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これが「別の話」〜ウィーラポーン・ニティプラパー『仏暦の終焉と黒薔薇猫の記憶の記憶(仮)』(26.04.13)

 今回5度目の台湾旅行の話は、また別の機会に(つまり「それは別の話」)ねっとり開陳するとして、また向こうでしか入手できなさそうな本を、今度は二冊ほど贖ってきました。
 台北駅のすぐ南・学習塾や予備校が集中し(24年11月の日記参照)それを当てこんだ早餐−朝食を供するお店(近くの銀行・官庁街も見込んでいるのだと思う)が集中、参考書など扱う書店も点在する区画の執土(一文字で「執」という字の下に「土」)脚石圖書文具百貨廣場書店。踏み石=Stepping Stone=(読者が)上に登るための足がかり的な意味を持つこの、若者向けの?軽い書物が手に取りやすい本屋で
 簡単な地図(台湾北部に位置する台北・その台北駅の南に位置する…)と、執土(実際は一文字)脚石圖書文具百貨廣場の外観。
 全3巻で完結の醉琉璃『我的室友 陳小姐是幽鬼』の一冊目を入手。
 『我的室友 陳小姐是幽鬼』の書影と「百合×霊異」という帯文のアップ、そしてよく見ると黒髪美女な陳小姐のネグリジェの足元が透けている(あっ)拡大画像。
我的室友(私のルームメイト)・陳小姐・是(すなわち)・幽鬼(ユーレイ)。「My Ghost Girlfriend」と英題が添えられた本作、限界社畜女子の主人公が家賃安さに飛びついた(台北は世界有数の平均居住空間の狭さを誇る超過密都市でもある)事故物件には幽霊の陳小姐がいたが、二人とも腐女子(しかも最初は息を潜めていた陳小姐、主人公がでへへへと鑑賞していた赤裸々なBL画像に「そのカップリングはA×BじゃなくてB×A!」と介入して存在発覚)と意気投合するんだか解釈違いで揉めるんだか分からない冒頭。男同士の恋愛に夢中な女子ふたり(うち一人は幽霊)に百合を期待する自分(外国のおっさん)…
 「人間って、おもしろ!」と歯を剥きだすリューク(デスノート)のカット。
自虐ははさておき、たぶんありふれ過ぎて、わざわざ日本語に訳出され紹介されなそうな題材。逆に言えば、こうしたシチュエーションを台湾はすでに自家薬籠中にしており、もちろん日式ライトノベルの流入も需要も圧倒的なれど、自国内での自給自足が不可能ではない状況になっていた2026年。
 スマートフォンのカメラで映した本文の→文章を選択→読み取り→翻訳で訳文出現までをまとめたスクリーンショット。
 スマートフォンのカメラ・文字認識機能で文章を把握→そのまま自動翻訳で「ん?」と思うところだけ重点的に確認。かなりスムーズに読み進められそう。今回の旅行を機にGoogle翻訳の、ネット接続なしのオフラインでも使える辞書ファイルをダウンロードしたんだけど、音声なしの文字ベースで中国語(繁体字)でも100MB足らず。iPhone自体の翻訳機能もあるみたいだし、いつのまにか便利な世の中になっていた。
 主人公たちに愛着が出れば、残り二冊は日本からの取り寄せを考えるかも知れません。
 ああ本の話は楽しい。

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 国立台湾大学の近くにある聯経書房 上海書店LINKING BOOKHOUSEは今どきだと大谷翔平の関連書などミーハーな取り揃えも手抜かりない一方で、ライトなオタク向けの執土(←本当は一文字)脚石書店とは対照的に、大学生向けの?渋めな選書が光る本屋で、ここで見かけた本が気になる→だいたい台北駅の近くに取りがちな宿に戻ってネットで内容を確認→宿に近い最大手の誠品書店で購入というルートを取ってしまう(申し訳ない…)
 聯経書房 LINKING BOOKSTOREの写真と地図。台北駅からは徒歩1時間くらい。
 今回ここで平積みされていた本の帯文が
 本の帯文の一部をキャプチャ。いわく『泰國版《百年孤寂》』
泰國版《百年孤寂》…20世紀文学の流れを変えたガルシア=マルケスの傑作『百年の孤独』。それに対抗できると謳うタイの小説(の翻訳)、持って帰れる荷物の重量を試合前のプロボクサー並みに気にしつつ、持ち帰らずにおらりょうか。いやまずは邦訳がないとしての話。しかし宿に戻り落ち着いた環境でネット検索したかぎり、いや大いに穴がありがちな僕の観測範囲でということだけど、著者ウィーラポーン・ニティプラパーの作品は、世評の高い第一作『迷宮中的盲眼蚯蚓(迷宮の中の盲目のミミズ)』も含め、邦訳での紹介はまだない。
 
この書名をUnicode使用でない本サイトで記載するのは困難なので間違ってるかも知れない機械翻訳の日本語で紹介させてください―ウィーラポーン・ニティプラパー仏暦の終焉と黒薔薇猫の記憶の記憶(仮訳)』(向こうのオンライン書店「博客来」の紹介ページ/外部リンクが開きます)
 台北駅と地続き・MRTの路線沿いに細く延びた地下街の、ゆうに200メートルは続く中山地下書街(かつてはそれこそ執土[一文字]脚石やLINKINGのような個人書店がひしめいていたが、十年ほど前から誠品の寡占となっている)の、つまり誠品で購入(本当に申し訳ないLINKINGさん…)・重量もクリアして無事日本に持ち帰ってきました。
 中山地下書街の地図(台北駅に直結)と「中山地下書街・誠品書店」の看板・書店の様子をコンパクトにまとめた写真。
 もうこの三つの書店に、とゆうか本サイトを見てる誰かひとりくらい台湾に行かせてやろうという悪い下心(円安と原油高で今はオススメできませんが、この先もっと大変になるかも知れないので行けるうちに、かも…)みなぎる今回の日記(週記)ですが、
 ※あーちなみに台湾の小説はA4サイズで日本のようなハードカバーはなし・日本に戻って量ったら陳小姐は350g(これは想定内)・黒薔薇猫は500gで帰国楽勝でした。
 ※そして黒薔薇猫を取り扱ってくれた誠品のレジ係さんの胸元の名札には「陳小姐」の三文字が。(こっちで本の『陳小姐』買えてたほうが面白かったかなー)とも思ったけど、まあラノベ売り場はレジが別でございましたよ+名前ハラスメントいくない。
 本サイトに長くおつきあいのかたなら、なんとなくお察しとは思いますが、改めて思ってしまった。(日本、やばいかも…)と。いや円安や原油のことではなく(そっちも心配だけど)。

