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オトナ修学旅行[1/2]大阪編(2018.05.30)

 1.異形と親しみ

 一次創作系の即売会「関西コミティア」にサークル参加は(完全に自身の手続き不備により)しそびれたのですが、せっかく大阪に行くのだからと予約していた太陽の塔の内部公開を観に、関西に行ってきました。

 1970年の大阪万博で建てられた岡本太郎デザインの「太陽の塔」。グラスの底に顔があったってイイじゃないか(古い)も岡本太郎でしたが、太陽の塔も背後に第三の黒い顔があります。表に上下二つ・裏に一つ。

 これに加えて塔の内部・地下に「第四の顔」=地底の太陽があるというのが、今回の内部公開の目玉のひとつ。そして塔の芯にあたる部分には、アメーバや原生動物に始まり両生類・爬虫類・哺乳動物から人類へと進化の過程を再現した「生命の樹」。SFか!というオチもあり、これはいづれ場所をあらためてネタバレのレポートを描きたいと思いますが…
 万博当時も内部公開されていたものが、50年近い時を経て再公開ということで、行ける人は行ったほうがいいです。岡本太郎という人物には全面肯定できない部分もあるかも知れませんが、アートの力・アートの力が信じられていた時代のアートの力を感じました。逆に言えば、アートの力なんてハナから信じてない人たちが今また大阪に誘致しようとしている、新しい万博に何事が出来るものかと、不信の気持ちを新たにしたり。

 久しぶりに訪ねた民博=国立民族学博物館も、相変わらず好かったです。

 前に訪ねたときは、世界各地の文化の多様性を見て、自分を含め今「ファンタジー」「異世界」と称して創作をしてる者の想像力の範囲がいかに狭まっているか実感して危機感を覚えた。その時は異様で、想像の外にあると思えた、たとえば仮面や人形などの異形が、今回は「あー人間も生きてりゃ(気持ち的に)こういう感じになること有るよね」と逆に共振できた気がするのが面白かったです。歳を重ねることで、色々と感受性に広がるものがあったかと思えば嬉しい反面、未知を未知として遇する素直さが薄れたのかもという懸念もあり。

 最初に見たときは「理解の外…」としか思えなかった、ギターの胴くらいある大きなアフリカの仮面も今回は「あれ…こんな処からヘビとか垂らしてたんだ、キミ!」と思ったり。

 これを目にした時のなんとも言えない思いを、なかなか理解してもらえないのだけど、民博には文化人類学や構造主義にとっては「沢田研二が投げた帽子の実物」に匹敵するような(よく分からんし古い)アイテム「南太平洋のクラ交換で取引される宝物」があります。これが今ココにあっていいのか、ということを含め感慨にとらわれる品です。
 アイヌ神謡集に出てくる、神に捧げる「イナウ」も民博では、これでもかというくらい展示されている。木を削って作るコレが、簡略化・抽象化されると「幣もとりあえず手向山」の、紙でできた幣(ぬさ)になるのだろうなと見当がつく。

 今回あらたに知った収蔵物で可笑しかったのが、ウガンダの酒壺。ヒエなどの穀物を発酵させ、滲み出るアルコールを含んだジュースを(粒は通さず汁だけ吸える)ストローで吸うものだけれど、皆で車座になって一斉に吸える=呑める仕組みになっている。こういう宴会は楽しいだろうと想像する反面、今の日本では地獄のような飲み会になりそうな気もする。
 そして印象的だったのが、アフリカで現在つくられてる子供のお守り用の首飾り。貝が貴重品である内陸部では、逆に大量の貝を用いることで呪力や権威を表す装飾品が作られたけれど、この(画像右端)首飾りの材料は注射針のカバー。単に綺麗だからというのでなく、乳幼児の健康を守る、予防接種などにまつわる品だからこそ、信仰に近いかたちで珍重されているのかも知れない。そう考えると、遠く海を隔てた土地での、人の営みに、また共振できる気がしたのでした。

 2.西成はおいしい

 天王寺公園の案内用ピクトグラム、いつからネコミミになってたん?

