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夢まぼろしを買い戻した話〜ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』(14.05.20)

 関西コミティア(おつかれさまでした+お運びいただいたかたには感謝)の後、一日大阪に居残って街歩きを楽しみました。  話せば長いので省略しますが、朝から晩まで12時間のうち何時間歩きっぱだったか、流石に最後の2時間ほどは疲れて帰路のバス発車時刻までどう過ごそうか…そう思って気がついた。
 大事な場所が残ってる。
 阪急梅田駅の北にある古本屋街「阪急古書のまち」。ここ十年以上、毎年一度は大阪に来ていながら、不思議と出向く機会がなかった。思えば来年も再来年も同じように、この街に来られるとは限らないのだ(もともと地方コミティア参加は採算取れないものだし観光ついでと割り切ってはいるが+もちろん行けば楽しいが、くじけたくなることも多い)心残りがないように、一期一会のつもりで足を運んだら−
 これまた(たぶん)十年くらい探し続けていた、一冊の本に出会ってしまった。

 あるていど読書が好きなひとなら「古本屋に行くたび一応はないか確認してみる、いつかは手にしたい本」の幾冊かは、ありますよね?
 自分の場合、いちど神保町の古本屋で三千円で見かけた気がする松岡正剛全宇宙誌』は二度とあんな値段では手に入らないだろう(何かの勘違いだった可能性も高い)後悔の一冊だし、のちに社会的文脈からの原発批判の古典『原子力帝国』を著すことになるロベルト・ユンクの初期作『千の太陽より明るく』も、うっかり買い逃し→以後探し続けのパターン。それとルネ・ジラールの『世の初めから隠されていること』と、そのジラールの衣鉢をつぐデュムシェル/デュピュイ物の地獄』あたりが目下「常に古本屋でチェックする」本で、かつてはそれにロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』が最優先項目で並んでいた(新訳が出て以後、旧訳を手放すひとが居たのか数年前まとめて手に入れた)。そして−
 ミロラド・パヴィチ『ハザール事典〜夢の狩人たちの物語[男性版]』(東京創元社/絶版)。
 十年通った大阪で、初めて出向いた阪急梅田の古書店街で、見つけてしまった。なんでしょうね、長年探し続けていた本をついに見つけたときの、見つけて「しまった」という不思議に後ろ向きな感情。だがもちろん、ここで買わなきゃ絶対に後悔する。えいやと購入。
 作者は旧ユーゴ・ベオグラード出身。ハザール自体は、かつてカスピ海〜黒海沿岸で栄え十世紀ごろ滅亡したらしい、いわば実在する幻の国家(ややこしい)なのですが、そこに奇想のかぎりをつぎこみ事典形式にした「事典小説」。国教がユダヤ教だったかキリスト教だったかイスラム教だったか不明なのを、それぞれの宗派が自派に都合よく書いたものが入り混じるばかりでなく(そのせいか、色分けされて栞ひもが三本もついている)
 同書は[男性版]と[女性版]があり両版の違いはわずかに17行という。
 この『ハザール事典』を年来さがしていたのは、単に奇書だから、だけではない。実はかつて自分、この本を持っていたのだ。だが人生のとある時期に、やむない事情で古本屋に売ってしまった。その時も後悔したが、先に書いたとおり当面いちばんの目標だった『アレクサンドリア四重奏』が手に入って以後、ますます『ハザール』を買い戻したい欲求が高まり、今回ようやく吾が手に同書がもどってきた次第。
 ちなみに「さすがは絶版の奇書、当時より高いぜ」なことも、残念ながら「こんな探してた本が、こんな捨て値で!」な(ジラールなどは高いので、つい捨て値を狙ってしまう…)こともなく古本屋での売価は税別2,500円。出版当時=20年前の価格は税込2,500円。…なんだろう、本にシリアル番号はないけれど、単に同じ内容の本とゆうのでなく、まるで自分がかつて手放したのと「同じ」本が、20年間どこかに預けられるか日本各地を転々とするかして、こうして自分の手元に戻ってきた、そんな錯覚さえ感じてしまった。
 しかも、記したとおり同書は[男性版][女性版]があり、かつて手放したのは[女性版](自分が男性だったので、それは手放す一因でもあった気がする)。今回じぶんの手元に「戻って」きたのは[男性版]。
 かつて2,500円で買って手放した本が、20年後に2,580円、消費税分だけ加えて戻ってきたうえ、性別まで変わっていた。擬人化すると(しなくても)すごくドラマチックではないか。そんな話、ちょっと描いてみたいぞ。

