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とんこつとAI〜『アタリ文明論講義』(26.07.05)

 物は言いよう、とゆうか、受け止めようなのかも。
 とんこつラーメンの独特の匂いは細菌由来なのでは…という話を、僕は菌的なものが繁殖しない「工夫」をしたら「臭い(におい)」を「抑えられた」という文脈で聞き知っていたのが、その「菌」がバクテリア以前の古細菌だと特定したのが九州の大学の先生で「あの匂いがないと物足りない」「特定できてスゴい(自賛)やったなぁと」ポジティブに捉える人だったというニュース。好きこそ物のあはれなりけり、という感じで実に好いですね。
”クサウマ”豚骨ラーメンは発酵食品だった スープの中に35億年以上前から存在する古細菌「スルフォホボコッカス」発見 専門家がDNA解析(RKB毎日放送NEWS/26.06.30/外部リンクが開きます)
 臭い(におい)を抑えることに「成功」したのは地元九州ではなく、とんこつラーメンを他所の客でも受け容れやすいようローカライズした東京の「九州ラーメン店」だった…というのは話が上手すぎなので僕の記憶の捏造な可能性が高い(だったら書くなよ)のだけど―東京であれ何処であれ、それを「臭い」と捉えたラーメン店は「臭い」さえ抑えられれば、その正体は特定されなくても良かったというのは、ちょっと面白い。あ、いや、違う
 とんこつラーメンの豚骨臭を「匂い」何なら「香り」だと思ってるラーメン店もまた、菌の種類が分からなくとも「匂い」をもつ原スープさえ特定できれば後はそれをキープできれば良かった。スープをキープ。まあそれはいい。ラーメン店がライセンスを与えて売ってるお土産用のラーメンでも「あの匂い」を出したい大学教授だけが「原因」を、「因果関係」を突き止めた。
 言い替えると「因果関係」を特定できなくても「相関関係」が分かれば、とんこつラーメンの「匂い」を出したり「臭い」を抑えたりは出来る。
 …もう察しのついた人もいるだろう。本サイトの(少なくとも近頃の)定番パターンだ。
 似たような話を、たまさか読んでいた本で(再)認識したところだったのだ

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 ジャック・アタリアタリ文明論講義(原著2015年/林昌宏訳・ちくま学芸文庫2016年/外部リンクが開きます)
 正直に言いますが、この邦題は本書の内容を正しく反映はしていない。フランス語での原題そのままの邦訳副題「未来は予測できるか」も正直あまり正しくない。あ、いや、たしかに「未来は予測できるか」がテーマなんだけど、著者から期待できる「こうして私は未来を予測している」「あなたも未来を予測できる」メソッドの話は最後の1/10くらいしかない。
 残り9割…とは言わないが、前半の5割は古来より人類が、どのようにして未来を予測しようと試みてきた、その歴史だ。未来の歴史ではなく「未来予測の歴史」。手相占い・占星術・神のお告げ―いずれもアタリ氏自身が説く「メソッド」には役に立たない迷信・を「こんなこと信じてきたんですよ、人類って面白いですよね」と総ざらえする本。まあ余技・または余戯として書かれた本なんじゃないかなあ。契約で何か一冊出さなきゃいけなかったとか(すべて何の根拠もない憶測です)。そう割り引いて読むと、んー、読み物としては面白いんじゃないでしょうか。僕はソコソコ面白く読みました。
 思えば昨年ハマった14世紀の歴史書=イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』(昨年8月の日記参照)も「私自身はこんなの毫も信じていないけれど、何が信じられてきたかは歴史の重要な構成要素だから」とばかりに著者自身が虚妄と断定する砂占いやお告げ板のシステムを延々と詳述していた。そういうものなのだろう。
 アタリ先生の著書に話を戻すと、いわく「中国では、未来を占うためにカラスの動きを観察する」。第一作『ボーン・コレクター』がデンゼル・ワシントン主演で映画化もされたジェフリー・ディーヴァー「車椅子探偵リンカーン・ライム」シリーズの第三作だか四作目だった『石の猿』という小説では、犯罪組織「蛇頭」を追ってNYにやってきた中国の刑事が「重要な手がかりがあった。いま私が見たカラスの動きは―うわああ呆れた目で見ないでくれ!ちゃんと意味のある話なんだ!」と言い出す場面があったけれど、読んで20年くらい経った今思うに、あれはかなり正しく彼の国の伝統(だと西洋で思われているもの?)を描写していたのかも知れない。
 あるいはいわく、アレクサンダー大王の軍隊は専用の占い鳥の飛びっぷりで作戦を決めていたが、あるとき兵の一人が飛んでるその鳥をウッカリだか悪意でか矢で射落としてしまった。なんてことすんだ、吾が軍の将来がかかっていた鳥だぞという叱責に兵士ぬけぬけと答えるに「自分が殺されるのさえ予想していなかったのだから、その鳥に未来を知る能力などあるわけがない」(タムルードに書かれているという小咄)。

 驚いたのはアタリ先生が、日本人も「九九」や惑星の配列なみに暗誦しているであろう「十二支」について「仏陀が地上を去り、涅槃に入ったときに仏陀の呼びかけに答えた一二の動物の名がつけられている」と書いていることだ。いや初耳なんですけど。てゆか、ある時「競走で上位12番までに入った動物を干支にしよう」と誰かが言い出して、一位の牛の首にひっついてたネズミがゴールで先に飛び出して最初の干支になり、競走の日は翌日とネズミに騙された猫は干支に入れなかった(それで猫はネズミを追い回すようになった)話しか知らんのですけど!?
 福島県双葉郡・葛尾(かつらお)村の情報を紹介するサイトの記事が丁度よかったので引用すると、
意外と知られていない涅槃像のこと(葛尾コラム/22.02.03/外部リンクが開きます)
寛延三年(1750年)葛尾村の薬師寺に寄贈された涅槃図には「50くらいの動物たちが描かれています。その中には、ゾウなど当時の日本では見ることができなかった動物や(以下略)とのことで、いや龍がいるようには見えないし、逆にゾウは十二支の中にはいない。ちなみに「50種くらいの動物の中に、ネコはいません。これはネズミがお釈迦様の使いとされていることに由来します」ということで、確かに猫は涅槃図に居ないのだが、居ない理由はネズミに騙されたからではなさそうだ。
 さらにWikipediaで「十二支」を調べてみると(こちら/外部リンクが開きます)
 それ自体は動物に関係のない子丑寅卯…という十二支の漢字が先にあって、音の似ている動物の名を「当て字」で落とし込んでいったという白川静の説があるようだ←斜め読みの雑な読解なのだが(何しろ色んな説や解説が錯綜していて読みにくい)少なくとも動物たちの競走で決めたわけではない。釈迦の入滅に立ち会った十二の動物だというアタリ氏の説も、面白いけど出所不明のマイナーな説という理解で今のところは落ち着きそうだ(僕の中では)。
 Wikipediaの記事によれば、ベトナムでは卯年にあたる年が兎ではなく「猫年」となるともいう。出典として貼ってあった三年前の記事をそのまま転用しておくので、猫好きな人は見て癒やされてください。ベトナムに行くなら卯年の旧正月に。
ベトナムは「ねこ年」旧正月の準備着々(AFP BB News/23.01.20/外部リンクが開きます)
 ベトナムの招き猫を模写したイラストにキャプション:ベトナムの卯年(ねこ年)記事の現地写真に「招き猫」が沢山写ってるのどうゆうこと?招き猫ってアジア共通なの?と思ったひとは各自で調べてくださいな(舞村も調べたけど)
 ちなみに、ちなみにで気になること全部を(調べて)書いてたら、終わる文章も終わりやしない。未来予測に話を戻そう。