 ここ十年来、大阪で泊まるときは市の南部・西成区のいわゆるドヤ街と呼ばれる地域で安価な簡易宿泊所を利用しています。治安や清潔感のことが言われるけれど、少なくとも中年男性の自分には分相応でもあり、隔絶感もあまりなく歩けるところ。
 今回は積極的に、その界隈で食事をして回りました。商店街の隙間のような処で看板もあるかないか分からない、土日だけ営業するおでん屋(おいしかった)。駅のガード下の、うどんを「小」で注文しないと、山盛りで出てくるようなホルモン屋(おいしかった)。

 「ナショナルの電気風呂」みたいな古風な看板を残した銭湯がある、そんな界隈の、お店の人の人柄が伝わるような洋食屋(期間限定のローストビーフ丼、すごくおいしかった)。昆布だしと味噌で具が崩れるまで煮込んだ「どてカレー」(勿論おいしかった)は、ドヤ街の角に一軒、カフェみたいな外装内装のお店。若い店主さんによれば、このあたりで同じようにカフェ的な店を出したい追随者は少なくないのだと言う。
 …それは(※あたかも自分が取材したかのようですが、隣席のお客さんに話してるのを横で聞いてただけです)近年急増した、安い宿を利用する海外からのバックパッカーがいるから。
 自分が泊まった簡易宿泊所も、部屋は畳二畳分くらい・バスもトイレも共同だけど(ただし近所の銭湯の無料券が貰えて、良い宿でした)トイレはウォシュレット完備・部屋もWi-Fi完備。1階のロビーに貼られた世界地図には、アジアはもちろんアフリカや南米(画像ではカットしたけど)グリーンランドまで、宿泊者のホームを示すシールが。
 最近ではユーチューバーのレポートなどでもB級グルメの穴場として有名になりつつあるらしい、この地域。観光客(自分もその一人だが)が集まり、変容するのが良いことばかりとは限らない。これからも大阪に通うとしたら、思いがけない変化を目の当たりにすることになるのかも、と思いました。
(次回・大阪〜京都編に続きます)

オトナ修学旅行[2/2]大阪〜京都編(2018.05.31)

 3.鬼と水晶宮

 関西で同人活動してる人には馴染みの建物らしいインテックス大阪。空が思いがけなく綺麗に撮れたので画像ふたつ並べましたが、ロンドンで1851年に開かれた第一回万国博覧会の「水晶宮」を彷彿とさせるデザインですね。前日は大阪万博・この日はロンドン万博。

 関西コミティアで入手した薄い本、一冊だけ。治島カロ(奇人別動隊)さんの『魔女と鬼のはなし』は、大流行した(自分も乗った)ハッシュタグ「#魔女集会で会いましょう」準拠作品。
 完全にオリジナルの設定や世界観で勝負する一次創作と、与えられた元ネタの解釈で勝負する二次創作の中間くらい・決められたシチュエーションでの競作は、おのずと作者の腕くらべ・あるいは個性の表出になって面白い。『魔女と鬼…』の場合は、平安時代を思わせる和風ファンタジーに仕立てた手技もあるけれど、それ以上に魔女と鬼の、互いに不器用なようでいて心の芯で通じ合ってるパートナーぶりに、作者の人となり・というか「こうあってほしい」という理想・志向が見えて、心温まる作品でした。
 こちらで閲覧できます→Twitterモーメント「魔女と鬼のはなし」まとめ

 4.神獣カーニバル

 大阪のドヤ街のように極端に宿代が安い場合、日曜に新幹線や、割高な週末料金のバスで関東に帰るより、もう一泊して月曜に帰ったほうが安上がりというのはその余計な1日分の散財を考えると決して合理的ではないのですが、
 浮いた月曜でそうだ、京都行こうということになりました。高速バスの京都での乗り場になる駅のコインロッカーに重荷を預けて、まず出向いたのは北野天満宮

 学問に御利益があるらしい牛の像にお賽銭を上げて、大学生・高校受験生の甥っ子ズのために(そのほか身内や自分のためにも。学問は一生つづくのだ)像を撫で撫で。しかし境内、牛の像がいくつもある。最初に目につく小さく古びた像に賽銭をあげると損した気になるかも知れないし、全体と比べると見劣りしそうな小さな像に賽銭したほうが「見上げた心映え」的な御利益があるかも知れないし、あー、よく分かりません。
 カメラには収めなかったけれどメインの社殿、青龍・朱雀・白虎・玄武と象・獅子・麒麟の木彫りが軒下に突き出て、ちょっとした神獣カーニバルでした。

