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過去日記一覧(随時リカバリ中)

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Author:舞村そうじ/RIMLAND
 創作同人サークル「RIMLAND」の
 活動報告を兼ねつつ、物語とは何か・
 どんなメカニズムが物語を駆動し心を
 うごかすのか、日々考察する予定。

【最近の動向】
8月東京ティアで新刊。

WebまんがSide-B遅々として更新中。

note絵更新。(16.05.26)

旧サイトは2014年8月で終了しました(お運びいただき感謝)。再編集して、こちらの新サイトに少しずつ繰り入れますが、正直、時間はかかると思います。

[外部リンク]
comitia
(東京名古屋新潟関西みちのく)
あかつき印刷
POPLS

sumabo(クリック募金)
日本赤十字社
JEN
ALL OUT

if you have a vote, use it.(save kids)

日記更新。満を持して『図書館の魔女』ご紹介。こちらから(18.10.17)


【御礼】10/14開催の名古屋COMITIA53参加および運営の皆様おつかれさまでした+RIMにお運びくださったかた・かまってくださったかた、ありがとうございました。
今回は25周年記念のスタンプラリーがあり、スタンプ付与条件として「しりとり」をつないでもらいました。頼まれたわけでもなく出された「しりとり」の絵をずっと描いてて、緊張感のある(しかし何をしてるかは伝わりにくい)イベントでした。

当日無料配布したペーパー、10/22までPC・スマートフォン等で閲覧・ダウンロード可能なPDF版をあげておきます。まんがは『神様のギフト』のスピンオフ、とゆうか余談。
こちらか、下の画像から

続けて10/21は新潟ティアです。お会いできるかたはよしなにー。
(2018.10.16)
【お知らせ】10月のRIMLAND、また横浜から遠征します。
10/14名古屋COMITIA53(売り場I-10) 10/21新潟COMITIA50(売り場29a)

名古屋ティアは25周年・ガタティアは50回の、それぞれアニバーサリー。
ガタのほうは有志企画の記念アンソロジー「米百俵に8ページ(+1)ほど寄稿しました。
タイトルは「1991」描く人生と描かない人生、ふたつの未来を前にした大学生の話です。

そのほか
・11/3 オンラインイベント・いっせい配信「創作同人2018年11月」参加予定
・11/25 東京コミティア126 参加申込済
・12/2 北海道コミティア9 参加申込済
・2019/1/20 関西コミティア54 参加申込済です。頑張るよ!(2018.10.03)
電書へのリンク
BOOKWALKERで頒布中の電書「収容所の小さな貴婦人」一冊売上ごとに、著者の取り分にあたる50円を、2018年7月の豪雨災害にともなう被災者支援の義援金として寄付します。日本赤十字社の義援金の〆となる2018年12月に取りまとめ・会計報告する予定です。
2月コミティア新刊『世界で一番長い名前の』と、11月の前刊『行ってみようか台北に。』と合わせ、可及的すみやかに通販の御案内もする予定…と御挨拶してから三週間…すみません、まんが描いてました。
コミティアで目を回してる間にネットを席巻していたハッシュタグ「#魔女集会で会いましょう」遅ればせに概要を把握した(間違ってるかも知れません)とたんに24ページくらいの「今を逃したら描けない気がする」作品が降りてきて…描いてみたら24どころか52ページでした(バカなの?)
『百年の眠り』←ここか↓画像クリックで開きます

復讐心に苛まれる魔女ラナと、彼女が拾い育て上げた若者カイ・復讐のターゲットとなる姫君リナ、そして王や魔女たちの、すれ違い、届かない愛の物語。一気呵成に描き上げた(ラフですみません)生まれたての新作です。お楽しみください。

立ちのぼる素馨の芳香〜高田大介『図書館の魔女』(2018.10.17)

 「すごく面白い小説」の決定版。ぜひ読むといい。

 さて、満を持して高田大介図書館の魔女』である。かねてより、伝道と呼びたくなる熱心な高評価を聞いていた長篇、よい機会と思い先月の東北18きっぷ行を利用して、文庫四巻を通読したのですが…
 すでに評判が気になってる人は、すぐ読んでいい。
 「図書館の」「魔女」というタイトルだけで「んんっ?」と猫耳がピンと立ってしまう人も、読んで間違いない。さらに「暗躍」「権謀術数」みたいな言葉に心が動くなら最適だ。世界の書物すべてを収めた図書館とか、選ばれた少女とか、大国の陰謀とか、武力のみならず知恵で渡り合うとか、この国で多く書かれ描かれてきた(自分もその末席を汚している)「そういう感じ」の物語の、いわば決定版が出たという印象を受けた。
 東洋風ファンタジイの、あるいは国産ファンタジイの、と言ってもいい。もっと言えば「すごく面白い小説」の決定版。いろんな小説や物語を読み、愉しみ、しかし、それらを「本当に読みたい理想の物語」の近似値として享受してきた誰もが「探していたのは、これだったかも知れない」と、少なくとも読んでいる間は思える。そんな小説が、今なら本屋でふつうに手に入るのだ。読むといい。ぜひ、読むといい。