憲法なんて知ってるよ〜伊藤真『憲法ってなあに?』(2014.05.21)

 「憲法なんて知らないよ」という若者に向けた日本国憲法の手引きというコンセプトで、池澤夏樹氏が書いた本があって(英語の条文を現代語に訳したもの)
 逆に「憲法なんて、もう知ってるよ」という(自分含む)大人が「知ってる気でいたけれど、ちゃんとは分かってなかったかも知れない…」と再認識するのに格好の動画がある。マガ9などでも健筆を振るっている伊藤真弁護士が2013年に収録・リリースした約55分の解説DVDを、一年経過を機にYouTubeで全篇無償公開したもの。
伊藤真弁護士『憲法ってなあに?憲法改正ってどういうこと?』無償公開!しかも韓国語版、英語版も!】(弁護士・金原鉄雄のブログ)
 いま話題の集団自衛権が直接のテーマではないけれど、その議論の根底をイチからおさらいできます。もちろん「知らないよ」という若いひとも一見・一聴の価値あり。映像で一部フリップも出ますが、耳で聴くだけでも大体理解できるはずです。

カタルシスで浄しきれないもの〜『7DAYSリベンジ』(14.05.26)

映画『7DAYSリベンジ』の内容について8割がた(折りたたみで隠した部分まで含めると100%まるまる)ネタを明かしています。御注意ください。
 映画を観ようとDVDを借りると、他作品の予告がついてくる。面白そうなモノは題名を控えておく。ある時『スリー・デイズ』という映画と『5デイズ』という映画がリストの中で並んでいることに気がついた。これ、一緒に借りたら(行動として)面白くないか。そう思って足を運んだ店舗で、さらに別の『4デイズ』『7DAYSリベンジ』残念ながら6DAYSではないけど『シックス・デイ(6TH DAY)』があることを確認した。
これとは別に『6デイズ 7ナイツ』があることも確認した。
 3から7まで。ポーカーで言うならストレートだ。まとめて借りてみた。馬鹿である。店員さんは遊びに気づいてくれなかった。ここまでが、まあしょうもない話。

 一連の作品の中で、イヤだな、観たくないなと一番思ったのは『7DAYSリベンジ』。少女レイプ殺人犯に娘を殺された父親が、犯人を誘拐し復讐する話だ。
 悪人をやっつけるのは痛快だろう。坪内逍遥(だっけ)が何と言おうと世の中には今でも勧善懲悪の物語があふれている。そして思うに、家族をレイプされ殺されたというのは、復讐物語の動機として完璧に近い。多くのひとが素直に憤り、復讐者を応援でき、犯人に情けをかける理由はまったくない。…だが、その容赦ない復讐を正当化する、そのために(物語上で)レイプされ殺される妻や娘は大迷惑ではないか。犯人ではなく、いや犯人もムカつくだろうが、それ以前に作者や観客に「どうしてあんたらのカタルシスのために私たちが強姦され殺されなければならない」と物語上の妻や娘は抗議したいのではないか。
 とまあ、警戒心たっぷりの姿勢で臨んだ『7DAYSリベンジ』だが、結果的に3〜7までのDAYS並びで一番(よくもあしくも)考えさせられる作品だった。映画の口コミサイトでは相当に低い評価なのだが、それもちょっと不当かなと思わせるだけの内容はあった。
 
