想像する反面、今の日本では地獄のような飲み会になりそうな気もする。
 そして印象的だったのが、アフリカで現在つくられてる子供のお守り用の首飾り。貝が貴重品である内陸部では、逆に大量の貝を用いることで呪力や権威を表す装飾品が作られたけれど、この(画像右端)首飾りの材料は注射針のカバー。単に綺麗だからというのでなく、乳幼児の健康を守る、予防接種などにまつわる品だからこそ、信仰に近いかたちで珍重されているのかも知れない。そう考えると、遠く海を隔てた土地での、人の営みに、また共振できる気がしたのでした。

 2.西成はおいしい

 天王寺公園の案内用ピクトグラム、いつからネコミミになってたん?

 ここ十年来、大阪で泊まるときは市の南部・西成区のいわゆるドヤ街と呼ばれる地域で安価な簡易宿泊所を利用しています。治安や清潔感のことが言われるけれど、少なくとも中年男性の自分には分相応でもあり、隔絶感もあまりなく歩けるところ。
 今回は積極的に、その界隈で食事をして回りました。商店街の隙間のような処で看板もあるかないか分からない、土日だけ営業するおでん屋(おいしかった)。駅のガード下の、うどんを「小」で注文しないと、山盛りで出てくるようなホルモン屋(おいしかった)。

 「ナショナルの電気風呂」みたいな古風な看板を残した銭湯がある、そんな界隈の、お店の人の人柄が伝わるような洋食屋(期間限定のローストビーフ丼、すごくおいしかった)。昆布だしと味噌で具が崩れるまで煮込んだ「どてカレー」(勿論おいしかった)は、ドヤ街の角に一軒、カフェみたいな外装内装のお店。若い店主さんによれば、このあたりで同じようにカフェ的な店を出したい追随者は少なくないのだと言う。
 …それは(※あたかも自分が取材したかのようですが、隣席のお客さんに話してるのを横で聞いてただけです)近年急増した、安い宿を利用する海外からのバックパッカーがいるから。
 自分が泊まった簡易宿泊所も、部屋は畳二畳分くらい・バスもトイレも共同だけど(ただし近所の銭湯の無料券が貰えて、良い宿でした)トイレはウォシュレット完備・部屋もWi-Fi完備。1階のロビーに貼られた世界地図には、アジアはもちろんアフリカや南米(画像ではカットしたけど)グリーンランドまで、宿泊者のホームを示すシールが。
 最近ではユーチューバーのレポートなどでもB級グルメの穴場として有名になりつつあるらしい、この地域。観光客(自分もその一人だが)が集まり、変容するのが良いことばかりとは限らない。これからも大阪に通うとしたら、思いがけない変化を目の当たりにすることになるのかも、と思いました。
(次回・大阪〜京都編に続きます)

晩年の思想〜宮崎市定『論語の新しい読み方』今村仁司『現代思想の系譜学』(2018.03.21)

【シリーズ・古典を読む】←もう最近30年40年前の本を読むほうがデフォルトな読書生活をしてるので、この表題いらない気もするが。

  
 子曰く、吾十有五にして学に志す(中略)六十にして耳順(したが)う。七十にして己の欲するところに従えど矩(のり)を踰(こ)えず。人の批判や異論も素直に聞けるようになり、思うまま振舞っても規範を踏み外すことがない、孔子の晩年は心も穏やかに徳を究めた理想の境地であった…という解釈に、中国史の泰斗・宮崎市定氏は異議を唱える。
 別のところで、老いた孔子は嘆いている。甚だしいかなわが衰えたるや。久しいかな、われまた夢に周公を見ずなんと衰えてしまったことだろう、理想の君主と仰いだ周公が夢に出なくなって久しい…かような絶望を漏らす彼の晩年が、満足の境地であったはずがない。耳順う、矩を踰えずとは、悪口を言われ世の乱れを聞いても腹が立たなく「なってしまった」、好き放題してるつもりでも世間のルールの枠外に「出られなくなった」、そう捉えるべきではないかと言うのだ。

