『一九八四年』の舞台は独裁者「偉大なる兄弟(ビッグブラザー)」と党が支配する近未来のイギリス。権力に逆らった下級役人ウィンストン・スミスは逮捕され、拷問と洗脳の果てに唯一の同志だった恋人を裏切り、仮釈放の日々を過ごしている。喫茶店で「丁字で香りづけしたジンを垂らした紅茶」をすするウィンストンの耳に、作中で流行している歌謡曲「憎しみの歌」が流れてくる。流行歌でその曲名はどうかと思うが中身もエグい。こんな歌詞: 「生い茂る栗の木の下で 俺はお前を売り お前は俺を売った
奴らはあそこに横たわり、俺たちはここに横たわる 生い茂る栗の木の下で」(新庄訳)
これが大変な問題だった。英語の原文だと
(Under the spreading chestnut tree
I sold you and you sold me:
There lie they, and here lie we
Under the spreading chestnut tree)
なるほど、コンマのある無しも邦訳に反映させてるんだね、忠実だね、ではない。三行目。動詞「lie」には「横たわる」と「嘘をつく」の二種類がある。この場合どっちだ?
問題の年を十年後に控えた1974年、『一九八四年』のミュージカル化を構想したのがデヴィッド・ボウイだ。出世作『ジギー・スターダスト』で「五年後に滅びる世界」を歌ったボウイの「十年後」ミュージカルは頓挫するが、半人半獣のミュータントが跋扈する未来世界を描いたといわれるアルバム『ダイヤモンドの犬』の後半には「We Are the Dead」「1984」「Big Brother」とオーウェルからの引用が散りばめられている。
前置きが長くなったが、そんなボウイが『ジギー』(1972年)の本当の「五年後」1977年にリリースしたヒット曲「"Heroes"(英雄夢語り)」の終盤の歌詞は、こんなふうだ: We are nothing. And no one will help us
Maybe we are lying. Then you'd better not stay
But we could be safer just for one day
東西冷戦の時代、ベルリンの壁のそばで監視兵に見せつけるようにキスをする恋人たちがWe can be heroes just for one day(たった一日だけなら僕たちは英雄になれる)と謳う歌詞は終盤「僕たちは何物でもない 誰も僕らを助けてはくれない」と悲観に落ち込んでいく。
この「Maybe we are lying」のlying(lieの現在進行形)が偽るほうのlieなのは明白だろう。「僕たちが(きっとうまく行くわなんて夢みたいなことを)言ってるのは嘘かも知れない だとしたら君はここにもう居ないほうがいい」「でも僕たちはまだ安全だろう さしあたり今日一日は」。このlyingを「僕らは横たわっているのかも知れない=僕らは死んだも同然だ(本当にそうなる前に君は立ち去れ)」と解釈するのは、かなり強引で言うなれば「詩的すぎる」と思う。
先述したとおり『一九八四年』には思い入れが深いボウイ先生だ。彼のlyingが「嘘をつく」なら、オーウェルのlieも「嘘」ではないか。「嘘」に1ポイント加算。
そんなわけで、同じハヤカワからの2009年・高橋和久氏による新訳版は衝撃だった。 「おおきな栗の木の下でー
あーなーたーとーわーたーしー
なーかーよーくー裏切ったー
おおきな栗の木の下でー」
これは有名な童謡のパロディではないか、新機軸を打ち出したいにしても悪ふざけが過ぎやしないか…と思ったら、そうではなかった。実際に「憎しみの歌」は、日本でも知られる「大きな栗の木の下で」の元になったイギリスの童謡のパロディだったのだ。
そうなってしまうと新庄訳のほうが、たとえば「どんぐりころころ」を「生い茂る団栗の木の下から 転落した団栗は 池の底に横たわる…」と過剰に文学的に訳してしまった可能性が高い。という戯れ言はさておき。I sold you and you sold meもlieも一緒くたに「裏切った」にまとめた高橋訳が「lie=嘘」派寄りなのは濃厚だと思う。
これはやっぱりlie=嘘なのかなあと諦めかけたとき(もうお気づきと思われますが、僕は新庄訳が好きなのだ)(アヒルの子は生まれて最初に目にした『一九八四年』訳を本物だと思う)、思わぬ弁護側の証人?が現れた。
* * *
1984年に『一九八四年』で盛り上がったのは、新庄訳がにわかにベストセラーになった日本だけではない。オーウェルの母国イギリスでは映画化がなされた。
主演はジョン・ハート。劇伴音楽はシンセポップ・ユニットのユーリズミックスが全面的に担当するはずだったが、ハイテクすぎる楽曲群は実際には採用されずバラード曲の「ジューリア」だけがエンドロールに流れたのではなかったか。しかし幻の劇伴は『1984 オリジナル・サウンドトラック』としてアルバム化されている。音楽的にもすごく好いし、冒頭「I did it just the same(にも関わらず、僕はそれをしてのけたのだ!)」から「Double plus good」「Ministry of Love(愛情省)」ラス曲「Room 101」まで原作のキーフレーズが忠実に散りばめられた再現度の高い名盤だと思う。 また前置きが長くなりました。再現度が高い、と言いながら実はキチンと確認していなかった「ジューリア」の歌詞を読む機会があり、あっと思った。ちなみにジューリアは主人公ウィンストンが愛し、そして「売る」ことになる恋人・反政府の同志だ。 Julia
When the leaves turn from green to brown
And autumn shades come tumbling down
To leave a carpet on the ground
Where we have laid
(ジューリア
木の葉が緑から茶に色を変え
秋の覆いは崩れ去って
地面に絨毯を残す
そこは僕たちが横たわったところ) 今、横たわるって言いました!?
色づいた木の葉が落ちてカーペットになるって、そこで横たわるって、どう考えても「生い茂る栗の木」を意識してますよね?してませんか?英語の自動詞とか他動詞とか過去分詞とか、面倒な手続きは多少スキップしているのだけど(すみません)この楽曲は「lie=横たわる」説に寄ってる気がしてならない。