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 本サイトで、あるいは昔やってたTwitter(現X)で、たぶん何度となく言ってきたことだけど、改めて書いておく。
 純然たる事実として、人口1/5の台湾で繁体字版の翻訳が手に入る外国書籍が、日本で邦訳がないのは初めてではない。
 いちおう言っておくと逆に邦訳があって台湾版がない本だって沢山ある(だろう)。日本ではクラシックに属するJ.P.ホーガン(イギリス)のSF『星を継ぐ者』(原著1977年)は、自分が書店の店頭で見かけた大々的なポスターが「新訳(とか再販とか)成る!」というものでなければ、台湾で紹介されたのは、ようやく2017年のことだったと思う。たとえばミシェル・フーコーの著作なども、日本に比べると台湾での繁体字訳の出版は相当に遅れているのではないか(断片的な目撃に基づく不確かな推測)。
 『星辰的継承者(星を継ぐ者)』の現地ポスター。推薦人に日本の小野不由美・小島秀夫の名前がある。
 台湾だけではない。
 これは以前(21年3月の日記で)書いたことだが、七つの性をもつブタや、三種のオスと二種のメスがいるトカゲなど男女二元論・他の生物だってそうという観念をくつがえすジョアン・ラフガーデン『進化の虹』が、韓国語訳があるのに二倍の人口を有する日本で邦訳が出ていない(今も)。ジュディス・バトラーの著作の一部でも、日本は韓国に遅れを取っているらしい。
 このときの日記では僕が、日本では『ライラの冒険』以後は翻訳がないファンタジイ作家フィリップ・プルマンの作品が(それこそ『ライラの冒険』ことHis Dark Materialsの続編も含めて)、日本の1/5の人口しかない台湾で訳出され書店で平積みになってるのを見たときの焦燥とともに
少なくとも「日本は各国の本を翻訳で読める、世界でも稀有な国」みたいな自負は、昔だけのことか・あるいは実は一度も真実でなかった幻想だった可能性がありはしないか…というのは、また別の話
と書いている。つまり、今その「別の話」をしている。
 韓国に話を戻すと、日本では『キャリバンと魔女』以外に翻訳がないらしいシルヴィア・フェデリーチ(何度も何度も言及してるけど23年10月の日記参照)の他の著作も韓国では翻訳があると最近SNSで仄聞している。
 たまたまそういう領域が重なっただけと考えたいが、ラフガーデン・バトラー・フェデリーチ…どれもLGBTQやフェミニズムに縁のある著者の紹介が日本で遅れている可能性がありはしないか。と言ってもLGBTQ(性的マイノリティ)とフェミニズムは必ずしも一枚岩ではなくて、これも仄聞だから取り扱い注意(「そうなんだ」という軽信や・安易な拡散は控えてください)な情報だけど、フェデリーチには反トランスに対して脇の甘い言動があるという批判もあって、いやむしろ彼女も与するペイガニズム(魔女的な知の復権)を唱えつつ依怙地な反トランス言動をしているTwitter(当時。現X)のアカウントを日本で見たこともあって−この話も前にしましたっけ−そのへんを確認するためにもフェデリーチの他の著作も確認したいのだけど。
 彼女たちの言ってることなら(それを紹介した)他の著作や、(同じような主張をしている)SNS・まとめ動画でも知れるよ…とはならない。(ラフガーデン・バトラー・フェデリーチ)それぞれ己の分野の第一人者的な存在でもあるので、オタク的な言いまわしをするならば「元の著作を読むことでしか得られない栄養がある」。

 改めて言うけれど、少なくとも「日本だけが各国の本を翻訳で読める、世界でも稀有な国」みたいな自負は、昔のことか・あるいは実は一度も真実でなかった幻想だった可能性がある。『となりのトトロ』や『もののけ姫』のジブリ映画を引き合いに出し、日本「だけ」が自然に精霊を見出し・自然と共存する知恵を欧米社会に提供できる、みたいな(そんな思い上がった言説が、しかもリベラルを自称する論客の口から、実際になされたことがあったのだ)幻想が、思い上がった幻想でしかないように。
 左:台湾郊外の猫空で撮影した、鬱蒼と霧に包まれた照葉樹林。右:緑の中に鮮やかな朱色の葉脈を見せる南郷らしい植物。
 繰り返し言うが、日本と韓国と台湾、それぞれ得意分野が違うだけならばいい。けれど何かにつけ悲観的な僕は、日本が(もしかしたら「日本だけが」)海外の著作や創作物・文化に関心をもち、取り入れていくチカラを急速に失ないつつあるのでは、という疑念を新たにしてしまう。
 今年はじめ、世界最大手ハンバーガーチェーンの日本法人が打ち出したキャンペーンの、まさに「落ちぶれた」としか言いようのない貧しさは「今さらこんなことで驚かない」とは思うものの、なかなか暗澹たる気分にさせられるものだった。
これであなたもニューヨークに行った気分に? マクドナルド新TVCM『行った気になる!N.Y.バーガーズ』篇(YouTube/外部リンクが開きます/音声ONにすると人によっては吐き気を催すので注意)
分かってワザとインチキぽくしてるんだよ、冗談だって分かれよと言われるかも知れないけど、インチキの真似をして大路を走らばすなわちインチキなり。そのうち「ワザと程度低くしてるんだよ」と言い訳したインチキの「多様性」しか手に入らない国になっちゃうかもよ…とは思わないのだろうか。
 「世界中が驚嘆し賛美するニッポン」「世界の中心で輝く日本」などと自賛する声は喧(かまびす)しいが、日本を見てくれ(リガルデ・モア)・日本は愛されていると認めさせることばかり必死で、他地域を知ろうと認めようとしない文化・社会が世界の中心で輝けるものだろうか。

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 国立台湾大学のすぐそばに貼られたポスターは、都合4枚・騎楼の柱たった2本を占有しただけの全く局所的なものだった。けれどそのたった4枚、台湾製品のプライドを意味する近年のキャッチフレーズ「MIT(Made In Taiwan)」の真ん中のIを落下する爆弾の形にしたロゴで「Genocide Made In Taiwan」=台湾が自国のテクノロジーをパレスチナ住民虐殺の道具としてイスラエルに供与することを批判するメッセージを台湾の島のシルエットの上に大書した、そのたった4枚(3枚しか撮れませんでした)の、特に「台湾(Taiwan)」という国名を示していたと思しき箇所が執拗に削り落とされているのを見て、
 柱に貼られたポスター三点。台湾の島のシルエットを背景にMIT(たぶんMade In Taiwanの略。真ん中のIは下向きに落下する爆弾の形をしている)同じ「台湾はイスラエルに虐殺の道具を売るな「という内容らしいが、とくに「台湾」を示すと思しき部分が徹底的に削り取らており、文面を判断するのも容易ではない。
(覇権国家としての)アメリカに追随することが、おそらく日本以上に国家存続のため切実な問題であろう台湾では、それを批判する言動・への拒絶もまた、日本で同様の意図によるデモや集会への参加・SNSなどでの意見表明が「忠告」という名のもと中傷されることの比ではない・もっと徹底した拒絶かも知れないと慮られた。
 左:中心となる文面のアップ。「GENOCIDE MADE IN ******(たぶん「TAIWAN」が削られている)」という英文に、漢字で大きく「**(たぶん「台湾」が削られている)製造種族滅絶」の文言。右:ポスターのひとつは右下にパレスチナの国旗をあしらい「ANTIFACSIST ACTION(反ファシストのアクション)・PALESTINE LIBERATION(パレスチナ解放)」と書かれている、その部分のアップ。
(もちろんこのポスター、自分が見たのが・見た時には4枚だけで、もっと大々的に展開されていた可能性はございます)