 個別的な占いとは違い、大づかみな世界観による未来予想(そして過去の理解)として「まず黄金時代があって次に銀の時代となり銅の時代となり、今は鉄の時代で争いが絶えない」とか「人類はどんどん堕落していくので最後に裁きの時が来るだろう」など、おおむね下降史観に基づく終末論が古来から多かったようだ。誰しも避けられない衰えや死・あるいは長じるにすれ生じる世の中への失望を、民族や人類ぜんたいに投影した結果かも知れない。下降史観といえば昔「昭和になってこのかた、夕立も雷もショボショボしてる。明治の雷はもっとドドンと落ちて、その後カラッと晴れ上がったもんだ」なんて言い草まであったらしい(ほらまた横道に逸れている)。
 ただし気象の変化は(明治を懐かしむ偏屈の屁理屈であったりもするが)観測データに基づき科学的に量れるものでもある。
 アタリ先生いわくデルフォイの神託や、コーヒーを淹れた後の茶殻の形など「予言」「予想」の形で知ろうとされてきた未来は、歴史がくだるにつれ、だいぶ科学的・かなり実証的な「予測」で推し量られるようになってくる。遠方との貿易による保険の必要や利子の発生、さらには複利の出現により、経済の分野では未来が計算によって描けるようになる。
 けれどやっぱり、全てのメカニズムを測定し計算し未来を知ることなど「科学」「実証」を名乗っても、そうは出来ない。階級闘争の歴史は必然的に社会主義ひいては共産主義社会の到来に帰結するだろうというマルクスの「科学的」唯物論は、マヤの予言やノストラダムスの予言なみに盛大に外れた。その共産主義を実現しようとしたソ連では「科学」はむしろデータの捏造に帰結し、誤った農業政策で多大な死者を出した。なんだかサヨクの悪口ばかりみたいだが、ソ連が倒れ歴史は終わった・後は自由主義が勝ちつづけるだけという「予言」も、もっぱら自由主義じたいの自壊で怪しくなりつつある…

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 …そこでようやく今回の本題に戻る。理論による「科学的」な未来予測が怪しくなる一方で、台頭してきたのが「相関関係」による「予想」だったとアタリ氏は言うのだ。
「コンピュータは、因果関係ではなく、相関関係を見つけるだけの新たなテクニックを多用する」
「だが、相関関係がなぜ今後も続くのかについては誰も解明しようとしない」

動物が地震を予知するメカニズムは不明なままでも、動物の異常行動を前兆として地震の発生を予測できる。とんこつスープの匂いの素が特定できなくても、経験則で臭い(におい)を抑えたり、好ましい匂いを増やしたりできる。
 干支が一周するくらい前にリリースされた、Insect Taboo(InsestではなくInsect)という謎ユニットのアルバムに―うろ憶えなのだけど―仕組みはサッパリ分からなーい♪だけど操作は出来ーるー♪というワンコーラスだけで終わる謎ソングがあったが(しかも「Principle of the World」という曲名)あれは存外、現代人のテーマソングに相応しかったかも知れない。
 「人は皆があると言えば行ったこともない国の存在でも信じる」というポール・ヴェーヌの議論(22年12月の日記参照)を蒸し返すべきだろうか。「手相や神託なんかを信じていた蒙昧な古人と比べて、現代の吾々は科学的に実証的に、理性的に物事を考えている」と自負する分、かえって現代人は輪をかけて蒙昧だという話だ。コンピュータの発達によって、膨大なデータの集積と分析が可能になれば尚更そうなる。極端な話、仮に「青一色の打ち上げ花火が上がった翌日は晴れる」というデータが統計で取れれば、そこにどんな理由があろうとも…いや、馬鹿馬鹿しいからやめよう…豪雨災害が予想された前の晩に青い花火を上げてみる価値はあるかないか…
 今やめてみた極端なたとえでも分かるように、相関関係による類推にも限界がある。ワインの摂取と長寿には相関関係がありそうだというので一時期ポリフェノールの効果などが原因として推定されたけれど、「ワインを恒常的に摂取できるのは豊かな階層で、長寿はむしろ豊かさと相関関係にある」という反論が出たり、結局ワインもアルコール摂取なので適度でも何でも身体には悪いという反証が出たりしているらしい(あいまいな記憶に基づく叙述なので、これも振りかざしたい人はきちんと調べてください)。

 1)それでもコンピュータを援用した大量データ処理に基づく類推(理論ではない)は「AI」の普及により、さらに爆発的に人類に受け容れられつつあるようだ。
 2)様々な質問に答えてくれるAIは、しかし質問に対する答えを「考えて」いるわけではなく、ただクラウド上の膨大なデータから統計的に正しそうな答えを集計で得ているだけだ、という僕の理解は合っているのだろうか。いまAI自身に「あなたは思考しているの、それとも統計をまとめているだけ?」もっとハッキリ「あなたが自我を持ち思考する日(シンギュラリティ)は来るの?」と訊いたら、AIは何と答えるのだろう。いや、それをAIに問うことに何の意味があるのだろう、AIの答えがネットに蓄積された吾々自身の見解の総和でしかないのなら?
 3)アタリ氏の著作によれば、たとえばSNSでの「喘息」に関するポストの増減は、病院に来院する喘息患者の数と相関関係があるのでデータの収集によって病院側は「予測」を人員の配置や病床の増減に役立てられるという。同様のことが株式の売買にも応用できるとか。これはすでに「予測」ではない、すでに起きている体調不良や株式売買への関心を(少しばかり)先んじて知ることが出来たというタイムラグの問題ではないか。ちょうど情報網の充実によって戦争の勝敗やタイタニック号の沈没を他社より先に知った会社が儲けを出したという、氏が書いているエピソードのように。
 4)株の売買については予言の自己成就、という概念も頭にちらつく。○○銀行の経営が危ないらしいという「予言」を信じた人たちが解約や預金の引き落としに殺到し、本当に銀行がつぶれてしまうというアレだ。
 本当は1)AIの普及・3)SNS統計による来院や株売買の「予測」・2)AIは自身が考えているだけではなく単に吾々の総意をまとめているだけ(では?)・4)予言の自己成就、という順番で文章をまとめるべきだったのかも知れない。ただ自身が文章なり何なりを構成するうえでは1)正→2)反→3)正→4)反と自分のなかで対話のピンポンが続くし、一度そうして構成されてしまったものを1)→3)→2)→4)と構成しなおすのは、思考するのとはまた別の脳の部位が必要なのだ。
 今回の週記で最後の横道逸れをするならば(前にも書いたかもだけど)フーコー『性の歴史』の一冊目も、性じゃないや正→反→正→反の連続で、もうちょっと正正正→反反反みたく整理しておくれよと思ったものだけど、存外フーコーもそうした内的対話の人だったのかも知れない、や、少なくとも『正の歴史』じゃないや『性の歴史I』はそうだった。何の話でしたっけ。
 そう、最後の横道の話でした。とゆうか今回の週記ぜんたいが大きな迂回で
5)皆がAIの託宣に夢中なのも、実は統計でまとめられた大数=吾々の総意という鏡をのぞきこんでるだけ・だとすると若干いじらしい(そんなに皆さびしくて「みんなと一緒」が良いのかしら)反面、合わせ鏡をずっと覗いてると閉じた無限の鏡像の深淵から鬼だか悪魔だかが出てくる迷信がなかったっけと思ったりもするのでした。それは鏡像(類推)であってプリンシプル(of the World)ではないのだから…
 …という結論めいたものすらスッ飛ばして
 写真。麺ダイニング「福」の九州ラーメン白と博多酢もつ、『アタリ文明論講義』
「そんなわけで、長年入りそびれていた近所のラーメン屋で九州ラーメンを食べてきました」で今回は良い気もする。「これが発酵食品とはねえ」と言うには、もっと真っ白な博多ラーメンみたいなお店があれば尚よかったのだろうけど、まあそれは別の日に縁があればということで。