 次は何を読もうかと積ん読の文庫を手に取り、ぱっと開いて、まずこの一節が目に入れば「これはすごく良さげな本だ」と期待するでしょう。『論語の新しい読み方』(礪波護 編・岩波現代文庫)、期待にたがわぬ一冊でした。
 まあ碩学である。語り口でも定評がある。題名のとおり論語にまつわる文章を納めた本書では、当時の漢文のたとえば対句などのルールから、現在に伝わっている論語の文章の欠落や書換を推測し、当初の原文はこうであったはずと再現する。そして後世に儒教として宗教化・国教化・正典化(聖典化)してしまったため「マルクス当人とマルクス主義がかけ離れるように」かけ離れてしまった、孔子本人の思想や感慨に迫る。非常に楽しく読了したのだが…

 最初に心惹かれた箇所に戻ろう。孔子の晩年は苦い失望だったという。だが十五で学問に志し、三十で自立し、四十で迷いもなくなった、前半生は満足すべきものだったはずだ。どこで蹉跌が生じたのか。
 宮崎が注目するのは五十にして天命を知るだ。
 なるほど天命を「天に指示された己の使命」と取ると、立志し自立し不惑となった後でそれを知るのは少しおかしい。宮崎は、有為な人物が志を果たせず不遇に終わった時の「残念だがそれが天命だった」のような意味での、自身の努力ではいかんともしがたい限界として「天命」を捉える。四十で迷いもなくなった孔子だが、その確信をもってなお、果たせぬ願いがあることを五十で悟ったというのだ。少なくとも自分の代では、周公の理想を現世に甦らせることはできない。やがて体力も気力も衰え、周公の夢をみることも絶えて久しくなる…
 1969年の文章である。1901年生まれの宮崎先生は68歳。その後95年に亡くなるまでさらに四半世紀を生きる。

  
 「泰斗」「碩学」などと言いつつ、実際に宮崎氏の著書をひもとくようになったのは没後しばらくしてからなのですが、
 今村仁司氏の著作は、そこそこリアルタイムで触れていたと思う。いわゆる西欧の現代思想を初学者むけに紹介するのに功のあったかただ。また自身が『暴力のオントロギー』などで提唱した「第三項排除」という考えかたには、早合点の誤解も含め、大きな示唆を受けたと思う。
 原著の刊行から30年を経て『現代思想の系譜学』(ちくま学芸文庫)を読むと、ともすれば思想がゲームやファッションのように消費されがちだった80年代(ひょっとしたら入門書を書くことで、結果的にそれに棹さしながら)ずっと誠実に、現代社会の問題や限界を考えてらしたのだなと思う。
 当時急逝したばかりのフーコーを本当に高く評価してたんだなとか、そのフーコーを筆頭に知の最先端とされていたフランス現代思想が一世代前のドイツの哲学者たちの(ナチズムと対峙しての)苦闘に下支えされてたとか、今だから(自分が)得心することも多い。ドゥルーズについて解説するはずの章が延々マルクスの話で「あれ?自分は今なにを読んでいるの?」と可笑しくなったり。若い頃に読んだ著作でフランス思想のはずが延々『大菩薩峠』の話をされて狐につままれたのを思い出す。あの手この手で、ともすれば難解で上滑りしがちな思想を(系譜づけたり、置き換えたりして)体感させようと工夫をこらしていたのだ。

 そんな『現代思想の系譜学』で、今村が「思想の晩年様式」という考察に一章を割いているのに出会った。宮崎市定の孔子を読んだ直後のことである。
 青年期の思想は、と今村は言う。未熟で荒削りだが、のちに開花する観念や思想の萌芽がすでに播種されており←こう抜粋してみると「播種・萌芽・開花」と植物の喩えで統一してるのが、単に思想というだけでなく文章表現に通暁したひとだったと思わされますね、という話はさておき…出発時のアイディアが壮年期に結実(真似てみた)するまでの軌跡を追ううえでも興味ぶかい。またアイディアが生まれたとき特有の、瑞々しい喜びも感得できる。
 思想が完成する成熟期の重要さは言うまでもない。だが、それら青年期・成熟期に対し晩年はどうか。
 坂部恵、アドルノなどを援用しながら今村は、閑却されがちな晩年の思想に積極的な意味を見出そうとする。興味深いのはカントやマルクス、あるいはベートーヴェンのような作曲家まで取り上げながら、今村が「晩年の様式の特性は、主体の力の最後の瞬間的な爆発と、主観性の対極にある紋切型との異質混合状態にある」と述べていることだ。
 それまでは使わなかったような常套表現を、ついに追いつかれたかのように多用するベートーヴェン。ノスタルジーに浸るように、自身の過去の著作(資本論など)を引用しパッチワークするマルクス。
 すでに着想や思いのたけを遺漏なく形よく統御し体系化する力は残っていない。そのことを自覚しつつ試みられる最後の跳躍は、殻を破るように野放図で、だが一方で慣用や常套句が多用され単調に陥る。今村はその両極端が調和せず、引き裂かれてあることに思想の晩年をみるのだが、「爆発と紋切型」は宮崎が言う、失意としての欲するところに従えど矩を踰えずに通じるところがないだろうか。さらに新たな光を当てるものではないだろうか。