 これも2026年4月現在の台湾・誠品書店が中山地下書街で猛プッシュしていた馬里・艾密達的七天七夜 The Seven Moons of Maali Almeida』(誠品書店公式/外部リンクが開きます)はスリランカ発のミステリ小説。ミステリなら早川書房か東京創元社が飛びついてるかな?とも思うが−
 中山地下書街の誠品書店・通りに面したショーウィンドウに5冊ずらりと並んだ『馬里・艾密達的七天七夜』・79折(79%に値引き)。
 たぶん日本以上にアメリカ追随を余儀なくされており
 2017年に撮影した、台北のビルの壁面に大きく貼り出された、ドナルド・トランプの肖像をあしらった「MAKE TAIWAN GREAT AGAIN」という看板(ビルボード)。
 日本の影響や文化流入を、日々の豪雨のように受け続けている台湾。
 サツドラ(SAPPORO DRUG STORE・札幌薬粧)の看板。サツドラ、日本(札幌)より先に台湾で知った…
 けれど同時にそこは、日本にいる僕にとっては、タイや(今後の展開によっては)スリランカに向けて開かれた窓でもある。
 出羽守?隣の芝生?舶来上等?そうかも知れない。でも「夜郎自大」よりはいいんじゃないのか
 昔の(戦後)日本だったら、ホルムズ海峡を封鎖したイランとも、もう少し上手く交渉が出来たかも知れないと思うことはある。エビデンスはないけれど「日本を取り戻す」「世界の中心で輝く日本」「世界中に尊敬される日本」と叫ぶ声が大きくなればなるほど、この国は、かつて世界に持っていた交渉のチャンネルを細らせているように見えはしないか。
 世界の広さを垣間みることが出来た嬉しさと、それが目の前で閉ざされていると知る失望感。こんな僕を「邦訳を待てばよかった」と悔しがらせるよう、日本の出版社が奮起してくれることを願えるだろうか。黒薔薇猫に迷宮のミミズ、スリランカのミステリ、ラフガーデン、フェデリーチ。それらを日本語で読める日を待ち、希望することは出来るのだろうか。

 ナンジャモンジャの花樹。白い花のアップ。「流蘇」という向こうでの名前を記したプレート。
 台湾大学の構内で咲き誇っていた、向こうでは流蘇という名がついたナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の花。雨上がりのアスファルトに白く散らばった花弁を見下ろして脳裏に浮かんだ
 雨上がりのアスファルトに白く散らばったナンジャモンジャの花弁。サンダル履きの自分の足も見える。
散ったところもいいねというフレーズは、ずっと昔、ニューヨークを舞台にした成田美名子さんのまんがで(マグノリアの花を見下ろして)主人公が言っていたもの。だいたい散った花が美しいとき、このフレーズが頭に浮かぶ。物語や書物で知った言葉・フレーズが、その後の何十年も、物を見るときの感受性にまで残りつづけることがある。あるいは、そういうタイプの人間がいて、僕はそうなのだろう。
 そういう人間にとって、より広く言葉の世界が開かれていくことは、このうえない喜びであるし、言葉をとおして享受する世界が狭められ縮められ、それを苦とも思わない人たちが狭さを誇りさえすることには、たまらない寂しさを感じたりもするのです。ご静聴ありがとう。

鍵のかかっていない部屋〜山本直樹『エロってなんだろう?』(26.04.19)

 知ってるひとには常識かも知れないが、漫画家の山本直樹氏は別名義のエロ漫画家・森山塔として先行デビューしている。劇画調のドロドロした作品が主だった斯界で少女まんがの華奢な絵柄を取り入れた作風は(吾妻ひでおのような先駆者がいたとはいえ)斬新で、彼の作品を掲載するためだけに創刊された成人漫画誌まであったという…などと言えばもっともらしいが、このへん全て伝聞で。
 馬鹿律義だった僕は自分が未成年だったため森山名義の作品は(当時の規制のユルさなら読みえた気がするが)読もうとせず知る機会を逸した。とゆうか一般向けの山本名義でビッグコミック・スピリッツ誌に初連載されたラブコメ『はっぱ64』だけでも十分にエロチックで、終盤にさしかかっていた高橋留美子『めぞん一刻』めあてで掲載本誌まで読みはじめていた自分は、そのセンス(と色気)に圧倒されたものだ。
 とはいえ、その後も熱心に作品をチェックしつづけるわけでもなく、つかず離れず離れ気味な感じで遠くから活躍を怠りがちに見守って、今日に至る。作品集『フラグメンツ』に収録された「夕方のおともだち」は好きというか、いや好きなんだけど凡庸な公務員の主人公がのめりこんでいくマゾヒズムの世界が(他の収録作も含め)エロというよりホラーで、あまりのエグさに買った単行本はすぐ手放してしまい、でも同作が映画化されるといそいそ観に行ったりしたのも良い思い出である(ほのぼのと人間讃歌すらしている良作でした)。
 1992年には前年刊行された山本名義の作品集『BLUE』が東京都の不健全図書に指定され絶版。「森山塔と山本直樹を本作で融合できた「自分でも納得いく出来だったので、これが埋もれてしまうことはないと思った」と作者が自負するとおり、別の出版社から再販された同作―を読んだ自分は「高校生が制服のまま学校で性行為する内容が不適切」という都側の主旨にも「そんなに問題かなあ?」と思うていどに倫理観がズレていて(実は別の収録作「激しい王様」のほうが問題だったのではと今でもうっすら思っている)作品としても言われるほど画期的かと首をひねる程度に鈍感だった…まあそれはさておき。

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 『夕方のおともだち』以外にも映画・ドラマの原作として引く手あまた。2010年には後述する『レッド』で文化庁の賞も受賞している。作家として押しも押されもせぬ存在なだけでなく、山本氏が一目おくべき存在だったのはTwitter(現X)での発言がきわめて「まとも」だったからだ(僕のほうがXから撤退して氏のポストを見なくなったので「だった」と過去形)。自身が表現規制の矢面筆頭に立った経験もありながら、いわゆる表現の自由戦士=オタク表現の擁護をうたった与党議員などに喝采を送る勢には冷淡で、むしろ政府に批判的な発言も辞さない。
 反戦や反差別のデモに参加し先導するわけではないけれど、彼くらい地位の確立されている作家が大勢(体制)迎合でない発言を当然のようにしてくれるのは「皆がこうであってくれればデモなんて必要ないのに」と思わせるだけのものがある(自身はデモに参加も辞せずな立場からの発言)。
 十代などの若者向けに語りおろされたエロってなんだろう?(ちくまプリマー新書/2025年/外部リンクが開きます)は2月の小ネタでも書いたとおり、池袋の素敵な書店で購入した。2月にも書いたとおり、そのまま電車内では読みにくい本にカバーをありがとうございます。
 夕暮れで灯のついた池袋・新榮堂書店の外観と、同書店のカバーがかかった山本直樹『エロってなんだろう?』書影。
 Twitter(現X)でのポストと同様、至極まともなことを言っている。まともすぎて、どうかしている世の中では憤激を買い「炎上」するのではと思われるくらいに。たとえば(以下引用):
SNSで今「表現の自由」を叫んでいる人たちには僕はだいぶ否定的です。(中略)勘違いしてるなと思うんですよ。セーラー服やブルマを着ているおっぱいが大きな女の子の絵をバスの側面にバーンと出して「それを守ることが大事」と言ってる気持ちが全然わかりません。(中略)
「往来にこういう広告を貼らないでほしい」というのも言論の自由ですよね。嫌だという自由と、いいよという自由があって、それを広告主が判断して取り下げたり取り下げなかったりする。それは公権力が入ってくる場所ではない。(略)
広告を批判する人の一部は公権力が介入するものじゃないってわかってない気がするし、広告を擁護する人の一部は批判も不買運動も公権力による弾圧じゃないってわかっていないんじゃないかな(以下略)
といったくだりには、かつて石原慎太郎都知事が推し進めた「非実在青少年」=創作物の性表現の規制には激しく反発しつつ、反対運動が公の場に「おっぱいが大きな女の子の絵」を貼らせろ・あるいは実在相手の性的搾取まで自由と認めろ(というか非難を許さない)という方向に変質したとき「そっちに行っちゃうの?」と追随する気が失せた僕などは、おおいに共感・同意できる。(同時に彼の権力への拒否感には、たとえばデモが個人を超えた大きな力をもち自走すること−ファナティシズム−への根本的な拒絶もあるのかもなと思い、痛いところを衝かれたとゆうか「ざらりとした気持ち」にもなるのだが割愛)
 本書にはレーガンやサッチャーの新自由主義への批判も、実在する未成年女性が経済的・社会的貧しさから性にすがり搾取されることへの嘆きも(氏は息子と娘を持つ父親でもある)ある。SNSやショート動画のような断片(フラグメンツ)・「切り抜き」のほうが今のひとには便利なのかも知れないが、一冊の本というまとまった形で氏の「まとも」な見解を読めるのは自分などにはありがたいことだ。
 