 物語の舞台は東西の大陸の境界となる多島海、その要所に位置する都「一ノ谷」。
 王宮の外れに古色蒼然とそびえる高い塔、世の万巻の書物をあまねく収集し、うず高く積み上げるアーカイヴがある。
 統べるのは博覧強記と辛辣な毒舌をもって鳴る少女マツリカ。議会と軍部からそれぞれ派遣され、侍る司書は色白で物腰やわらかなハルカゼと、対照的に快活で男勝り・日焼けの似合いそうなキリン。そこに、書物とは縁の遠そうな山奥の邑から、マツリカ様の新たな従者となるべく選ばれた少年キリヒトが参じる…

 …大事なことを書き落としていた。自分の悪いクセなのだが、面白かった本や漫画・映画などを紹介するとき、(魚に例えるなら)その中心に一本・左右にうねって物語を駆動する背骨をつかむことに気が行ってしまい、その鱗の色彩やシルエット・魚体としての美しさを語ることを、二の次として忘れてしまいがちなのだ。『図書館の魔女』は、まずもって文章が美しい
 「決定版」かも、と思いたくなる由縁のひとつである。すばらしく文章の完成度が高い。情報が緻密に詰め込まれ、しかし饒舌ではない。話の運びもキビキビしていて、中だるみということがない。花やかで、滋味もシズル感もあり、場所によっては芳しささえ立ちのぼる。
 そう、柳田國男あたりを彷彿とさせる少年キリヒトの山暮らしの描写から始まり、そのキリヒトが山を離れ、高い塔に参内する冒頭。彼は植え込みの素馨をからませた門をくぐり、石段を進む。
花々はいずれももう枯れかかって緑が褐色に乾いていたけれども、まだかすかに爽やかな香りを漂わせていた。(中略)香りが頬に触れるようだ。
後になって今日のこの日を思いかえすとき、キリヒトがいっとう最初に思い出すのはいつでもこの香りだった。その生涯を通じて、キリヒトはこの香りを忘れることはなかった。どこで素馨の茂みとすれちがっても必ずそれと判った。どこで素馨の茂みとすれちがってもきっと彼女に初めて出会った日のことを思い出した
 香りは記憶を喚起するという。短い文章の中で、(どんな間柄であれ)彼が生涯を捧げる運命の相手と出逢うこと・それでいて二人が歩む旅路には別離の日もあることまでが、未来の記憶としてキリヒトの、肩越しにキリヒトを見守る読者の脳裏に刻みつけられる。
 そして素馨には「ジャスミン」と振り仮名が振られている。言うまでもなく、ジャスミンの別名は茉莉花(マツリカ)だ。数ページをめくれば、彼女はその名をキリヒトに明かすだろう。そしてマツリカもキリヒトの名を呼ぶ。読めば分かるが、キリヒトという「名」を、新たに与えなおす。マツリカの両腕として仕えてきたハルカゼとキリン、二人の側近が一瞬、少年に嫉妬を覚えるほど鮮やかに。
 「こういう感じの物語」においては、名前を明かす・名前を与えるということは、その相手の運命を支配する呪力をもつ。タイトルに敬意を表して「魔力」と言い直そうか。『図書館の魔女』では、この「名前の魔力」が幾度も力を発揮する背骨となる。
 高い塔、ロウソクの灯りの下で少年と少女が出会い、秘蹟のように名前が明かされ、名前が与えられる。指が触れ合う。ひそやかに素馨が香りたつ。官能と呼ぶにはプラトニックな、澄んでいるのに濃密な芳香が、ページという閉じた四角に立ちこめるよう。