 天満宮近辺の名物は極太の一本うどんと、餅の部分が黄色い粟餅。一本うどんは、なぜか二本に切れていたような気がするが深く考えてはいけない

 大阪から阪急線で京都の西院まで一本、そこからバスで北野天満宮。同じバス路線で前まで行けるということで銀閣寺へ。約15年ぶり。好きなんですよね、銀閣寺。

 どこかSF的な向月台と銀沙羅・観音殿もいいけれど、何よりチルアウト効果があるのが、夢窓国師リスペクトで作られた苔庭。

 15年前に訪れた時には「いい苔・ちょっと邪魔な苔・とても邪魔な苔」のサンプルがあって可笑しかったのだけど、さすがにもう無くなってました。


 せっかく銀閣まで来たら大豊神社まで足を伸ばそうと、哲学の道を(本を読みながら)てくてく20分。狛犬ならぬ狛ねずみ(ちゃんと狛犬もいます)が売り?の神社だけど、ドングリ?と巻物を抱えたネズミだけでなく、サル・鳥・お稲荷さんのキツネさまに、黒々としたヘビまでおわす。

 参道の灯籠には、人々が寄進?したらしい馬やら牛やらネズミやらの小さな人形がポツポツ置かれてるのだけど、中にはミドリの恐竜までいて、もはや何が何やら。

 聖フランチェスコか!と思うくらい、あらゆる獣に神が宿る。このユルさは逆に尊いかも知れません。

 5.聖地巡礼そして政治

 話は遡りますが万博公園・国立民族学博物館(民博)の向かいには薔薇園があって。小説『マリア様がみてる』で学園の憧れ・生徒会長の異名になってるロサ・キネンシス(紅薔薇)を拝んできました。残念ながら盛りを過ぎて、少し萎れぎみ。作中の気品高いお姉様から、幾重にも花弁を巻いた花を想像しがちだけど、単弁のシンプルな花でした。

 大阪では『ラーメン大好き小泉さん』に登場した「おいしいラーメン」(本当にそういう名前)も食べてきました。実は東京や神奈川にも支店のある、かなり庶民的・ファミリー向けっぽいチェーン店。野菜の甘味が出た、やさしい味でした。
 京都では、銀閣寺→京都大学→の延長線上に、アニメ『たまこまーけっと』のモデルになった商店街もあり、せっかくだからと聖地巡礼。作中には出てこなかったけれど、軽く歩いただけでも二軒も古本屋がある文化的なアーケードでした。前から気になってて、少しずつ知りたいと思っていた思想の科学の関連書と、それから聖地巡礼的には「お餅」だろうということで散財。

 京都大学では、ちょうど名物?だった立て看板の撤去が行なわれたばかりで、立て看板の代わりになぜか色とりどりの洗濯物が。看板撤去でキャンパス周りをキレイにした積もりの当局への皮肉かも知れず、それは深読みかも知れず。個人的には詰まらんことしたな(←撤去が)と思っています。

 銀閣から京大→三条→四条河原町と歩く。河原町でも古本を一冊。前から宿題だった(学生時代に読んだつもりで読んでなかった)エーリッヒ・フロムの古典『自由からの逃走』。オシャレなショップが並ぶ河原町、ちらほら古本屋があるというのも今回の発見で、街の底力を見た気がしました。いい街だ京都。

 四条河原町から四条烏丸へ。高度プロフェッショナル制度(別名・サービス残業合法化)に反対するスタンディング+リーフレット配布に参加。京都で過ごす6時間を自分のために使い、1時間くらいは社会のために使うのも悪くないだろうと(まあコレも自分の精神衛生のためではあるけれど)。
 コンビニの小規模オーナーやファーストフード店の名ばかり店長・建築現場で個人事業主あつかいされ被雇用者としての権利が保証されない、などといった事例を拡大するような悪法であると考えます。残念ながら今日(5/31)衆院を通過してしまいましたが、この国はどうなってしまうのでしょう。

 社会参加が終わったあとの京都・錦小路はおおむね店も閉まってシャッターが降りていたけど、10軒に1軒くらいシャッターが伊藤若冲の日本画をあしらったデザインになっていて、こういうギャラリーも悪くないと思いました。アーケードの天井から下がった垂れ幕も若冲で、こんなところで(北野天満宮で会って以来の)象とも再会。

 河原町ではパフェだけで何百種あるという喫茶店にも遭遇。画像はとんかつパフェ・アメリカンドッグパフェ・エビフライパフェと飛び道具な並びですが、見本の上段にあった黒ごま杏仁パフェとか、ふつうに美味しそうだった。満腹のため見送りましたが、また京都を訪なう機会があれば…と言いたいところだけど、中年おじさんの一人パフェか…とハードルの高さに頭を抱えつつ、はい、また機会があれば京都に。そしてまた大阪に。
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1808  1803→  記事一覧(+検索)  ホーム