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 青のつぎは赤、でもないのだろうが文化庁の賞も受けた『レッド』はエロではなく政治=連合赤軍の内ゲバによる破滅を描いた長篇で、一度は読んでおかなければと一晩まんが喫茶にこもって(「夕方のおともだち」の経験から長く手に持ってはおけない作品だと思った)読むべきだったけど、読みたくなかったと激しく落ち込まされた作品だ。作者が敬愛するカート・ヴォネガットの作品の「作中で死ぬ登場人物は名前に*印がついている」というネタをヒントにしたのだろう、主人公たちのプロフィールで「誰それ。死亡(または逮捕)まで○○日」と各々について何度も念押しされる。彼女や彼はもうじき命を落とす・その時はどんどん迫っているのに停めようがないし、じつは読む側も本当に「その時」が来るまで「その意味」を痛感することができない、そんな鉛を呑まされるような「気づき」があった。

 同作が描く連合赤軍の「総括」=仲間うちでの凄惨なリンチ殺人について人の命より言葉のほうが大事になってしまったと端的に言いあらわす著者は、自作の意味や狙いを完全に自覚し言語化している。
 実際ここまで言われると「読み負けた」としか言いようがない。同作(あまりにつらくて結末の浅間山荘の直前・一連の「総括」が終わったところで撤退した)で一番おそろしく、おぞましい場面のひとつは、貴様らは自身の思想を言語化できてない・だから貴様らはダメなんだと拷問まがいの「総括」を繰り返すリーダーが、だったらあんたはどうなんだ自身の思想を言語化できるのかと反論されると即座に、圧倒的な言語量で「自身の思想」を開陳する場面だ。
 『レッド』の一場面。角刈りに太眉・たらこ唇のむしろ体育会系とも見えるリーダーが、読者もついていけないような文字量で自らの革命観を開陳する(てきとうな模写)。文章は適当なサンプルなので(モザイクをかけているが)目をこらして読もうとしなくていい。
作品への感想にせよ、社会への異議申し立てにせよ「言語化できてこそ」というのは本サイトが譲れない立場だ。だから「いいから読め」とか「○○はいいぞ」「語彙力(がない)」「小並感(小学生並みの感想)」「考えるな、感じろ(これは元々ブルース・リーの映画での台詞)」といった言語化する努力の怠りを正当化する「言葉」には冷淡というか「感じたばかりで済ませないで、少しは考えたらどうか」などと断罪してしまう。
 けれど『レッド』は「もっともらしく」言語化できること(そもそも達意とは正反対の=相手に理解させるのでなく、理解できない相手まで圧倒し屈服させる言葉なのだが)など害悪でしかないことを明快なホラーとして描く。リーダーの理解できないほど饒舌な言葉の奔流は「何か分からないけど自分たちには理解できない高度なことを言っている」「この人には逆らえない」とフォロワーたちを圧倒し、むごい暴力を正当化してしまう。そこまで数巻をかけてキャラを立てられてきた、なにしろ山本直樹なので色気も可愛さもある女性たちの顔が(やがて死に至るほどの)激しい殴打でパンパンにふくれあがる。暴走した言葉に、現実の肉体が負かされてしまう。作者(山本)は分かって描いている。
 ちなみに『レッド』の前半には、登場する女性キャラのなかでもとびきり色っぽくて魅力的な、といってもマリリン・モンローや峰不二子(たとえが著しく旧くてすまない)的お色気ムンムンじゃなく、いかにも山本直樹的な少しノンシャランでふつうな感じで、それが突然「キスしよっか」と誘ってきたりする、たまらなく色っぽいお姉さん(お姉さんといってもハタチそこそこ)が登場するんだけど、彼女が前半で早々に警察に捕まってしまい、結果的に残酷な拷問ゲームに参加せずに済むのは陰鬱な同作の、あるかないかの救いだった(そんなんが「救い」な話って…)のだけど、それはまあ別の話。
 そして
「人の命よりも大事なものがあるというのは、全部「原理主義」です。
イスラム教原理主義もキリスト教原理主義もお金原理主義も会社原理主義も国粋主義も、現実とフィクションを混同させるという意味では全部一緒」
(改行は引用者)
と述べる著者はさらに
「さらにいえば、フィクションが現実よりも優先することがすなわち「マチズモ」だと思うのです。
 筋肉モリモリじゃなくても、マッチョなんですよ。オタクでもマッチョだし、女でもマッチョな人がいる。
 そういう人間は頭でっかちなんです。体でっかちじゃなくて、頭でっかち
 マッチョというのは、自分の頭で自分の肉体を完璧にコントロールしたいという欲望だから。つまり、他人も全部コントロールしたいという、それがマチズモです」
(改行は同上。強調も)
と(目ウロコなことを)たたみかける。ああ、ああいうのが「マッチョ」と思い浮かぶ顔がある(永田町の天辺のほうに)。
 マチズモの二つ名(別名)は「トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)」だと思うが、彼らの思想を体現した「言葉」―フェミニズムが打ち出した「MY BODY, MY CHOICE(避妊や中絶など、私の身体のことは私が決める)」を嘲笑った「YOUR BODY, MY CHOICE(お前の身体のことは俺が決める)」は「他人も全部コントロールしたい」頭でっかちの最たるものだ。
 よくネットで見かける「筋肉はすべてを解決する」「筋トレで鬱が治る」と言う人は、自分の意志(頭)で肉体(筋肉)ばかりか精神までコントロールできる(鬱が治る)と考えているのだろう。逆にいえば鬱とは、無理だなんて甘えだという意志(頭)にたいして、心(精神)も身体の一部である、身体の一部としての心が上げる悲鳴だったかも知れない。

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 現実とは「生きて暮らして死ぬ」それだけと断言し、それ以外はすべて「フィクション」「原理主義」「頭でっかち」だとする氏の批判はきわめて真っ当だが、「死ぬ」を落とさず言い添えずにいられない感覚ゆえか、彼じしんの作品には『レッド』のみならず(ひたすら明るい『はっぱ64』ですら主人公は葬儀屋の跡取りだった)時に耐えがたい残酷さや虚無感がただよい、臆病な自分にとっては大好きか苦手かと言われたら「惹かれるけど苦手といえば苦手」な作家である。「こわいもの見たさ」で「見たい」より「こわい」がやや優る感じでしょうか。
 やっぱり個人的には最初に読んだ『はっぱ64』が好きだし、(森山でない)山本名義での最初の長篇になる『まかせなさい!』(全一巻)に登場した主人公の元カノ「烏山千歳・今は結婚して船橋千歳」という小ネタが好きでした。
 世田谷区の地図。千歳烏山駅のある京王線を「至新宿」千歳船橋駅のある東急線を「至渋谷」と困り眉の笑顔で指さす羊帽子の女の子(ひつじちゃん)のイラスト。
 あと山本名義の商業デビュー短篇「私の青空」(単行本『気まぐれハーベスト・ホーム』所収)のモチーフになった(と思われる)哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉に、何十年も遅ればせに読んだヴィトゲンシュタイン当人の著作で再会し「これか!」となったのも近年のいい思い出(24年10月の小ネタ参照)。
 「本当は部屋の鍵なんてかかってないんだ(ないのに)」というのは自著が規制され、あるいは仮想敵をつくりあげ復讐に燃え上がる「表現の自由戦士」や自称「弱者男性」・言葉に囚われた連合赤軍や原理主義者たちを冷ややかに眺める氏にとって存外、創作活動の当初から根本にあった感覚かも知れない。