『台湾でしたい50のこと』第3話アップしました(26.07.26)

 予定というか当初の目論見では月1回のペースで更新するつもりだった旅行エッセイまんが『台湾でしたい50のこと』第3話は倍の2ヵ月かかってしまいました。
 しょうじき本気で取り組みたい作品は他にあって(GF×異星人とか)本作はある意味じぶんの中では「余技」または「余戯」みたいな位置づけだったのだけど、こうも執筆に時間を取られると「場合によっては(うっかりしたら)これが遺作」みたいな事態も、ありえないではない。サクサク描き進めたいのだけど、同時に大事にしなければと思う次第。その意味で、どうせ遅れてるのだしと、描く予定はなかった(エブリデイ・レインボウは当初から入れる予定だった)圓山での父の姿を加筆できたのは自分にとって好かったと思っています。
 2019年・圓山の仏具店というか日本でいうダルマさんサイズの仏像が並んだ仏像店。

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 第3話で描きたかったことの一つは「おまけ(2)」で描いた「折りたたみ傘のシワはアイロンで伸ばせる」で、ちなみに富雨洋傘は「お買い上げいただいた傘は永年(無料だったと思う)修理保証」を謳っているけれど、さすがに日本に持ち帰ってしまったら自分で手入れするしかなかろう、ということで、横浜の時に恐ろしい強風で骨がポキンとやられない限り、大事に大事に使っていこうと思っている現在。
 同様に長年「これを直すのは無理だろう」と思っていたのが、着ては脱ぎ洗って干してまた着て…を繰り返すうちTシャツの首まわりがヨレヨレに波打つなのだけど、実はこれも直せる・少なくとも緩和できると近ごろ知った。
首元がヨレヨレになったTシャツ。元に戻す裏技は「氷水」だった(TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」2025.05.07/外部リンクが開きます)
 コレ、「こんなに見事にヨレヨレが緩和できるんですよぉ」と写真でも撮っておけばと気づいたのが実際に氷水で試して「あ、本当に上手くいった」アフターになってからで(馬鹿だなあ)またすぐ「ビフォー」になるだろうと思ったら、今度はなかなか(再び)ヨレヨレにならない。それはもちろん素晴らしいことなんだけど

 もう20年以上も前に書いたエマールという短い小説は、長年つれあいに家事を任せきりだった男性が一人になって、お弁当を自分で作ったり「エマール」でセーターを洗ったり私は初めて『生活』というものを自分でしてみることを面白がっているのですと微笑む話で、書いた本人もけっこう気に入っている。とゆうか、あれは一種の自画像で(まあ現実の自分はミニスカートが似合う女子高生に好かれたりはしないのだけど)「生活」を愉しむ初心者の気分は、今もずっと脱けきらない。
 言い替えると自分は、いつまで経っても「生活」でも仕事でも人間関係でも、おおよそ「馴染む」ということが出来ない人生不適合者・とば口で逡巡しつづける永遠の初心者(アマチュア)であるよう自らに呪いをかけているわけだが―20年よりもっと前の有名なまんがで「君はプロフェッサー(教授)にはなれない―せいぜいマスター(修士)だ」と言われた主人公でも最後はプロフェッサーになったのではなかったか―アマチュアの語源がラテン語の「amator(愛する人)」だというのが本当ならば、自分は(仕事や人間関係はともかく)生きること自体は愛好している、ある意味で幸福な状態を保持しているとも言えそうだ。

 むしろ惜しまれるのは、たとえばそれこそ20年くらい前には、圧力鍋でよく鶏手羽と白米を一緒に炊いた「おかゆ」を作っていたとか、トマト缶とサバ缶で無水カレーを作っていたとか、その時々で「生活を愉しんで」会得した料理やら何やらを、近頃はすっかり忘れてしまっている・実践できなくなってしまっている、ことだろう。それらに比べると食事を中食や外食で済ましてしまうことは簡単で手っ取り早く、けれど「生活」とは言えない(とも思う)。
 近頃のマイブームは、千切りにしたジャガイモに塩と片栗粉をまぶしてフライパンで焼くことで―とろけるチーズも焼き合わせれば、パッケージが銀色だろうが何色だろうが市販のポテトチップスは基本もう要らないかなと思える(原理的には市販のハッシュブラウンなんかも)。
 焼きじゃがいも。チーズがこんがり焦げている。
 もちろん「あのハッシュブラウンやポテトチップスが恋しいんだよ」ということは十分ありえるけれど、今まで積み上げてきたはずの「生活を愉しむ」レシピを一過性の流行で終わらせず、十全に使い回して行けたなら「生活」を商品に譲り渡さず、より自律的に生きていくことが可能なのではないか。

 これは人によるのだろうけど、自分にとっては創作もそうで―いま毎日少しずつ読んでいる台湾のオタクの生態を描いたホラーコメディ(中文・繁体字)ではBL愛好家=いわゆる腐女子の主人公たちが二次元のネタを享受することを「吃糧」食べ物(糧)を食べる(吃)と表現しているのだけれど、創作ができる人間は、いわばその「糧」を自炊できる・一部とはいえ自給自足できるとも言える。
 それは音楽でもスポーツでも釣りでも登山でもそうで、自分で糧をつくれる人は、大仰に言えばメディアとか資本とかが供給する糧から少しだけ独立した「生活」が出来る。散歩でも洗濯でもいいのだ。それは孤独と同義語であるかも知れない。でも愉しいよ。

 『台湾でしたい50のこと』第三話『桃園で傘を買う』
 

小ネタ拾遺・26年7月(26.08.01)

 や、今月(もう先月ですけど)は失敗だったと自分でも思ってまして。二つ三つくらい、小ネタとして小出しにせず、まとめればメイン日記(週記)に出来たんじゃない?と。我慢が足りなかったです、はい。
 とゆうわけで今回は特例として小見出しをつけてみようと思います。三番目の「捨てたもんじゃない?」が真の小ネタ集って感じです。
 1)植物の世界 2)陳さんは幽霊 3)捨てたもんじゃない?