 いやそれが、またたく間に、口の悪い少女と負けん気の強い少年、人のいい司書たちに言うたらドジっ子メイドさん(まあ「家刀自」と呼ばれてますが実質はドジっ子メイドさん)まで巻き込んだ、どつき漫才になろうとは
 くどいようだが、この小説には「そういう感じの物語」に求められる、おおよそ全てがある。バランスがよく、レベルも高い。
 「高い塔」のマツリカは万巻の書物の管理者というだけでなく、その博識と底意地の悪い策略で、隣国の脅威に対抗する官位なき外交官でもある。その全権を委任されたキリンが戦争回避を賭け、帝国との論戦に臨む場面では、電車の中で読んでるのに涙が出そうになり困った。そんなキリンの一本気さが笑いを誘う場面では、今度は電車の中で噴くのを胡麻化すので難儀した。
 「高い塔」の中心メンバーに馴染んだころ、マツリカ様の警護ということで兵士たちが数人加わり「やばいなー、これ個体識別できるのか」と不安になったのが、話の展開につれ次第に個性があきらかになっていくのが、キリヒトやマツリカたちの心情を追体験するようで面白い。そして狙われる身となったマツリカを標的に繰り広げられるアクションも、意外や本格的。兵士たちも加わっての終盤・黒幕の館での追撃戦は、ちょっとデジタルゲームの一人称視点シューティングを思い出すほどの緊迫感だった。
 本格ミステリに与えられるメフィスト賞の(ファンタジイなのに、なぜか)受賞作だけあって、最後にはミステリ的な種明かしもあり、それがさらに「名前の魔力」のモチーフに回収もされる。

 おそらくは、陰謀うずまく城内で秘剣がひらめく時代小説が好きな向きでも。麻薬王と潜入捜査官が丁々発止の駆け引きと銃弾の嵐をかいくぐるノワールが好きな向きでも。あるいはアニメやゲームに親しんだ向きでも(なんたって毒舌ヒロインと、ドジっ子メイドさんである)。どんなジャンルでもいい、「面白い話」が好きなんだという人には、自信をもって推奨できるマスターピースの誕生と言えるだろう。
 もちろん、「面白い話」ってのは感動したり、人生や世界について考えさせられたりもする、それでいてお説教と思わず夢中になって楽しめる、そんな話のことだぜという人にも。たぶん後悔はさせない。

マツリカ様・ハルカゼ・キリンの絵とか描きたかったけれど、熱烈なファンのおメガネに叶う気がしないので止めておくよ…個人的に金髪色白というかアルビノ・吸血鬼とすら異称されるハルカゼは(二十代後半なんだけど)ティルダ・スウィントンを脳内で配役してました。何があっても穏やかに微笑んでるハルカゼさんが「○って○○が○○○ないほうが良くないですか」と迂闊に口を滑らせたキリヒトに激怒の場面、分かる気がする!けど「さっぱり分からない」というキリヒトの気持ちも分かる気がする!でツボでした。

中国が二次元への愛を知った頃〜ワン・ラン監督『閃光少女』(2018.10.10)

 すみません、今日のタイトルの元ネタになった小説、未読です
 それと、これも謝っておこう、今日の日記、ほとんど絵日記です。あと相当ネタバレ
 1950年代頃までは映画館だった横浜中華街のレストラン「同發新館」を毎年10月、映画館に「戻して」開かれる横浜中華街映画祭2018。ラインナップの中で気になったのが中国・香港合作の青春ラブコメ映画『閃光少女』(ワン・ラン監督/2017年)。
 いや、「中国で新人賞総ナメ」「青春ラブコメ」「伝統音楽」「メガネ女子」「メガネ男子」のキーワードだけで「観たい」と思った自分の慧眼を褒めたいね。

 タイトル『閃光少女』には「Our Shining Days(私たちの輝ける日々)」と英題が添えられていて、それだけでホロリと来てしまう。
 舞台は西洋音楽科と伝統音楽科、ふたつに隔てられた学科が互いにいがみあう音楽学校。端正な横顔で流麗にピアノを奏でる西洋音楽科の先輩に一目惚れした伝統音楽科のヒロインは早速アタック。しかし彼は彼女の楊琴を「音楽じゃない」と嘲り「君に好かれても迷惑だ」と拒絶する。練習室の給湯器でシャブシャブを調理するバイタリティ溢れる彼女は「伝統音楽で先輩を振り向かせてやる!」と宣言。しかしジリ貧の伝統音楽科では楽団も解散・バンドを組もうにも仲間もいない。悪友のメガネ男子が「ひとつだけ手段がある」と提案したのは…
 ということで、ここまでは(一応)普通の青春ラブコメなのだが、ここから話は斜め上に展開する。
 実は事前情報で見落としていたのだ。メガネ女子×メガネ男子×伝統音楽「×コスプレ」と紹介されていたことに。