 余談ついでに言うと、「部屋には鍵がかかってないのに(かかってると思って)出ることが出来ない」というのはニコラス・ローグ監督がデヴィッド・ボウイ主演で撮った映画『地球に落ちてきた男』の重要なエピソードでもありました。このエピソードの残酷さを語るエッセイで、当時大学生だった僕は四方田犬彦氏の著作に出逢ったのですが、話が広がりすぎですね。言葉を現実より優先させてはいけないと戒められつつ、なお言葉を通して世界が広がる喜び(に浸ってしまう度しがたさ)。今週はこのあたりで。

『台湾でしたい50のこと』はじめました(26.04.26)

 久しぶりに小ネタじゃないほうのメイン日記(週記)でも徒然なことを書きますが、例によって心が千々に乱れておりまして。
 神奈川県鎌倉市・大船といえば東京〜さいたま近辺に在住でも京浜東北線(根岸線)の終点として電車や駅掲示板の表示で名前だけは見知ってる人は多いのでは。
 大宮から京浜東北線で横浜を経由して根岸線で大船に至る経路図。大船の近くに大船観音らしき絵を一応添える。また学芸大学駅の場所(渋谷の南)もチェック。
その大船で童話の「小さなおうち」のような(まあ左右も大体こぢんまりした建物だったと思いますが)書店を営んでこられた
ポルベニールブックストア閉店と新(個人)書店主募集(公式/26.04.24/外部リンクが開きます)
のお知らせが。昨年の暮れに学芸大学そばのSUNNY BOY BOOKSも(一昨年の)閉店を確認、個人書店・独立系書店「も」冬の時代なんかなあと思ったら上記のお知らせによれば「個人書店は増えている」とのことで、うーん、「お前は今までに閉店を見届けた書店の数がいくらあったと思ってるんだ」と言えばソレまでだし(最近も別のところで一軒確認しました)書店に限らず店舗あるいは人が何かする期間は、短いとこれくらいなのかも。
・参考:ハン・ミファ韓国の「街の本屋」の生存探究』にことよせた日本の小さな書店の話(22年12月の日記)

 しかし出版界ぜんたいの前途は厳しかろう上に、ホルムズ海峡封鎖の影響も大波で押しよせて来ている(らしい)。
 インクに紙。SNSでは同人誌印刷の価格が5倍に跳ね上がったとか、商業出版でも秋の紙材確保が確約できず注文を受けられないなど厳しい話が散見される。
 僕は一足先に新型コロナ禍を機に(口実に)紙の冊子をやりとりするリアルな即売会からは撤退したのだけれど、今度の「大波」はさらに多くの同人作家を「廃業」に追い込むかも知れない。新型コロナのときを振り返るに、現実面での困難以上に各作家の方々が受けた精神的な打撃・モチベーションの枯渇のが深刻だったようで、僕はひとり「こんな時こそ新作を描かねば」と逆にネット上で作品を濫造していたけれど、まさに孤軍奮闘だった気がする。多くの作家が「こんな時だから自宅でまんがを読もう(私の過去作を読んでください)」と承認欲求だけは衰えない様子に「おためごかし」じゃんと正直がっかりもしたのだけど、まあ責められはしない。
 今度だって精神的な打撃は大きいだろう。逆に今後も即売会の作家として生き残れるのは原油が停まろうがナフサが停まろうが個人出版を続けられる経済的な余裕のあるひとで、そうしたひとは現行の制度に親和性が高く、つまりは同人誌即売会という場所は(ますます)人権だの環境問題だの考えもしない層の社交場になっていくのかも知れない…かなり沢山のひとを敵に回す発言をしているような気もしますが。
 今回閉店の伝えられたポルベニールはSNSのアカウント名で「戦争反対(パレスチナ支援)NO HATE」を掲げる反体制(大勢)の確信犯だけど、そうした発言や意思表明をおそれない作家は今後どれくらい同人誌即売会に残るのだろう。

 一方で、X(旧Twitter)が投稿の自動翻訳をデフォルトにした(おかげで日本語ならバレやしないと撒き散らされていた差別発言が世界じゅうに知れわたり、ちょっとした騒ぎになってるらしい)のに前後して「note」も英語を手始めにコンテンツの自動翻訳を提供しはじめるらしい。微細なニュアンスが伝わらないことや、異なるかも知れない価値観の相手に伝わることを恐れない書き手には、まず文章のほうから可能性が広がったと言えそうだ。
※ラフ原画のまま滞ってる自分の旧新作(SF)では、ある星の文明が星間連合に加盟する条件に「超光速移動ができること」「異星人と言語的な意思疎通ができること」を仮定したけれど、後者は地球レベルでは実現が近いのかも知れない。
※とすれば+再生エネルギーへの転換さえスムーズに為されれば人類は化石燃料依存を脱せるかも知れない…と思いきや「風力や地熱・太陽光でプラスチックは作れない」というのが50年前のSF映画『エイリアン』で人類が他の星系まで原油タンカー宇宙船を運航しなければならない理由になっていた(少なくともアラン・ディーン・フォスターが書いた小説版では)。半世紀も経って、あの設定の説得力を痛感させられるのも皮肉だと思う。
※ちなみに哀れなジョン・ハートのアレをアレして逃げ去った後のエイリアン、何を栄養源にあそこまで大きくなったんだよというツッコミがあったけれど、かなり大きな可能性として輸送してる石油タンクに忍びこんでガブガブ飲ってたのかも知れない。だとすれば人間は捕食対象ではなく純粋に再生産のための足がかりで、そのへん嫌なくらいリアルでもあった…

      *     *     *
 月に一回8ページ程度・即売会に出ていた頃はペーパーまんが=余技として描いていた程度の作品をアップしていけばサイト日記=文章更新の負担を軽減できるのではないか…そう思って始めたまんがですが、すでにこんなに文章も書いちまってますね。序盤そうそう8ページどころか倍ちかくも描いてるし。

 いつまで続くか分かりませんがエッセイまんが『台湾でしたい50のこと』まずは第1話:準備編を更新しました。

今後海外渡航など夢のまた夢となったら「ギリギリのタイミングでいい思いしやがって」と逆恨みの対象にしかならないとか、逆に今後も海外に遊びに行ける富裕層から見たら「こんな貧乏旅行なんの参考にもならない(小籠包フルコースも食べないなんて!)」と蔑まれるだけだろうとか、他に描くべきもの沢山あるだろう(描きますって)とか、悪いけど気にしない

 香山哲さんの『ベルリンうわの空』どの巻だかで「行ける時には思いきり旅行を楽しもう・そして老いるなどして旅行に行けなくなったら、その時のことを思い出して楽しもう」という文言があって、昨年の18きっぷ行もそうでしたが、今回の台湾はとくに(場合によっては)最後の思い出づくりの気持ちが強かった。誰よりも自分のために、自分が読み返して楽しめるかたちで「思い出」を形に残しておこうという動機です。
 おつきあいいただけるかたは、おつきあいいただければ嬉しい。誰か「そうか自分も○○行こう」と思ってもらえれば(そこが台湾でなくても)嬉しいし、「こんなんでイイなら自分だって描きたい・書きたいことがある」とモチベーションになればもっと嬉しい←とくに文章は自動翻訳されるらしいし。
 でもまずは遠くに行くことと、描くことが大好きだった自分のため。
 (続けば)次回の告知は、もっと短くするつもりです。

小ネタ拾遺・26年4月(26.05.02)

