記事:2015年6月 ←1507  1505→  記事一覧(+検索)  ホーム 

どの本も読めません!〜『いま、世界で読まれている105冊 2013』(←この本自体は読めます)(15.06.20)

※末尾に追記あり。(2015.06.20)
【二作目の小説『夜に蘇る声』(三修社、一九九六)で一躍注目されて以来つねに
 ドイツ文学の期待の星だったマルセル・バイアー(一九六五ー)は、いまなお期待の星でありつづける。
 とはつまり、バイアーはまだまれにみる器に見合う小説を発表していないと私は見る】
(池田信雄)
これが本の真ん中あたり、最初に開いたページの書き出しの文章。その飄々とした語り口で、実は少し疑ってしまった。
 先月(もう先月か…)関西コミティア前日に訪ねた大阪で開催されていた谷町の古書市。そこで半値で入手した『いま、世界で読まれている105冊〜2013』(テン・ブックス)という書評集。ロシアからツバルまで63カ国(自治領含む)英語からエスペラントまで、世界の言語に通じる研究者、ジャーナリスト83人が紹介する日本未翻訳の本という触れ込みなのだが、さいしょに目に触れた文章が先の通りで、105冊を締めくくる最後の項が【エスペラント語で書かれた最初の長篇小説『無題』】
 …偽書・大がかりな冗談ではないのか。

 むろん偽書などではなかった。執筆者全員が大マジの、夢のような、そして夢のように切ない書評集だった。
 何しろ七ヶ国語を操る語学の達人でもない限り、ここに取り上げられた本の大半を、吾々は読むことが出来ないのだ。(さらに言えばAmazonの力をもってしても日本では入手困難な本も多いという)。
【「私は猫に生まれます」で文壇デビューし、その後も猫を扱った作品を多数発表してきた
 詩人ファン・インスク氏による長編小説『野良猫姫』】

を、吾々は読むことが出来ない(ハングルが読めれば別だが)。
【17世紀の大帝都イスタンブールの生活を活写・海賊の戦利品として持ち帰られたデカルト『方法序説』を
 「私が私を思うゆえに私が存在しているのではない…」とイスラム教の師匠が論破する歴史小説
 『霧の大陸の世界地図』】

を、吾々は読むことが出来ない(トルコ語が読めれば別だが。)
【政争に敗れメキシコに亡命したトロツキーの苦難の日々と、
 彼を暗殺しソ連に亡命・晩年をキューバで送った男の半生を描く『犬が好きだった男』】
も、
【コロンビア最大の麻薬密売組織メデジン・カルテルの首領の評伝
 『パブロ・エスコバル、悪の守護聖人』】
も、
吾々は読むことが出来ない(スペイン語が読めれば別だが)。

 取り上げられる本と地域は多岐に渡り、吾々は書物が扉を開く世界の広さ大きさを改めて実感する。書物なんてと馬鹿にし、身体がどうだ路上での実体験がどうだと言う前に、吾々は書物が有する「世界を伝える」力を見直すべきではなかったか、改めてそう思わされる。
 だが、その大きく開け放たれた扉の先に、吾々は進むことが出来ない。
 【一九九〇年代前半にベトナムの出版史上、未曾有のベストセラーとなった日本のマンガ
 『ドラえもん』に並ぶ勢いで、総売上が一〇〇万部を突破したティーンズ向け小説
 グエン・ニャット・アインの『万華鏡』シリーズ】
を、
吾々は読むことが出来ない。(ベトナム語が読めれば別だが)。
【実は日本文学やロシア文学よりも歴史は古く、
 少なくとも五世紀の昔からさまざまなジャンルの素晴らしい文学作品を多く生み出してきた】

グルジアの現代文学を、吾々は読むことが出来ない(グルジア語が読めれば別だが)。
 商業出版自体がまだ確立されていないブータンで初の女性小説家によって書かれた一女性の一代記に、逆にアジアでも最初期に西欧的「小説」が書かれたトルコの現代文学の層の厚さに、主に日本に暮らし、主に日本語ばかりを読み書きしている吾々が、じかに接することは難しい。
 考えてみたら、このアンソロジーに参加した執筆者自身も、アルバニアの専門家はタンザニアの戯曲を、タンザニアの専門家はベルギーの小説を読み得ないわけで、なんだろうこの多様な世界への愛と熱意に満ち溢れながら、こんなにも孤独な書物というのは。
 イソップ童話に登場する、平たい皿で供されたスープを飲めない鶴のように、吾々は悶絶する。