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1)植物の世界  今回のトップに戻る 2)陳さんは幽霊 3)捨てたもんじゃない?

(26.07.09)一冊の本に埋めこまれた、その核あるいは芯、その本を紡ぐ言葉すべての雛形=DNAのような一節・を・見出す喜びを書いたのが(アミン・マアルーフの小説の、そのような一節を取り上げた)6/27の週記だったわけですが、キム・チョヨプのポスト・アポカリプスSF地球の果ての温室で(原著2023年/カン・パンファ訳・早川書房2023年/外部リンクが開きます)に同様の一節を探すなら、おそらくそれは終盤に伝えられる ★こちらは最近出た本だしネタバレ避けのためたたんでおきましょう(クリックで開閉します) (既読もしくは既読になったひとは「答え合わせ」してくださいね)だろう。それに続く
地球という生態において、人間はつかの間の招待客にすぎません。それも、いつでも追い出されうる危うい立場にありますは2020年代の今、SFという形式が示しうる最も率直な諌めでもある。ちったぁ謙虚になれ人類。
 光沢のある木の葉の陰になった『地球の果ての温室で』書影。
 ただし―吾々が住む惑星の描く楕円軌道がそうであるように―この物語世界には二つの中心があって、もう一つの核心は―これも伏せるか―  ★舞村(仮名)またソレか!と言われそうな「○○」。(クリックで開閉します) 読むひとが読めば、本作もまた「ふたりの子どもが手をたずさえて、見知らぬ太陽の焦熱地獄へ突進していくシルエット」なのだ←(みんな知ったかぶりしてそうなわりに)この元ネタが分かるひとも多くはない気もしますが…
読後さいしょに思ったのは「これ、映画にならないかなあ!」という下世話な感慨で、強烈な印象を残す登場人物のひとりを僕は(マレーシアあたりが舞台の物語だから不適切といえば不適切かも知れないけれど)ティルダ・スウィントンの姿で思い浮かべてしまったのでした。

(26.07.01)かき氷機(先月の小ネタ参照・ちなみに8/1現在めちゃめちゃ結果が出ていて今夏アイス的なもの一切買っていません)と同様コレも結果が出てからと思っていたのだけど、正直どうなれば正解=結果が出たことになるのか分からないまま(調べろよ)今年は水耕で空心菜を育てています。生き物を育てたりお世話したり一緒に暮らしたりするのは自分には無理だと思ってたけど+最初はどうなることかだったけど、液肥を1000倍希釈から500倍希釈にしたら二ヵ月でこんな感じ。もう一ヶ月くらい様子を見て、それから収穫のことを考えるつもりです。7月。
 豆苗用プランターふたつで1ダースほど、高さ25cmくらいに伸びた空心菜。
(26.07.04)空心菜。さいしょ液肥が薄かった時は出てくる葉が弱々しい黄緑色で、しかも葉の随所が茶色く枯れはじめ、流石に検索で少し調べたら「風とおしが悪いと褐斑病になる」とあり―実際には液肥の濃度の問題だったわけですが―子どものころCMソングで聞き慣れた「褐斑病」!褐斑病は葉を枯らすのです♪」褐斑病を吾がこととして受け止める日が来るとは…人生なにが起きるか分からないと少し面白かったです。
…若い人たちにはサッパリ何のことか分からないと思うけど、分かる世代はたぶんフルコーラス歌えるこれは♪葉の汁を吸うアブラムシ♪の歌:
フマキラー カダンCM(YouTube/外部リンクが開きます/虫の映像がどアップで出るので注意)
(26.07.15)月初「もう一ヵ月様子を見る」と投稿した空心菜。基本的に一枚葉を出しながらメインの茎一本がどんどん伸びてく感じで、これでは一度の収穫で終わってしまう・どうしたもんかなぁと思っていたのが、この半月で(一枚葉で終わらず)自身の葉を展開する新しい茎が生えはじめた…根元のほうに。こう来るのか。
 写真2点。左:伸びていくメイン茎の先端。笹の葉のようなフォルムの一枚葉の細い茎を伸ばしながら、実はその根元からさらに細い茎の先端を出している。右:めちゃぶっとく育ってしまったメイン茎の根元、液肥に浸けてる部分から新しい茎(葉ではなく、枝分かれする葉をもつ新しい茎)が小さく伸びはじめている。それも複数。
 すでに育った苗だと「ゴツい」の域に入りつつあるメインの茎をぶった切って(食べて)こちらの小さな茎を育てていく時期に入ったのだろうか。いいかげんキチンと調べろとも思うが「すべて間違い」という可能性に直面したくなくて逃げつづけている。こういう生きかたをしてはいけませんよ(とくにお給料をもらう仕事では)。

(26.07.26)どうして全部いっぺんに来るかなあ。サラダ油900mlとシャンプー600mlが同時に切れ、豆乳1Lとトマトジュース900mlと全粒粉パンも今日のうちに買う必要があり、出来れば米粉500グラムと玉子と納豆とサバ缶とキノコとヨーグルトも買い足したく、そのうえ図書館に出向く必要があり、夕方からまた雷雨の予報で日中に用向きを済ませる必要がある…外に出たくない…
 半熟の目玉焼きをトッピングした豆カレー
この暑さはどう考えても人為による気候変動の産物なので、少しでもCO2削減に貢献すべく豆カレーを作ったりしているが…ガッデム…カレー粉もそろそろ買い足しか…(かわいそう)
(同日追記)米粉はあきらめて1ダースまとめて取り寄せ決定。賞味期限が一年半くらいなので、まあ使い切るでしょう+一袋あたり単価は現状スーパーのが若干お安いのだけど、実は少しずつ進んでる値上げの今後の度合いによっては、逆に若干お得になるかも知れない…それを嬉しいとは思えないだろうけど