(26.04.01)これだけ虚偽にあふれた世の中で、今どきエイプリル・フールでもないのだが、出立の前日、たぶん今年に入って今いちばん旅行に行きたくない(まさに「馬鹿(フール)なの?」)マリッジブルーって、こんな感じですかねえ。てゆうか・空港に行く時間(終電で羽田入り)に寝過ごすとか・空港の中(前泊)で飛行機に乗る時間を寝過ごすとか・飛行機のチケット姓と名を逆で申しこんでて乗せてもらえないとか・72時間以内にメールで送られてくるはずのホテル入館(無人エントランス式)のパスワードがまだ来ない(事実)とか・確定申告がちゃんと税務署に届いてなくて戻ってくるはずのお金が戻ってこないとか(無関係)(26.05.02追記:ちゃんと来ました)、何もトラブルが起きず明日の夕方には無事むこうの宿にチェックインできてる気がすこぶるしない(相当だ)
よおし、不安要素をあらかた書き出したら少し気が楽になってきたぞ。
×睡眠が不足すると(いま不足している)メンタルは沈みがちである
×メンタルが沈むとイライラして怒りっぽくなる(今たぶん怒りっぽくなってる)
これは日々の生活でも言えること。まだコップに半分以上お水は残ってる。パニクる必要はない。着実に、着実に、水を注ぎ足していきましょう。四月、新年度、新学期。今この憂鬱だって学びになる。人生は死ぬまで(ポジティブな意味で)勉強だ。

(26.04.02)そんなわけで、リアルタイムで逐一ご報告などいたしませんが、色々あって台湾に来ています。
 夜の台北駅と満月。
いや、さすがに地上の明かりとかブラシで補正させてもらったわ。

(台湾旅行の話は4/13の週記新作旅行記まんがになりました。なる予定)

(26.04.10)「来月あたりやってみよう」→有言実行の疑似酢豚(黒酢)。悪くない気がする。とゆうか・片栗粉のコロモ感・豚肉・甘酸っぱいソースで自分の酢豚欲の6割くらいは満たされるのかもと知る(この歳になって)…余った豚肉は小さめに刻んで冷凍・そのうち今度は疑似魯肉飯に挑戦。先月買った『ルー・リード 俺の太極拳』も、台湾で買ってきた小説(二冊)もあるし、
 本日の夕餉。片栗粉をまぶした豚ロースの黒酢揚げ焼き(疑似酢豚/椎茸・にんじん・赤パプリカ・玉ねぎ和え)に小松菜の台湾風湯通し・ニラときのこのスープ・白ごはん。横にルー・リード『俺の太極拳』チラ見せ。
 花は盛りで世界は美しい。もう少し社会をまともにしてくださいとは思うけど
 帰国してから撮りまくった花々の画像(カメラロール)
 この歳と、この世の中にしては悪くない誕生日。←明るさは滅びの姿(大宰)とか「燃え尽きるロウソクの最後の輝き的なヤツ」みたいな悲観はさておき、今月に入ってからB/Wで電書を購入くださったかた、ありがとう。

(26.04.12)所用あって千葉県の柏へ。たぶん前世紀くらいまでか−大昔はマルイが入っていた駅前ビル(ファミリかしわ)に喫茶店「こんぱる」を発見、、名古屋では知られたお店が関東のこんなところに支店を出してんだと入店。名古屋のほうでは名物のエビカツサンドはないけれど(この時点で気づけ)さすが「こんぱる」ふつうのホットサンドもうまいな…
 楕円形の白い皿(ボウル)に盛られた右からコンガリ焼き目のついた耳つきパンのサンドイッチ(具材はベーコン・レタス・チーズ)・ブルーベリーソースがかかったヨーグルト・濃厚なドレッシングがかかったレタス。奥にホットコーヒー。
…念のためネット検索で確認し、名古屋の老舗喫茶店はカタカナの「コンパル」・こちらの「こんぱる」は特に関係ない別のお店だと知る。
 そのあと出向いた先の近くにカタクリ自生地なる場所があり足を伸ばすも、もう時季が過ぎてしまったのか咲いているのは白く可憐なスズランばかり。いやスズランだよなあ?(後で調べたらスズランではなくスノーフレークでした。いちおう「鈴蘭」水仙ともいう)でもコレはコレで綺麗なのでと写真を撮っていたら「あ、あのひと写真を撮ってる(あれがカタクリなんだ)」と思ってか思わないでか、四・五人が嬌声をあげながら白い花をバックに互いを撮りはじめて、いや分かんないですよ、分からない。もしかしたら「カタクリを見にきたのにスズランしかなぃ…(T△T)」みたいなSNS投稿のためだったかも知れないし、もとより「流石こんぱる(別のお店)」「スズラン(スノーフレーク)」に何か言える筋合いでもないのだった。
 右から(方向を示す矢印つきで)「カタクリ群生地」のプレート・なるほど水仙のような剣状の葉をもつスノーフレークの群生・スズランのようなスノーフレークの花。
 勘違いでも気づけば笑い話になるし、気づかなくてもしあわせならいいのよ。主に政治の、人の生活に迷惑をかける勘違い以外は。

(26.04.15)安否が不明で情報提供を募る意味もあった時期ならまだ分からなくもないが、不幸にして死亡が確定した今、11歳の子どもの顔写真を報道の名のもとに晒しまくるの自分的には「やめてさしあげろ」「もう休ませてやれ」としか思えない。

(26.04.16)今度こそ人生最後の覚悟で赴いた台湾旅行から帰ってきて1週間、早くも「空港行きの電車に乗り遅れて台湾に行けない悪夢」を見てしまう。本当に自分が厭。まあ「レンジで作る米粉きなこ蒸しパン」(食事処さくらの料理教室/YouTube/外部)が目覚ましく上首尾に出来たので良しとする。ビギナーズラック?知らん知らん。
 左から・ベーキングパウダーできれいに盛り上がったレンチン後の生地・半分に切り分けると目が細かい蒸しパン風の断面・さらに1/4に切り分けミルクティーを添えて。
あと仕上げのラップは(そのために持ってる)シリコンのフタで代用。問題なし。写真の色味が三枚ぜんぶ違うのは補正テク不足だけど写真の色味が三枚ぜんぶ違うのは補正テク不足だけど(自分は現状あまりなくても困らない技能)、大体きなこの色を二倍に濃くしたくらい。

(26.04.17)熱々の焼きマシュマロをチョコレートビスケットでギュッとサンドする「スモア」にも挑戦。ごはん(おまんま)が停まらなくて隣家に借りにいくほど美味しい「ままかり」やストイックな仏教僧が牆(塀)を跳び越えて食べにくるほど美味しい「仏跳牆(未食)」と同系統の、もう一個・もう一個(ワンスモア)と食べたくなることから「スモア」というネーミングに偽りなしか、毎晩すこしずつ食べようと買ってきたチョコビスケットをアッという間に空けてしまう(おえんがー←ままかりの本場・岡山の方言)。まあ絶妙に物足りなくてワンスモアかも知れないけど←急に「あのブドウは酸っぱい」と言い出してますぜ…
 スモアをギュッとつまんだ自分の指(自撮り)。ミルクティーを添えて。
てゆかマシュマロ焼くだけで、あんな美味しいとは思わなかった。焼かずにマシュマロを語るなかれ(自戒)。

(26.04.19)そして有言実行の疑似魯肉飯。やはり豚ロース肉では皮つきバラ肉のようなトロトロの柔らかさは出ない気がするが、代わりに冷えると白く層を成すほどの脂も出なくて、改めて豚バラ肉(しかも皮つき)のカロリーその他が思いやられるなど。しかしソレが美味しいんですよなあ…「にくづき(月)に旨いと書いて脂」とは、よく言ったもの。
 疑似魯肉飯(煮玉子添え)・小松菜とパプリカの湯通し・お味噌汁(ニラと油揚げ)とお茶(ほぼ茶器のフチしか写ってない)の写真。