  
 などと大雑把に「さわり」を抜き出したところで、さてこの「晩年論」を書いたときの今村氏は幾歳だったろうと確認して魂消た。初出は1986年。42年生まれの今村仁司は、まだ44歳だったことになる。
 あちゃー。齢68歳で孔子七十歳を語った宮崎先生と比べ、なんと気の早いことか。狼狽するとともに「あ、うん、この年代はそろそろ『晩年』を早取りで自覚しがちかも」と思ったのである。

 中年クライシスなる、便利な言葉がある。これもキチンとした研究書(河合隼雄先生が何かしら書いておられたはずだ)に当たらず、世間一般で流通してる意味をそのまま使い廻して言うのだが、それまで順風満帆・創造力や表現力を開花させてきたアーティストが不意に失速・迷走に陥る。突然、それまでの楽曲を演奏しないことを宣言し、バンドを組んだ(二枚のアルバムを発表して解散した)デヴィッド・ボウイ。レコード会社との確執から自身の名前を封印し「元プリンス」になったプリンス。ハリウッドのトップスターが離婚し、新興宗教のスポークスマンとして奇行を重ねた時期を「後から思えばアレも中年クライシスだったのだろう」と指摘され、納得したこともある。日本を代表するファッションモデルがパリコレを去り、前衛舞踏との共演に活路を求めたのも、ひとつのそれかと回顧フィルムを観て思ったことも。
 もちろん、その時期の活動に実がないというわけではない。けれど多くの表現者が(そして生活者が)陥る中年期の躓きは「もう若くない」「今までは出来たことが、思うように行かない」ことへの驚愕・抗いの産物なのだろう。十五で志し、三十で自らのスタイルを確立した者が、四十にして惑うのだ。孔子の言う「四十にして惑わず」は、ひょっとしたら「ふつうの人は四十で惑うけど、私は惑わなかった」もしくは「四十を前に惑ったが、なんとか克服した」という意味に取れるのかも知れない。

 今村氏の晩年論に(30年後)接して思ったのは、中年クライシスにも前期と後期があるのかも知れないということだ。これまでの、若かった時期に目を向け「おかしい、上手く行かない」「もう若くないのか」と苦しみ惑う前期。それに対し中年の後期は、これから来る晩年を先取りし「もう晩年」「残された時間は少ない」と悲しい悟り・もしくは錯覚に直面する。いや、「思想の晩年」を書いた時の今村氏が、そうした危機に直面していたとは言わないが。
 もう若くない、どうしようと惑って、その惑いに四十で折り合いをつけた者が、今度は死から生涯を数えたほうが早いことを悟り、晩年をのぞきこむ。「五十にして天命を知る」とは、案外そういう意味に取れるのかも知れない。
 まあ誤読の可能性が高いですが。宮崎先生には怒られそうだ。

   
 第三項排除とは、AとBの関係が第三項Cを排除することで初めて成り立つ(物品AとBを交換するため排除される貨幣Cが召喚される)現象を言う。AさんとBさんが結ばれるため当て馬Cが召喚され捨てられるのは物語でよくあることで、その視点を得ることは自身の創作に大きな影響を与えたと思う。『暴力のオントロギー』が、(スケープゴートなどの)排除が人の社会の原初にあると言うのは、歴史的に太古のことではなく、吾々が社会的に活動し関係を取り結ぶその都度、その起点・根底に排除・暴力があることを告げている。根底の暴力をあばき直視することなしに、平和を構築することは出来ないと著者は述べている。