(26.07.28)キム・チョヨプ地球の果ての温室で』に参考文献として挙げられていたステファーノ・マンクーゾ+アレッサンドラ・ヴィオラ植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム』(原著2013年/久保耕司訳・NHKブックス2015年/外部リンクが開きます)。植物は人間の「五感」はもちろん―葉が光に伸び、逆に根は光を避けて伸びるのに「視覚」がないなんて考えられるだろうか―電気や磁気などヒトが生身では捉ええない感覚まで持っている。本の中の「光のほうへ伸びる葉茎」のイラストが、今ちょうど育ててる空心菜の伸びっぷりソックリで笑ってしまった…
 右に『植物は〈知性〉をもっている』の当該ページ、左にイラストとソックリな方向(西日のほう)に葉茎をわっと伸ばす空心菜(たち)。
 しかしまあ読むと、ジャストナウで育ててる空心菜を収穫しにくいこと、食べにくいこと。いやぶった切って茹でて食べちゃうんですけど。すまん。今は脇芽を伸ばしつつ、新しい種も播いて二期作を始めたところです。
 湯通しして揚げエシャロットをまぶし、胡麻油で和えた空心菜の写真。右にパプリカとキノコのスープ。
(26.07.30)注文していた米粉1ダースが届く。賞味期限が一年半くらいあるので、まあ使い切れると思いたい。今は蒸しパンばかり作ってるけど、他のレシピにも挑戦したいところ。しかしコレ、散らかった部屋で何処に置こうと思ったとき、数年前に衝動買いして一度しか使ってないスーツケース、あれに裏側を表にして詰め込んで永田町とか怪しい目つきでウロウロして職務質問され「君このスーツケースを開けてみたまえ…わっ!なんだこの真っ白な袋は!」「米・粉・だ・バーカ!」みたいなことは、残念ながら裏側も真っ白でなかったので現実味なかったけれど
 米粉の袋。裏側にも色々印刷されている。
いや正当な理由で権力に逆らいたくなる契機はいくらでもあるのに、そんな無益な冗談で喧嘩を売ってどうするの。昨年サイト日記で取り上げたマイケル・ポーラン欲望の植物誌』という(昨年7月の日記参照)すこぶる面白い本で、コレは枝葉に過ぎるので(植物だけに枝葉…うっさいわ)紹介しなかったのだけど、あくまで植物愛好家としての興味からマリファナの一種を育ててみていた著者が、ガチで警察のお世話になりかけ「冗談でも警察のお世話になるのは止めたほうがいい。どんな無関係そうな嫌疑でも勾留されてるあいだに家宅捜索され部屋も本棚もメチャメチャにされるから」と書いていて、んー、正当な理由で権力に逆らうことを僕は決して否定しないけど、否定しないだけに、痛くもなかったり何処か痛かったりする肚を探られる・プライバシーとか滅茶滅茶にされるリスクは知っておいたほうが良いと思うのでした。家に無事かえるまでがデモ(クラシー)ですから。
(26.07.31)前から入れたかった支い(つっかい)棒を立てる。見てのとおり、ものすごく簡単なやつ。
 根が伸びるスペースを作る他ため豆苗プランターの底の部分を持ち上げて育てている空心菜。西日に傾かないよう、細い木の棒でつっかえの支柱を立てた。
 『植物は〈知性〉をもっている』も参考にして根を伸ばせる余地も増やしたのですが、収穫で太いメイン茎を切ってしまうと、そちらに水や栄養を供給していた根からの供給が「それじゃ」と簡単に脇芽に移ってはくれないようで、脇芽から伸びた茎はメインほど太くはならずヒョロヒョロした感じ。簡単ではないですね。二期作で播いた種も本葉を伸ばしはじめて、思った以上に楽しいですね(心のリソースを持ってかれるとも言う)。虫もつかず(カダン、カダン、カダンも不要で)初心者向けかも空心菜。

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2)陳さんは幽霊  今回のトップに戻る 1)植物の世界 3)捨てたもんじゃない?

(26.07.05)これもまだ結果は出てないんだけど三日坊主はどうにか回避ということで、春に台湾で買ってきた中国語(繁体字)百合ホラーコメディ『我的室友陳小姐是幽鬼(My Ghost Girlfriend)』も1日1ページの超スローペースで読み進めています。基本「勉強はしない」「分かんないところは飛ばす」「文法も発音も憶えない」「とにかく読み進める」毎日スマホのカメラが読み取った中文を翻訳にかけ、機械的な翻訳を(ゆるく本文と照らし合わせつつ)こなれた日本語に直していく作業を進めるうち、だんだん訳文を見なくてもニュアンスが読めるようになってくる。てゆか流石は漢字、
「他不知道,我住的不只是一棟老舊的公寓,更是赫赫有名的凶宅。」
とか読むだけなら読めちゃうでしょ―
「他(奴は)不知道(知る由もなかったけれど),我住的(私が住んでいるのは)不只是(ただのアレじゃないんだよ)一棟(一棟の)老舊的(老朽化した)公寓(アパートじゃなくてね),更是(さらには)赫赫有名的(悪名高い)凶宅(恐怖の館なんだなぁ)って。
 幽鬼(ユーレイ)の室友(ルームメイト)・陳小姐は、ひょっとして生まれて初めて?(いや死んでからだが)出来たBL友達が満更じゃなくて「私たち同担ね!」とはしゃいだり、主人公に迫ってきた悪霊を「彼女にちょっかい出したければ私の屍を越えていきな!」と撃退したり、生身で迫ってきたストーカーもアレしたり、甲斐甲斐しくも積極的なんだけど
 原作準拠で「私」の背後からヌッと姿を現し「ストーカーさん…KEEP YOUR HANDS OFF MY GIRL(私の彼女に手をだすなよ)」と凄絶な笑みを浮かべる陳小姐と「陳小姐…KEEP YOUR HANDS OFF MY胸部(どさくさで何処さわってんだ)」と怒りに震える「私」のイラスト。
「逆カプ推しでも同担なのか?」「いや(乗り越えようにも)もう屍すら残ってないだろ」と現状は塩対応ぎみな主人公。台湾では2月のバレンタインより盛り上がると言われる旧暦の七夕情人節(今年は8/19)頃には40頁くらい読み進めている予定なので、多少は進展があるといいですね…

(26.07.06追記)『陳小姐は幽霊』、もともと陳小姐自体も主人公がパソコンでBL画像を閲覧していたら「ちょっと、それ逆カプ!」と出てきて正体を暴露したのだけれど、けさ読み進めたページでは主人公の友達が家具と壁の間に隠れていた幽霊を「物が動いてたり何か食べられてたりするから変だと思ってさぁ」監視カメラを設置したところ「何してたと思う?私のスマホで勝手にゲーム内課金してやがった!」自分、ホラーに詳しくないけど最近の幽霊って皆こんなですかね?いや、ジョージ・ロメロ監督の『ゾンビ(DAY OF THE DEAD)』だって甦った死者がショッピングモールに集っていたのは生前の行動を反復していたわけで、今どき死んでも一番の未練はやっぱりそのへんか…もちろん「気がついたらこんなに課金してた…本当に自分が課金したの?(してたわ…)誰かがスマホを乗っ取ってたんじゃない?(自分だったわ…)」というゲームあるあるを反映してもいるのでしょう。現代も大変だ。