(26.04.19)ビギナーズラックにあらず二回目きなこ蒸しパンも大成功・気を良くして挑んだふわふわヨーグルト蒸しパン(食事処さくら/YouTube/外部リンクが開きます)は一番お安いヨーグルト(無加糖プレーン)を使っても余裕のふんわり感で市販のチーズ蒸しパンに遜色なし。違うのは味がヨーグルトの酸味というだけ・今日はこれをおやつに国会前でのんびりしてました。【戦争反対
 つぶれないようタッパーに詰めたヨーグルト蒸しパン(ラップ包み)と文字だけのプラカ「また石油に困って、また無謀な戦争へ。【日本を取り戻す】ってそういう事?」
(26.04.22追記)そういえば国会包囲デモ(朝日新聞/26.04.19/外部リンクが開きます)の帰り、散歩日和だったのと交通費惜しさに(かわいそう)(誰だサヨクのデモには日当が出るとかデマ流してんの)永田町から品川まで歩くことにしたら、国会からすぐのところで霞が関ビルに遭遇してました。池袋のサンシャイン60(240m・1978年竣工)が出来るまでは日本で最高層の―と思っていたけど実際には浜松町の世界貿易センタービル(旧)がすぐ追い抜いたらしいが―36階建て156メートル、1968年竣工。
 画像三枚。左から:緑ゆたかな中ベンチなどしつらえられた霞が関のエリートが通勤するエリア。見上げても全貌を収めきれない霞が関ビル。「霞が関ビルディング」と表示された部分のアップ。
今は都庁(243m)や大阪のあべのハルカス(300m)・横浜のランドマークタワー(273m)など超々高層のビルが林立してるけど、やっぱり善くも悪しくも戦後史を画する記念碑のひとつ(たぶん)。自民サンが身の程も知らんと戦争国家に邁進かましてはるおかげで思わぬ景色を見れまして、ほんま高市サマサマどすわぁ(イヤミ)。

(26.04.20)先月ルー・リードの誕生日(3/2)に買ったまま、今月の自分の誕生日プレゼントにと取っておいた国書刊行会『ルー・リード 俺の太極拳』。買ってすぐ少しだけ開いたら名プロデューサーのボブ・エズリンが「実は私も武道経験者」サラッと語ってて(先月の小ネタ拾遺の最初のほう参照)げひゃーって驚いたんですけど、満を持して最初から読みはじめるとトニー・ヴィスコンティ「私も80年頃から太極拳を始めてて」イギー・ポップ「俺は89年から気功を」なんだ、何なんだアンタら。
ワムウ(WHAM!)とかエシディシ(AC/DC)とかミュージシャンの名前を強引に借りたキャラに超人バトルをさせていた『ジョジョの奇妙な冒険』の作者がこのあたり早期に知ってたらチーム編成が変わってたかも…エズリンのスタンド「ザ・ウォール!」とかヴィスコンティのスタンド「エレクトリック・ウォリアー(電気の武者)!とか…あ、イギーは居ましたね犬だけどスタンド使いという設定で…
 イラスト。「エズリンのスタンド『ザ・ウォール!』」という台詞とともにジョジョ風のポーズをとったボブ・エズリンに、顔が映画『ピンクフロイド・ザ・ウォール』のポスターの悲鳴を上げる男の顔で全身が白いレンガ壁のスタンド「ザ・ウォール」。効果音に「ウマグマァ」と勢いで描いたけどウマグマはエズリンプロデュースちゃうで
(26.04.21)でも武道経験の有無はさておき、70年代グラム界隈でブイブイ言わしてた勢ではイーノ先生が一番「武闘派」だったオチ(※平和的な運動です)…今や、こういう記事で筆頭に来ちゃう存在だもの:
ブライアン・イーノ/マッシヴ・アタック/ポール・ウェラーら千組以上のアーティストがユーロビジョン・ソング・コンテストのボイコットを呼びかけ(amass/26.04.21/反ユダヤ主義ではなく「虐殺を続ける国家イスラエルに対する抗議」であることに注意/外部リンクが開きます)
いやさ、もともと音楽性だけで好きになったミュージシャンが老境に差しかかって、こうも政治的に恃めるひとになろうとは(逆の残念なケースはよくあるだけに)思わんでしょ。だって若い頃こうですよ?(ebayのオークション画像/外部リンク)

(26.04.23)映画館に足を運んだのは10ヶ月ぶりくらい?「それで何故そんな映画を」と思われるか「ああ舞村さん(仮名)好きそう」と思われるか分からないけど誘拐犯の要求がお前が異星人なのは分かってるんだ、地球から手を引けという以外ほぼ何の予備知識もなく(どういう予備知識だ)ブゴニア(公式/外部リンクが開きます)観賞。アンドロメダ皇帝の手先がミツバチも人類も滅ぼすつもりだと信じて疑わない犯人から逃れるべく、犯人の家庭の事情を逆手に取り、共犯者の籠絡を試み、ついには「そうとも私は異星人だ」と乗って見せたりと知略の限りを尽くす(?)巨大企業のCEOエマ・ストーンの出演料に全てをつぎこんだ低予算作品かと思いきや、それにしては冒頭の巨大企業の借りたんだかセットだか社屋のスケールが半端なかったと気づく間もなくストーリーは二転三転さらに四転(懐かしいなおい)「そんなところに金を使ってどうする」とあきれるほどのラスト3分・問題ありありの結末に、しかし内心「よくやった!」と喝采してしまった自分の心の闇よ。僕が色々あって特にハリウッド作品から距離をおいてる間に名声を確立していた監督のことはよく知らないが、制作アリ・アスターの名前に「お前か!」と納得するなど。公式サイトあるある「各界からコメント」筆頭が東スポのUFO記事担当…そんな映画。そんな映画と知って観たくなる人は(たぶん)観て損なし。
(同日追記)
でも完全おちゃらけバカ映画というわけでもなく、人を生体の生命維持だけの対象として扱い個々の人格や人生をむしろ侵害する生政治がハイテク・バイテク企業と結びつき「生経済」となってる実情や、その中(社会というか企業社会)では最下層や周縁に追いやられた者がネットでは世界とつながってる(陰謀論を通してだけど)とか、そもそも強い攻撃力をもち自分の意見を曲げる気がないイカれた相手とどう対峙するか(主人公のCEOは朝のルーティーンに護身術のトレーニングを怠りなかったけれど暴力には為すすべもなかった)等々、ミツバチの大量死もふくめ使われてるパーツはどれも絵空事でないこと。あるいは高度におかしくなった今の世界では悪い冗談と現実の区別はもうつかないのかも知れない、というのが本作の教訓かも。もう現実が悪い冗談だから。いやな教訓だなあ。

(26.04.24)つい先日「お財布のココに入れてたはずなのに」と二ヶ月くらい紛失を放ったらかしていたキャッシュカードを一念発起して再発行願うかと窓口に申し出る15歩前「お財布のココ」が二層(二段)になってて隠れてた層から出てきたばかりの自分なので、今日は今日とて一本しかないスマートフォンの充電ケーブルが出てこないまま充電15%を切ったが動じない。あした土曜日だし必ず部屋の何処かから出てくる。今日は探す気力もない。動じない。
(26.04.25追記)あわてず騒がす、充電9%になったスマートフォンでポイントカード画面を開き、ヨ○バシカメラで替えのケーブルを購入。大概こうすると紛失したほうも出てくるんだけど、まあいいでしょ。出てきたら災害用スーツケースのほうに移そう。