人生はゴミじゃない〜ルー・リード『スウィート・ジェーン』(2018.03.02)

 今日、3月2日は英語圏ではEmployee Apriciation Day(従業員に感謝の日)なのだそうだ。もちろん「毎日が従業員感謝の日であるべき」とか「俺は個人営業だから自分に感謝だな」なんてツッコミや茶化しもあるけれど、多くの企業や公共団体がツイッターのアカウントで「ありがとう従業員」「うちの素晴らしい従業員」とアピールしている。
 悪いことではないと思う。キレイごとかも知れん。欺瞞かも知れない。でも、あるべきキレイごとを提示する、現実がそれよりダメダメでも理想は掲げる、そういう姿勢は大事だと思うのだ。
 今日、3月2日は故ルー・リード(1942〜2013)の誕生日でもある。
 伝説のロックバンド=ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代に書かれた、彼の生涯を代表する楽曲のひとつ「スウィート・ジェーン」について、あれの正しい歌詞を把握してる人は意外と少ないのではないかと思いあたった。
 というのも、アルバムに収録された正式版(と呼ぶには紆余曲折が多いヴァージョン)ではevil mother(邪悪な母親)となっている二単語、実はevil motherfuxxer(邪悪なマザーファ××ー)なのが大人の事情でカットされた代物だったらしいのだ。母親もとんだ濡れ衣である。またステージでは歌詞の脈絡をよりハッキリさせるため、加わってる一節もある。そのあたりを踏まえて和訳を試みると→
 踊りに行くのが好きな連中もいる
 働かなきゃいけない奴らもいる この俺を見てみろよ
 中には邪悪なマザー(フ××カー)だっている
 奴らは君に言うだろう 何もかもゴミだって
 失神する女なんていない あいつらは目をしばたたいてみせるだけ
 顔を赤らめるのは子供くらいなもの
 そして人生は死ぬためのものだって
 (でも俺も君に言うことがある)←ライヴで加わる部分
 心ってものを持ってる奴なら それに背を向けて壊したりしない
 人生で何かの役を演じたことがある奴なら それに背を向けてヘイトしたりしない

 ドラッグやSM、同性愛や自殺などをテーマにした楽曲がとくに初期に多いことから「頽廃」「背徳」みたいなイメージで彼を捉え「近頃のルー・リードは毒が足りない、物足りない」みたいに嘯く人たちも昔はいて、まあそういう側面もあったのだろうけど(個人的には「良くも悪しくも赤裸々すぎるひと」という印象)、いや逆に彼の毒舌はそういう「なんでも斜に構えて人生をゴミ扱いするクズ」にだって向けられていたのだと思う。
 そして。
 この「スウィート・ジェーン」の歌詞といっしょに頭をよぎるのは、丸谷才一先生が吉田健一氏のために書いた追悼文の一節だったりする。
 詩を暗誦する喜びから群馬県の豚肉まで、
 父親とのつきあひを交流としてとらへることから街の古びを大事にすることまで(中略)
 吉田さんの発見したのは、総じて言へば人生の価値といふものだつた。(中略)
 われわれは明治末年の文学革命以後、一体どういふわけなのか、
  人生は無価値なものと判断するのがしやれてゐて文学的だと思ひ込んだのだ。
 その迷信を正すのに、吉田さんほど勇敢だつた人はほかにゐない。
 ルー・リードと丸谷才一。創作や表現・時には人生まで手引きしてくれた師ふたりが、ふたりとも「人生に価値がないとか気取って言うやつらと戦え」と口を揃えて言っていたのだ。そんな彼ら(ともに天界に帰ってしまった)を師と仰いで、まだペンを持ってる自分がいる。
 たまには、こういう短い日記もいいでしょう。
 今日はルー・リードの誕生日。そして「働かなきゃいけない奴ら」が感謝を受けてしかるべき日。「従業員に感謝の日」日本にも輸入されればいいのにね。

ヒューマニズムについて〜ハンナ・アーレント『人間の条件』(2017.11.12)