(26.07.17)この話は前にもしてるかも知れないけれど、Twitterでだったかも知れないし、(僕には)ちょっと面白い話なので再度(?)してしまう。
『陳小姐は幽霊』具体的にはスマホで撮った繁体字の本文をパソコン(Mac)に読み込んで、Macの画像から文字読み取り→そのまま翻訳機能を使い、訳が生硬な処はネット上のG○○gle翻訳(いちおう伏せ字)のセカンド・オピニオンを参考にしたり、日本語ではなく英語に訳したりして(華文は語順的に日本語より英語に近いとかある)いるのだけれど―
わりとこなれた訳を出してくれるG○○gle翻訳、アイスランド語にアイマラ語からンダウ語・ンデベレ語まで数百の言語を双方向に翻訳できると豪語するG○○gle翻訳は、実は日本語と中国語・モン語とシロンスク語を相互に訳してくれるわけではなく、どうもあらゆる言語を英語に翻訳し、その英文をあらゆる言語に翻訳することで数百の言語を通訳しおおせているらしい。
なぜそんなことが分かるか。訳しちゃうんですよ―「弟」を「兄」と。
 「我弟 不爽地[目へんに登]我 一眼」という華文に、不機嫌そうに夜食の入ったレジ袋を差し出す「弟」のイラスト。
「我弟 不爽地[目へんに登]我 一眼」、
Macの翻訳だと「弟は不機嫌そうに私を睨みつけた」となる文章を
兄は」不機嫌そうに私を睨みつけたと。
そんな間違いをするのは、中国語の原文を読まずに
My brother glared at me unhappily」
という英訳(だけ)を見て日本語に訳した場合に限るはず。
僕じしん英語のコンテンツを読み聴きすることは好きなほうだし、あるていど英語を理解できることで恩恵を受けてもいる。それでもやっぱり、英語(およびアメリカ語)帝国主義め…みたいな気持ちに少しならないでもない。
実は先月の日記で取り上げたアミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』では、自分の第一言語と第二言語としての英語だけでなく、それに加えて何か第三の言語を習得することが、これからの吾々に必要なのではないかと説いていて、それで「読むだけ」からでも中国語を分かりたいなと思って日々つとめているのです。
あまり関係ないけど、自分の恋人や連れ合いのことを「私のハチミツ」「お砂糖」「甘い心」「赤ちゃん」とか呼ぶ言語(英語)ってのも、それはそれで面白いですよね。

(26.07.18/苦言)スマートフォンで何かネット関連の操作をしようとすると差し挟まれてくる広告に、システムの警告を模して「○○件のウイルスが検出されました」とか「ご使用のPDFアプリが期限切れです」とか言って「なのでコチラをクリックして(弊社の)アプリをインストールしてください」みたいなのがあるんだけど、これって虚偽じゃん(ウイルスの件数まで特定できるわけがないし、なんならiPhoneで「お使いのAndroidの…」とか言ってくる)虚偽ってか詐欺じゃないの?こういう広告を出すことに同意してる(本来閲覧したかった)サービスの提供者も同罪で、関係者全員いま関わってる仕事いったん全部中止して代わりに、ちょっと罰でガレー船とか漕いでもらうよう法改正とか出来ないのかなあ?
 写真:まっすぐ伸びた茎から紫の百合根(鱗茎)みたいなものが半球状に出て、その上に逆立てた髪のように細い紫の花がみっしり咲いている美しい花。キャプション「はい、お馴染み辛辣な文面を緩和する和みお花画像です。撮影地;新芝運河(東京・品川と田町の間)」
いやまあ拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる(いま自民党が無くしたがってる憲法の文面)なのでガレー船はないんだけど、そうじゃなくて、
これに限らず何かするたび現われる「本来のサービスを見たければ先に途中に最後に観てね」とばかり割り込んでくる広告が、消すためのバッテンが小さかったり「これで終わりで消せる」みたいなサインをタップすると「ざぁんねんでしたぁーまだ終わりじゃありませーん報酬を得られませんが中止しますかぁ続きを見ますかぁ」みたいなトラップ(控えめな表現)を繰り出してきたり、総じて「観る人への悪意に満ちている」「観る人を不快な気持ちにさせるよう設計されている」の、ひとつには広告の視聴が本来受けたいサービスを受ける対価として要求される「労働」であって、労働なんだから苦しめという(わりと被害者が加害者に転じた的な哀れさのある)価値観に基づいてるてのもあるかも知れない、それは考えたいひとは各自で考えるとして―
まだ自分の中で上手く文章化できてないんだけど―この「上手く文章化できてない」て言いかたでも分かるとおり―僕みたいに「どうすれば過たず伝達できるか」まんが(滞ってますが)みたいな創作でも本サイトの週記(滞ってますが)みたいな文章でも、表現する内容をなるたけ誤解のないよう伝えることに日々腐心して生きてきた(でないと「本サイトの文章は分かりにくくてスミマセン」とか「自分のまんがが面白いか以前の、ちゃんと内容が理解されてるかが確信もてず煩悶する」とか普通ならないでしょ)仮に「お前らガレー船でも漕いでろ」みたいな悪口(拷問は絶対に禁止)でもブレヒトやロシアン・フォルマリズムみたいな異化(すんなり呑み込まれず理解や咀嚼に時間がかかる表現のが尊い)でも、その悪意や咀嚼に時間のかかる表現じたいは過たず理解されてほしい・理解してくれる相手を期待して発せられる、それが表現であり発語だという立場で生きてきた人間にとって、
相手にスムーズに伝達することを目的としていない、お前らどうせ見たくないんだろ的な姿勢でバッテンを小さくしたりする、ましてや虚偽を押しつけてくる、いわばディスコミュニケーションを押しつけるコンテンツを割けがたく大量に浴びていることは、受け手としてのバランス感覚や(本来それなしにコミュニケーションも何もありゃしないと僕などは信じたく思っていた)コミュニケーションへの信頼みたいなものを著しく損ないはしないのだろうかと気になっている。過たず伝わる自信はないが。
(同日追記)僕はとくに老いてからの筒井康隆をあまり好いてはいないし(過たず伝われ)これも別に彼じゃなくても他の誰かがきっと書いてたと思う話だけど、彼の初期の短篇のレコードで音楽を聴こうとしても間に広告が入る、広告の入らないレコードはないのかと訊いたら「当店で一番高価なレコードです」と無音のレコードを出されたという話、半世紀前に現代を予言してやったぜと(憶えてたら)ほくそ笑んでるかも知れない。いちおう無音ではない本サイトが自分で作ったTシャツや電子書籍の宣伝をするくらいは許してほしい、関係なく「ウ○コがドバドバ出てほしいひと絶対みて」みたいな広告(悲しいかな実在する)を差し挟んでるわけじゃないのだから。

(26.07.22)そんなことを書いた矢先(まあ矢先も何も日頃オールウェイズネット広告にストレスを溜めてるんだけど)『陳小姐は幽霊』けさ読んだ分で、幽霊の陳小姐が外出のあいだ主人公を守るため呼んできた代理の幽霊・張小姐が「陳小姐も心配性だなぁ、こんなオンボロアパートに空き巣も押し込み強盗も来るわきゃないのに…ギャー何か来た!ヘルプ!張小姐ヘルプ!」「ヘルプしますが先に短い広告を聴いてください…私にもノルマがあるんです…」あんたのノルマなんか知るか、ギャー!というギャグがあって、薄々気づいてはいたけれど、無理やり差し挟まれてくる(そして大概しょうもない)ネット広告にうんざりしてるのは世界共通か…
(26.07.23)四月に旅行した台湾でもスマホを使えば広告動画は不可避なもので、設定を引っ張ってきたらしい日本と同じ日本語の広告動画が半分・向こうのショップやデパートなんかの広告が半分だったのだけど一度表示されて興味ぶかかったのがムスリマ(イスラム教徒の女性)向けファッション広告。左の「Corporate Neutrals(日本でいう「オフィスカジュアル」かも)」も興味ぶかいけど、やっぱり目を惹くのは右のデニム生地。
 スクショ三点。左から「Corporate Neutrals」と銘打ったツーピース(下はゆったりしたパンツ)・「Soft & Flowy」と銘打たれた柔らかい記事のワンピース・そして「Dark & Denim」はヒジャブからシャツ・パンツまで青いデニム生地で、黒いシャツを羽織っている
ことさら台湾で日本より多くムスリム・ムスリマの人たちを見かけた感じもないのですけどね。日本でだって沢山みかけるけれど、彼女たち彼たちが何処でどんな服を調達してるか、なんてことはあまり目に入ってこなくて、その片鱗が見える扉がたまさか旅先の台湾で開いたということか。