(26.04.26)スピーチに立ったその女性はコインランドリーで使い方が分からず困ってた若者に話しかけたら『鋼の錬金術師』などのアニメに憧れて日本に来たという中国人で、けれど次に出てきた言葉は「日本人は中国人が嫌いですか?」でショックを受けたという話をされた。ハタチか25そこそこの若者が、たまさか親切にしてくれた初対面の相手にそんな吐露をしなければならない、この国は何なんだと。
新宿で毎月開催されている入管法改悪反対のスタンディングに参加してきました。
見た目でも全く分からない・語尾が「〜ッス」な完璧な日本語で軽快に話しながら難民の身の上だというかた、あるいはLGBTのひとや性暴力サバイバーのかたが「外国人差別も他人事ではないから」とまだ寒い4月の路上で言葉をつむぐのを傍らで聞きながら「マジョリティである恥辱」で頭が下がるばかり。
 ラーメン(野方ホープ)の写真にキャプション「デモに参加・ましてスピーチなんかした日には足はガクガク震えるし心が炭水化物と脂質を欲するんよ分かってくれ…野菜(別盛りのたっぷり温野菜)も摂ってるから許してほしい…」
あ、いや↑喋るのは大変だぞと脅してるわけじゃなくて、なるべく多くのひとに唇を緩めてほしい。
自分は
1)直前に衆院でスピード採決された外国人在留手数料の法外な値上げも、武器輸出への路線転換も、今まで日本社会が築き上げてきた信頼を(自分のものでもない貯金を勝手に取り崩すように)毀損する行為でどうかしてる
2)そうした信頼(があったとして)は日本人だけでなく中華街の中国系やコリアタウンの韓国系(朝鮮系)・あるいは難民やその他の外国から来た人々が一緒になって培ってきたものだろうに
道ゆく人の関心を引くためと自身の不安もあってナフサや原油の供給危機(自分は悲観的なので3.11や新型コロナくらいの試練を覚悟しているという話をしました)に絡めて
3)もし危機を回避できたなら、それは現場の人たちの血を流すような努力のおかげで、けっして政府の手柄ではない(むしろ政府は供給不足は業者の「目詰まり」のせいと責任を転嫁している)
4)懸念どおり危機を迎えたなら、その時こそパニックで外国人を攻撃したりしないよう冷静を保ってほしい(百年前に一度やらかしてるんだから)
という話をしました、実にたどたどしく。

(26.04.27追記)新宿の入管法反対スタンディングで貰ったお菓子が日本(しかも地元ヨコハマ・金沢区)製造でハラル認証を取得済み。調べてみたら(横浜では結構よく見かける)ガトー・ド・ボワイヤージュの商品でした。
ハラール認証取得商品(ガトー・ド・ボワイヤージュ/外部リンクが開きます)
親会社の製造元はこちら↓食品ロス削減・農産物の国内自給率向上などにも取り組んでいる由。
株式会社ジャルダン・シュクレ(横浜企業経営支援財団/外部リンクが開きます)
 写真左:「幸せを呼ぶ馬車道・馬蹄パイ(シュガーバター)」の名前どおり馬蹄形をした7cmくらいのパイ(さくさく)。写真右:パッケージの裏「包装プラ(リサイクル)」と一緒にハラル認証のマーク。
排外主義がトップダウンで広がる一方、世界をつないでいく流れも着実にある。僕はどんな場所でも「自分はここにいる資格がない」と思ってしまう病気みたいなものを患っているので(それが客観的には取り越し苦労なことも分かっているけど、分かってなお自己否定がやめられないのが病気たる所以)入管法改悪反対のデモでも「場違いな人間がしゃしゃり出ている」という気持ちをどうしても払拭できないのだけれど、こういう外角ギリギリを攻めてアウトみたいなプラカを掲げるのも(その場に相応しくはないかも知れないにせよ)ロングレンジでは間違ってないのかなと安堵が少しあった→
 自分がデモに持ってってるプラカ。「ラインの引き方は二つある」というキャプションで、猫とクマの着ぐるみを着たこども二人の「間を分断するために赤い線が引かれている」絵と「二人が赤い紐の両端を互いに持っている」絵。
ただ、両者(分断と共存)はせめぎ合っているのであって、放っておけば後者になってくれるわけではない←これはショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』の怒りをこめた告発で学んだこと(23年2月の日記参照)。皆コップの水がもう半分しかないとかまだ半分あるとか言うのに夢中だけど誰かが水を注ぎ足さなきゃ半分ですらなくなるんよ

(26.04.29)いつも冷たいのばかり作ってるので温蕎麦は久しぶり。トッピングに衣をつけて揚げ焼きにした竹輪とブナシメジ、そして野食ハンター茸本(たけもと)さんによればトップクラスに美味しい山菜(山菜?)だという葛(クズ)の先っちょ。画像にチョイ映ってるとおり剥がした外皮を見るに取れ高はまあアレなのだけど確かにクセのない食べやすさで、しかし今夏以降これを皆が死に物狂いで奪いあう状況にならなければ良いなあと願うばかり。
 左:袋のなかで「めんつゆ」に外皮ごと漬けこんだ葛の先っちょ(20cmくらい)。右:他の器に分けた硬い外皮と、天かす・ちくわの磯辺焼き・同じく衣をつけて焼いたブナシメジの塊とともに葛の柔らかい芯を山菜風にトッピングした温蕎麦。

(26.04.30)駆け込みでプリンスのこと。亡くなったのは2016年の4月。その30年も前に「時に僕は生命に終わりなんてなければと願うけど/すべて善きものは永続はしないものらしい」と唄う屈指のバラードに「四月」なんて題をつけていたことから、その「四月」に自身が逝ってしまうなんて―という喪失感を、多くのファンが共有したはずだ。
Prince - Sometimes It Snows in April(YouTube/外部リンクが開きます)
地元ヨコハマの某所に「10代限定・中古ギター屋(2階)」という粋な看板を見かけて、まあ自分が10代だったのなんて前世紀だもんで階段は上がらず横を通りすぎたのだけど、その看板と屋号らしきものの他に1枚、なぜか殿下の写真が貼られていて(ギターヒーローでもあったので不思議ではないのですが)、件の歌詞が永遠には生きられないと唄ったあと最後に「過去になるまで愛は愛じゃない(And love, it isn't love until it's past)」という謎めいた一節で締めくくられていたのを思い出した。取り返せないと知ってようやく本当の愛が始まる、という意味だとしたら、それはなんて残酷で、けれど不思議な慰めに満ちた言葉なのだろう。永遠ではないにしても、その愛はもう少し長く続くのだ、たぶん。Rest In Peace.また来月。
(また来月と言いながら超絶どうでもいい同日追記)
でも良い曲だから聴いてくれ。「Feel Better, Feel Good, Feel Wonderful」て、もう聴く前からゴキゲンじゃんてマル分かりなナンバーなんだけど、YouTubeの記載も、実はCDを読みこんだ時につけられるタイトルも語順が間違っている:
Prince - Feel Good, Feel Better, Feel Wonderful(YouTube/外部リンク)
たぶん殿下は唄ったときのリズムの良さでそうしたんだけど、理屈でとゆうか先入観で「よくなって→もっとよくなって→素晴らしくなる」に決まってると思っちゃったんでしょうね、ちょっと可愛い間違いだなあと思ったのでショモないけど追記。今度こそまた来月。
(05.01の朝6時に追記)
ほーら公式は語順も正しいんだよ。5月です。
Prince - Feel Better, Feel Good, Feel Wonderful(同)


 

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