 今度のコミティアで出す旅行記でも少し書いたのですが(この似顔絵、ちょっと「らしく」描けてるでしょ)、台北の本屋でも『人間的條件』が面陳になってたりして評価の機運が高まってるのかも知れません、ハンナ・アーレント。
 ちょうど自分も邦訳『人間の条件』を読んでいた時期で…いや、読み終えるまでに余裕で数ヶ月かかった、予想以上の難書でした。

【シリーズ・古典を読む】
 『人間の条件』でアーレントは、人間のすることを活動・仕事・労働の三つに分ける、本来この三つは別のものだったのだと説く。まずこれが分かりにくい。
 アーレントによれば、
労働は生命を維持するために必要な消耗品(食物に代表されるもの)を生産し消費すること
仕事は家具や芸術のように消費されず作った人間から独立して長く残るもの
・そして政治的な活動はその二つどちらとも違う別のパフォーマンスになる。
とくに実感しにくいのは「活動」だ。
 現在の政治は、活動であったことを忘れ、いかに労働と消費を支えるか≒経済的な分配の議論になってしまっている、そうアーレントは説くのだが、正直いまの吾々には「経済的な分配の問題でない政治」を考えることは、「今の野球はボールに支配されている」と言われてボールを使わなかった過去の野球を想像するくらい難しい。そうではないか。
(そして意外なことに、分配そっちのけで国防意識の高揚や憲法停止・歴史の改変・「輝く日本」に邁進する今の政権を見て、アーレントのいう政治ってコレなのかなと思わなくもなかった。
 だとしたら、古代ギリシャの「政治らしい政治」が参政権を持たない奴隷や女性の下支えで初めて成り立っていたのと同様、今この国が突き進む「政治」も、分配を蔑みながら経済から搾取することで成り立っているのではないか、逆にそんな考察に及んだりもした。
 進まないどころか悪化する保育や長時間労働の問題・一国を代表しえた企業を傾けてまでの原発への傾倒ばかりではない、経済第一を掲げたはずのアベノミクスすら国が株式に金をつぎこむ・政治的成功のために経済を奉仕させ犠牲にすることが本質ではなかったか。だがそれは別の話だ)

 もうひとつ、『人間の条件』が読みづらいのは、本当に博識で聡明なんだなあと舌を巻くしかない知見を、アーレントが「これはもう当然のことだと思うが」と平気な顔でポンポン繰り出すことにある。
 直前まで読んでいたフーコーの講義が異様なほど読みやすかったのは、聴衆を前にした「語り」だったせいではと前の日記で少し書いたが、同時にフーコーの議論には「こういう問題があり、こういう解答らしきものがあると、私は(吾々は)こうして発見・理解しつつあります」というプロセスの提示があったからかも知れない。
 アーレントの議論にはプロセスがない。本当はあるはずだが「もうこれが答え。これ自体が証明」という感じなのだ。ちょうどガロアだったかガウスだったか、数学の天才が初等教育で証明の問題を出され「えっ、自明じゃないですか」と答えたように。
 そういう意味で同書におけるアーレントは天才めいている。人の孤独について、生命の保持が至高の課題となることについて。二十年・三十年後にジラールやフーコーが懸命にプロセスを提示し解き明かすことについてさえ、アーレントは「もう答えの出てること」として何気なく提示してみせる。
 言い換えれば、それまでの読み手の読書や思索が多ければ多いほど「答え合わせ」のように響く部分が多い読書とも言える。バットがボールについて行ければだが。

 難解で晦渋で、たぶん重要なことを言ってるはずなのだが、それが何か説明しがたい。
 そんな消える魔球みたいなアーレントの文章がふいに真芯に当たり出すのは、ようやく五章に入ってからだ(個人の感想です)。ホームラン級の「分かる」が出始め、最後の第六章は「分かる」「それな」の連打になる。
 労働と仕事は違うと言われても、現代においては創作でさえ仕事ではなく労働化していないか・自分の創作物が消費されすぐ捨てられるのでなく仕事(ワーク)として自分より長い生命を持つとは信じがたくないか…かなり前のほうで感じたそんな疑問も、最後の最後の数ページになって「うんそれ。困ってる」と著者自身に回収される。
 なので、難しそうと二の足を踏んでいるひと(←この日記、それを助長してないか?)・一度は挑んで早々に挫折したひとは、ハンナ・アーレント人間の条件いきなり第六章から読み始めることを推奨する。あくまで個人の感想ですが、六章が一番よく分かりやすく、知見を広げるにあたり即効性も高い。
 ただし、同書でもっとも感動的で、心を熱くさせるのは第五章の後半・終わりの部分だと思う。