(26.07.31)そして二年の月日が流れ去り。春に台湾で買ってきた中文の百合(?)ホラーコメディ『我的室友陳小姐是個鬼(My Ghost Girlfriend)』いつ(?)は無くなるの、いつfriendがGirlfriendになるの?と読み進めていたら二ヶ月目(6月から読んでる)の終わりになって急展開。というのも章題が「故事正式開始」(物語が正式に始まる)。どうやら今まで数ページ単位の短篇形式で進んできたのは助走か「お試し」で―単発的にネットで発表して手応えをつかんで本格的に動かしはじめたのかも。
二次元(しかもBL)が一番とはいえ主人公にも満更じゃないオタク幽霊の陳さんに対し、もっぱら塩対応だった主人公をどうデレさせるかと思いきや、いきなり「和 陳小姐 住 在一起 大概両年」(陳さんと暮らしはじめて、もう二年)…そう来たか。今では消灯して寝入りばな互いに「おやすみ」を言い合う仲で「実のところ陳さんは(「見える」人なら)十人が十人振り返る美女なのだが、おやすみなさいと囁く声さえ聞ければ、彼女が部屋のどこにいようと私はその姿を確かめる必要さえないんだ」(かなり盛ってる意訳)…デレデレじゃんか主人公(願望)。まあ今だに「家賃を払ってるのは私なんだが?」とかツン全開ではあるけれど。

      *     *     *
3)捨てたもんじゃない?  今回のトップに戻る 1)植物の世界 2)陳さんは幽霊

この項は本当に小ネタまとめ。
(26.07.10)けさ見た夢。夢のなかでディズニー『ファンタジア』(未見)を観ている。とゆうか『ファンタジア』の中にいる。といっても完全な「実写版」なのだが、緑ゆたかな森の中にいて、小鳥の鳴き声がチチチチと自分のまわりで輪を描き、天から声が降ってくる。「そう、ここファンタジアでは鳥の声もサラウンド」「音楽はハンス・ジマーよ」1955年くらいの映画じゃなかったっけ、それでハンス・ジマーはないだろう(リメイクか?)と夢のなかでツッコミを入れながら目が醒める。起きて確認したら1940年でした。ハンス・ジマー、生まれてすらいないぞ(1955年でも)。やっぱりリメイクか。いずれにせよハンス・ジマーが音楽の『ファンタジア』はちょっとイヤかも。まわりを(サラウンドで)飛んでるのが小鳥じゃなくてコウモリだったりして。おはようございます。

(26.07.11)たとえばこの記事などが伝える、ヨーロッパでは「エアコンを備えた住居が少なく(中略)猛暑の影響を受けやすい」といった事情が今この国でどれくらい共有されているか知らないけれど
ドイツ、熱波で5千人死亡か 政府研究機関が推計(共同通信/26.07.09/外部リンクが開きます)
共有されたら共有されたで新型コロナのときと同様に「備えがあったり地の利があったりして熱波の被害も比較的まぬがれている選ばれた国ニッポン」だから(脱炭素ふくめ)対策なんて無用みたいな認識が流布しないかと取り越し苦労で案じている。
 2024年の写真。街頭の液晶掲示板に示された「厳重警戒 金沢市(7月)22日15時現在 気温32.3℃ 熱中症に注意!こまめに水分補給を!」の文言。
 三年前すでに災害ボランティアも「これ以上気温が上がったら中止します」と警告される状態だったのだが本邦も。
(26.07.29)そんなことを言ってたら熊本の地震。ナオミ・クラインが『楽園をめぐる戦い』で書いていた、プエルトリコの大規模停電で活躍したという「太陽光で稼働するフルサイズの冷蔵庫」のことを考えている。23年11月の日記参照。
 【M7.1 熊本地震】緊急支援を開始。被災地へご支援を(ピースウィンズ・ジャパン/空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"/READY FOR/外部リンクが開きます)
なかなか現地までボラには行けない距離ということもあって僕も寄付したし、すごい寄付があっという間に集まっているけれど、同時に寄付しか出来ない歯がゆさみたいなことを感じてもいる。さいきん見た話で、気候変動≒CO2排出による地球温暖化に取り組む科学者に「いま一般の人々にできる最も手っ取り早く・かつ有効な対策は」と問うと圧倒的多数が「投票。正しい政治家を選んで」だったという。
ちなみに熊本のゆるキャラ「くまモン」をこよなく愛している某国の人たちが、また寄付とか支援とか申し出るのでは…と想像すると「嬉しい」とか「愛されてる日本」とか思えず「頼むもう止めてくれ」と思うの、なんだろう…?自国肯定感の低さ?

(26.07.11)なぜか一ヶ月無料お試し状態になってしまった某動画サブスクも今日でおしまい。たいして観られはしなかったけれど(忙しいんよ)前から気になってたアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』をフル観賞。面白かったです。バンドもので、しっかりと曲が好い。意外だったのは二次創作では共依存ぎみに熱烈両想いだった主人公ぼっちちゃんとドラマー虹夏ちゃんのカップリング(ぼ虹)が実物を観ると「あ…そうでもないんだ…
まあ別の某作品で、作中に非業の死を遂げたキャラが、二次創作では生き延び今も人生を謳歌している設定の作品が多すぎて、そっちから入って後から原作を観た(読んだ)ひとが「え…こいつ死ぬん?」と驚愕した話もあるってほどなので驚くにはあたらないんだけど、
逆に「公式が最大手」と呼ばれるくらい「お互いの好きそうな小説をプレゼントしあったら同じ本だった」とか「無料券をもらって二人で焼肉デートすることになりテンパった片方が服だの何だのに40万使ってしまった」とか「きっとまた逢いに来ますからといって異世界に帰っていったプリキュアが我慢できなくて翌日ソラシド市に朝食を食べにきた」とか(※三つとも百合)そんなのばかり摂取していたので、久しぶりに「してやられたなぁ」と思ったのでした。
 アニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』OPアニメの「いぶき」と「ぼたん」を「ぼっちちゃん」「虹夏ちゃん」に置き換えたGIFアニメ。
これは「ぼ虹」それぞれを演じてる中の人つながりで作った『上伊那ぼたん(外部リンクが開きます)』のパクリGIF。四時間クオリティなので色々ゆるしてほしい。