 カナダ映画である。外科医の主人公は、まもなく8歳になろうという一人娘を連続少女レイプ殺人犯の若者に殺されてしまう。悲嘆から、互いの非を罵りあう主人公と妻。有罪となっても犯人が最長15年そこそこの刑期しか与えられないと知った主人公は、拷問のためのアジトを手に入れ、未決囚の犯人を誘拐し、世間にメッセージを送りつける。7日後の、娘の誕生日に犯人を殺すと。
 まず映像が非常に端正だ。邸内の白い壁に開いた小さな窓から、路上をてくてく歩いていく娘の後ろ姿を、そして事件後、同じ窓から見える娘のいない路上の光景を映し出したり。娘の無残な運命を知り嘆く主人公夫婦を画面の左端・壁の奥に配し、右半分は白い壁だったり。

 有能な外科医で切断も麻酔も日常、おそらく警察的なこととも無縁ではないのだろう、コンピュータにも詳しい主人公が復讐計画を立案・遂行していくさまも過剰にドラマチック化せず、確かな手応えある行為として展開する。
 むろん手中に収めた犯人には虐待のかぎりを尽くす。犯人役の俳優は話の2/3ずっと全裸で鎖につながれ床に転がされた状態で、演技中は(演技とはいえ)苛まれ罵られ、さぞ大変だったろうと察せられる。まあそれはさておき…
 7日間の裁きの計画は、徐々に狂い始める。主人公の正体を知りつつ、こっそり見逃し激励する女性店員もいる。同じ犯人に娘を殺された別の母親は「犯人を見たくもない、私の望みは忘れることだけだ」と主人公の復讐を否定する。犯人もまた、7日後に殺すと予告され拷問される少女レイプ犯がするだろう、あらゆる反応で抗う。苦悶し、命乞いをし、あるいは余罪をぺらぺらしゃべり、逆に娘を強姦した時のことを語って主人公を嘲り、拷問を加える主人公を自分より残虐だと罵り、自分自身も子供の頃から暴力に晒されてきた犠牲者なのだと訴える。そして日中のほとんどを犯人と過ごす主人公は、あきらかに酒量が増え、アルコールに溺れてゆく…

 物語のキイになるのは、事件を追う初老の刑事の言葉だ。必死に主人公の行方を追う彼は、同僚に「そんなにまでして救うに値する犯人ですか」と問われ私が救いたいのは犯人ではなくて、主人公のほうだと答えるのだ。
 実はこの刑事もまた、妻がたまたま行ったスーパーで強盗に出くわし、問答無用で射殺されるという過去を背負っている。映画の冒頭で、中盤で、彼はスーパーの防犯カメラが捉えた、いきなり射殺される妻の映像を繰り返し観ている。それでも復讐を思いとどまり、主人公にも復讐をやめさせようとする彼は、主人公の行動と「なぜ復讐しないのか」という直接の問いによって、かつてない信念の揺らぎに追い込まれる。
 最終的に ★ここから後は本当に100%のネタバレになるので一応たたみます(クリックで開閉します)。 (100%ネタバレ以上)
 だが、それはよいと思う。多義的な解釈の余地があることは、話が絞りきれてないことと、必ずしもイコールではない。特にこのような物語では、けっきょく何が正しいかを表明することは逆に危険で、ただ「このようになった」と示すしかないことが多いのだろう。

 しかし、結局のところ観る前から生じた疑問は、もやもや残る。復讐のカタルシスが目的だろうと、もっと深い意味での浄化・浄罪(カタルシス)が目的だとしても、それを物語で描くために、7歳の子供がレイプされたうえ殺される必要はあったのだろうか。たとえば不注意運転による自動車事故ではいけなかったのか。あるいは医療過誤では。そもそも…
 …と観る者をつらく考えさせる映画だったが、最初「こんなだったらイヤだなあ」と想定していたものよりは、はるかに作品の質を感じもした。もともと大仰なBGMなどの少ない映画だったが、エンドロールがまったくの無音で沈鬱に流れるのには驚いた。復讐の快感であれ、美麗な音楽であれ、物語の重さを変な方向に逸らさせない。勝手に何かに昇華させない。そんな突きつけるような無音だった。他の3〜6日については、気が向けばおいおい。
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1406  1404→  記事一覧(+検索)  ホーム