 アーレントの本領がどちらかは分からない。
 『イェルサレムのアイヒマン』はアイヒマンに代表される「凡庸な悪」を告発し、ユダヤ人の中にもホロコーストに消極的に加担した者のあることを暴いて、読者の心を凍らせた。だが一方で、追われるユダヤ人を助けるために自身の命を危険に晒したドイツ人もあったことを示し、人間の気高さを再び信じさせようともする。
 政治も、本来は後に残すためだった仕事も、生命を維持するためだけの消費に飲み込まれてしまったと『人間の条件』で語るアーレントは、その状況に絶望すべしと冷徹に説いているようにも、そもそも政治も仕事も虚しいが…と達観しているようにさえ見える。その反面で五章の終わりには、人間性に対する熱い賛美があるようにも思える。

 ここで全く関係のない話をする。もう亡くなった、20年〜30年ほど前に多くのエッセイが翻訳された、スティーブン・ジェイ・グールドという古生物学者・進化論者がいた。進化論者といっても、すべては遺伝子が生き残るための冷徹な戦略だとするドーキンスとは相容れず、そして論争には敗れたとされる。今は憶えている人も少ないかも知れない。
 短篇エッセイ・コラムの名手で、とくに印象に残っているのは
ミッキーマウスの目が登場以来どんどん大きくなっていった過程
・アメリカを代表するチョコバーのマーズが、値上げしたけどサイズも増量と言いながら、値上げ率を超える増量は一度もなされなかった検証(泣)
・そして「なぜ大リーグから四割打者は消えたかの考察」だ。
いずれも本業の生物学とは関係ないが、むしろ関係ない分野でダーウィニズムや科学的手法を活かした好エッセイだった。

 わけても興趣にあふれるのが四割打者の消失で、これは後に本の半分を占める大作にリライトされ単行本『フルハウス』に収録されている。
 大リーグの黎明期には何人もいた、打率四割を超えるスーパーバッターが、次第に減って消滅し現在に至るのはなぜか。バッターを不利にするようなルールの改訂やボール・球場などの仕様の変化・あるいは「要するに昔は本当の名プレイヤーがいたんだ。今の野球選手は器用かも知れないが、みんな小物になっちまったのさ」といった昔はよかった論を丁寧に却け(しりぞけ)、グールドが出す答えは知的にもエキサイティングで、また感動的だ。
 同じようなことを漫画や即売会の世界でも「昔は突出した天才や個性派がいた、巨人たちの時代だった(野球の話じゃないよ)。今はみんな小さくまとまってしまってる」みたいなことを言うひとがいてモヤモヤするたび、この「答え」には気持ちを助けられた。
 ぜひ実際の本で確かめてほしいと言っても、人が読書に割ける時間は有限なので白抜きで開示しておくと
四割打者が消えたのはルールや仕様が変わったせいでも、まして能力が下がったからでもない。
むしろバッターの技術は向上し、かつてより優れている。しかし同じ向上がピッチャーや守備のレベルも押し上げ、皆が高いレベルでゲームするようになった結果、突出した四割打者のような「ムラ」が出なくなったのだ
」というグールドの指摘には、人間というもの・その高みを目指す(こともできる)アビリティへの信頼・というより、それに賭けることにしたという信念や意志を感じる。

 無国籍者としての人生を余儀なくされ、ユダヤ人排斥に翻弄された、博覧強記で人間社会の脆さを説くアーレントに、ときどき感じる(もしかしたら「らしからぬ」かも知れない)人間性の賛美。それを信じるにはあまりに「信じがたくさせるもの」を体感した思想家が、それでもなお示す人間性への共感。人はときに気高い生きかたも出来るという信念もまた。
 ヒューマニズムとは、そういうものではないだろうか。
 そればかりを書物や人に求めるのも、また危険だとはいえ。
   
真ん中のアーレント解説書、入門者向けで分かりやすかったです。
あと全然関係ないけど今は『イーリアス』読んでます。

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