(26.07.16)これもアニメの話。久しぶりの衝撃で、街ゆく人々・レストランに行列をつくる人々・混みあった電車の中でスマートフォンをのぞきこむ人々、眼に入る全ての人たちが今「天幕のジャードゥーガルを知ってる人」「天幕のジャードゥーガルを知らずに生きている人」に二分できるんだなと思ってしまった。なんて大仰な。いや昨晩まで自分も「知らずに生きてきた」組だったんだけど。
世の中はどんどん崩壊している、それは間違いない。けれどそれは全てひとしなみにダメになるんじゃなくて、暴力や愚鈍さで崩れていく部分もあれば、それに逆らうように素晴らしい華が(徒花かも知れないにせよ)咲きもするモザイクなんだと実感する。その意味で物語が描く13世紀と、この物語自体が咲き出た21世紀が重なりあう。てゆうか、十年前にカートゥーン・サルーンのアニメーションを観て「ジブリアニメの最高傑作を創ったのは、スタジオジブリじゃなかった」くらいの衝撃を受けて、でもオタク文化が日本も、日本ゆえの限界も越えて世界に広がるのは嬉しいと思ったのが、今カートゥーン・サルーンの系譜につらなるアベル・ゴンゴラ氏と日本の京都アニメの系譜につらなる山田尚子氏のタッグという形で回収されたのを見て(もちろん未読の原作からしてスゴいのは当然のこととして)世界も捨てたもんじゃない、とは思わないけど、世界「全部が」捨てたものではないと思い直している。
※ちなみに街ゆく人を二分するという意味では、今この国に暮らす全てのひとが「ウィシュマ・サンダマリさんを知ってる人」と「知らない・もしくは知ったことではない人々」に二分されて見えることが、しばしばある。名前はすぐに憶えられるものではないかも知れないけれど、ムラト・チチェク氏の事件を知っている人たちは、どれくらい居るのだろう。
(26.07.12)日本公開の映画にも出演経験のあったクルドの映画人が八王子の警察署で勾留中に死亡。8日間にわたり拘束されており死因は非公開、トルコ領事館を通して家族に死亡の連絡が入った時には死亡後さらに5日が経過していた。
クルド人映画監督のムラト・チチェク氏が、日本での勾留中に死亡(OudaisさんのBluesky/26.07.11/外部リンクが開きます)
些事だけど投稿主のプロフィールがひとこと「何者でもない」というの、自分もかつてTwitterで似たような肩書きを使っていたので(「しいて言えば何物でもない」)感じるものはある。それにしても、
「このような外国人への人権無視を許していたら、そのうち吾々日本人の人権だって無視されるようになる」みたいな論法はマヌーヴァーとして自分も使ってこなかった訳ではないけれど、実のところ日本人に同様の被害が及ぼうが及ぶまいが(冤罪への対応や今後の方針など見るに「及んでない」とも言えないと思うが)相手が外国人であろうと、こんなことが起きる国は×××だし「他所の国だって同じようなことはあるはずだ」と言うのなら、その他所の国とやらも含めて全部×××なのだと言いたい。何か間違っていますか。

(26.07.13)これは実写の話。折しも配信で観た映画ひつじ探偵団(カイル・バルダ監督/外部リンクが開きます)は、愛する牧場主を毒殺された羊たちが真相究メェー(究明)に乗り出すユーモア系ミステリだけど「しばしばミステリにおいては事件とは別に探偵自身が解かれるべき真の謎(問題)として立ち現れる」のセオリーどおりに羊たちの特性として暴かれる
・都合の悪いことは意図的に忘れる力を持っている
・それで自分らが不死でないどころか食用肉ですらある現実を見逃し続けている
・そして内輪でも特定の羊を差別する自分たちを省みない

が、あまりに今この国の現状に刺さりすぎて…けれど他所で書かれた小説を原案にした他所の映画ということは各国共通の病弊でもあるのだろうか…だとすれば目を背けてる同志だからではなく、目を背けていることに違和感を持つ同志として吾々は手を取り合えないものだろうか。映画の羊は自分が賢いというメェー妄(迷妄)から目覚め、泣きながら本当の自由と賢メェー(賢明)さ・そして友愛に自らを開いてゆくけれど、さて現実の人間は。
(と言いつつ配信を観る直前マトンビリヤニをたらふく食べてしまった自分…)

(26.07.20)アニメ版でようやく齧りはじめた『天幕のジャードゥーガル』。観る前の先入観で、モンゴル対イスラームよりもっと大きく分断され、支配者と被支配者・侵略者と犠牲者として対立する「男と女という二つの民族」―みたいなものを想定していたけれど、実際はそう明快に割り切れるものではないようだ。女性にだって抑圧する側に廻る者もいるし、僕などは素朴にすがってしまいそうな「知」=迷信でなく事実を貴ぶ志ですら、その「知」のために弱者を蹂躙する足がかりになりうる(その両方がアニメ第四話の時点では同じ人物に体現されてるのも悲喜劇だけど)あたり…実に好いですね(血涙)。すぐれた物語はいつだって「世界はお前の先入観より(善かれあしかれ)大きくて深いよ」と教えてくれる、これはミラン・クンデラが言っていたこと

(26.07.23)署名私たちは、ムラト・チチェク氏の死を取り巻く状況が明らかにされることを要求します。(change.org/外部リンクが開きます)に賛同しました。
この署名はトルコ語で書かれているため「クルドを知る会」のXでの紹介もシェアします。Xのアカウントがない人でも読めるよう
「クルドを知る会」による署名の呼びかけ(主ポスト)
署名じたいの声明文の和訳〜主ポストで「コメント欄の日本語訳を…」と書かれているものです。
両方ともリンクを張っておきました。

(26.07.27)そういえば数年前、紀文が大豆タンパクの代用かば焼きを開発したという話はどうなったんだろう。てゆかフードロス削減とか販売ノルマの弊害とか、そもそもウナギの絶滅危惧はどうなったんだろう。もっと言えば能登の復興は、福島の放射線は、日本人の戦争加害は、関東大震災での朝鮮人や中国人の虐殺はどうなったんだろう。関西万博の不払いは。サナエトークンは。戦争に負けて日本人は天皇崇拝をやめたんじゃなかったっけ?
 左:一正の「うな次郎の味つけをしたカニカマ」と、それを載っけたごはん。右::丑の日の夕餉。アジフライ(見切れ)・ごはん(見切れ)に白菜のうま煮。
 さすがに食べたのは丑の日の当日ではないけれど(惨めすぎる)「うな次郎」の一正が売り出した「うな次郎ふうカニカマ」代用うな丼としては(一時ネタになった「蒲焼きさん太郎」丼には一歩譲るが)かなりの極北とは思う。実際の昨晩は「う」のつくもので「うま煮(白菜の)」をいただきました。天皇制はそろそろ止めてもいいんじゃないかと思っています。
(26.08.01追記)高市内閣の支持率が急激に(?)下落とか言われても、そもそも何で支持してたんだよとか思うに「やっと酷さに気づいたか」と素直に喜ぶこともできなくて―どうせ「愛子さまを女性天皇にしない自民党に失望した!」とか、そんなんじゃねーの?と白眼視したりしている自国肯定感の低さ。やだなあ。個々の人々には(街で袖すりあうレベルでも)素敵な人はいるのだけど。まあ自分も、せめて外面は善い人でありたいと思う今日この頃です。また来月。いやもう来月なのだが。

 

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