 そしてイソップの(狐の)意見とは反対に、手に届かない葡萄こそ甘く見える。
 これは自分の場合だが、英語なら読めなくはないのでニュージーランド・南アフリカ・英国で刊行された『自らによるネルソン・マンデラ〜公式引用集』なら手が届くのではないか(たしか片岡義男氏がアメリカのローカル言語でない・真にグローバルに意思を疎通しあうための英語の模範として、マンデラの英文を挙げていたはずだ)とか、スティーヴ・エリクソンやリチャード・パワーズら現代アメリカを代表する作家が執筆陣(総勢200人!)に名を連ねた『新・アメリカ文学史』は1000ページの大著だけど向こうの大学で教科書に使われてることもあって実勢価格15ドルとか(1000ページも英語の本を読めるつもりか!?)いらん誘惑にかられてしまう。(それより先に邦訳の出てるパワーズやエリクソンの小説読めよ自分!)
 おそらくドイツ語が読める人はドイツ語の、ハングルが読める人はハングルの本に手を出す誘惑に苦しむはずだ。とゆうか自分は『野良猫姫』のために読めもしないハングルを勉強したい誘惑にすら(馬鹿だから)かられた。

 そんなわけで素晴らしく、世界に対する心の扉が(再び)開かれ、けれど先には進めず苦しいこの本。その苦しさせつなさもコミでオススメなのですが(でもあれだ、執筆者の皆様には同じ布陣で今度は「日本で読める世界の100冊」とか作ってほしい)
 「日本未翻訳」と銘打ってはいるものの、そこは多少の抜け穴があって、邦訳がある場合や同じ著者の他の著作が日本で紹介済の事例もあるので、最後に少しリークしておきたい。
 冒頭に挙げたとおりドイツの未完の大器・バイアーの『夜に蘇る声』は邦訳あり。【人間の声とさまざまな音の蒐集家を主人公に第二次世界大戦末期の権力中枢を活写した】小説である由。
 同じくドイツの傑作コメディ『一難去ってまた一難』自体は本邦未訳だが、著者ケルスティン・ギア『時間旅行者の系譜』三部作は東京創元社から邦訳が出たばかり。【時間旅行者の遺伝子を受け継いだ男女が過去へ旅してサンジェルマン伯爵の陰謀を暴く、冒険とロマンスが満載の物語】なのだそうな。
 幻想文学の先駆にして最高傑作と謳われ、近年ますます評価がうなぎのぼりと言うヤン・ポトツキサラゴサで発見された手稿』は、全体の五分の一程度の抄訳ながら工藤幸雄氏の訳で『サラゴサ手稿』として国書刊行会から35年ほど前に刊行されている。
 アジアにおけるキリスト教受容の理解に欠かせないシリア語キリスト教文学を代表する紀元四世紀の著作『聖エフレムの賛歌』はイタリア語訳からの重訳が日本でも刊行。
 そして【グレッグ・イーガンや伊藤計劃も真っ青】と評者が絶賛する中国SF会心のヒット作・劉慈欣の『三体』三部作は、英語版・韓国語版に並んで日本語版の翻訳が進行中だと2013年の本書にはある。楽しみだ。

※本書を一読し、また実感させられるのは、こうして世界各地・各国の文化や社会に関わる研究者や関係者たちの「ここに世界がある」「みんなつながっている」という声にならない声だ。いわゆる世の役に立たないとされる人文学系の、こうした人々の営為が世界にどれだけ多くの扉を開き、人や事物を行き来させているか。大学に人文は不要という為政者や官僚は、真剣に考えなおしたほうがいい。
※追記
野良猫姫』この書評集が出た一年後に邦訳が出ていました(御教示いただきありがとうございます)。ちゅうか紹介者の生田美保氏が自分で訳してしまったらしい。クオン「新しい韓国の文学」シリーズの一冊。

(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1507  1505→  記事一覧(+検索)  ホーム