 救いの神は二次元愛好家=オタクの四人組だった。女子寮の扉にキョンシー避けのお札のデザインで「人間立入禁止」と貼りつけた彼女たちはゲームと漫画を愛するコスプレ女子で、しかし伝統音楽への造詣も深い超絶技巧の演奏家ぞろい。特にリーダー格の男装少女はネット動画で「千指様」と崇拝されるアイドルで、とゆうかメガネ男子くんも「実はファンでした!本当は俺もオタクなんです!」
 そんな具合なのでバンド参加の報酬は高価なフィギュア(黒執事とかありましたよ)。初舞台はホログラムの美少女が乱舞するコミコン。途中、実写が漫画やアニメに切り替わりまでして、制作陣の「今の若者の心を捉えるオタク文化を最大限、作品に取り込もう!」という気迫が暴走する。
 「実は俺もオタクで」とカミングアウトしたメガネ君も、コスプレの経験値は乏しかったらしく、コミコンに臨んだ扮装は「なんだなんだ、五四運動か?」(そんなツッコミ初めて聞いた)と言われる始末。このままでは客に逃げられる、崇拝する千指様のステージを失敗させるわけにはいかないとメガネ君が上着を脱ぎ、メガネを外すと

 まさかの「メガネを外したらイケメン」発動。ただのTシャツもイケメンが着てれば「ノームコア」ということか。
 その後も「君たちの楽器なんて数年後には博物館でしか見られなくなるさ」などと挑発する西洋音楽科と伝統音楽科が演奏バトルで決着・さらには廃科の危機と、古くは『フットルース』最近では『ラブライブ!』とか、音楽+学園モノの王道展開。最初は憎まれ役だった西洋音楽科が互いの実力を認めあって助力したり、野放図に見えたコスプレ四人組も家族や友達にはオタク趣味を理解されず苦しんでいたり…と言えば、連想される映画や漫画は、もっと多いだろう。
 そして個人的に一番グッと来たのが、演奏を終えて帰るバスの中、疲れ果ててうとうとしては窓ガラスに頭をぶつけるヒロインを見かねて

 (元)メガネ君が後ろの座席から手をのばし、彼女の側頭部が窓に当たらないよう、そっと支える場面。このせつない愛情が報われるかは…さすがに、それくらいは伏せておきましょうか。
 ほとんど完全にネタバレになってしまったけれど、敢えてそうしたのは、この映画、今回のようなフェス以外で劇場にかかる可能性は低そうだし、DVDや配信でリリースされる保証もないためだ。
 インド版ロミオとジュリエットの『銃弾の饗宴〜ラムとリーラ』、台湾の同性愛をめぐるコメディ『ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー?』など、映画祭以外の形では劇場公開されてない映画・DVD化や配信もされてない映画。自分はそれほど熱心(マニアック)な映画ファンではないから数も少ないが、こんなふうに面白かった作品を他のひとと分かち合う可能性が(ほぼ)ないのは、やはり悲しく淋しいことだ。
 あと、今回の上映には年齢層も比較的高めの、言うなれば上品な、もっと言うなれば作中でコスプレして演奏動画を撮影する娘を「理解できない」という親たちに近いかも知れない人たちが多かったため(そういう人たちも本作を観れば「分かる」側に近くなったと期待しますが)オタクのひとは機会あったら是非観てと言える誰かが言うべき→それって自分なのでは?と思った次第。
 こんな紹介では全然スポイル出来ないくらい、魅力にあふれた映画でした。機会があったら逃さないで。

爆心地の下〜伊格言『グラウンド・ゼロ〜台湾第四原発事故』(2018.9.28)

 嬉しいこともある。
出版不況にめげない!台湾の活力あふれる「独立書店」をまとめた
 『書店本事 個性的な台湾書店主43のストーリー』を翻訳出版したい!
(THOUSAND BOOKS)
というクラウド・ファンディングが目標額を達成し、来年の春に邦訳刊行の運びとなった。日本でも個人経営の書店や出版社の動向が(自分の錆びかけた)アンテナに入ってきたのと呼応して、気になる一冊でもあった。向こうで発行された原書と突き合わせれば、中国語の勉強になるのではという野望もある。あわよくば現地の書店のいくつかを訪ねてみたい。
 そしてもちろん、書店や出版をキイとして、かの国の現代史・社会史や生活・文化を知れるのではという関心がある。日本人が台湾を訪れ、取材した「台湾の本」や雑誌特集は多い。むろん優れた物もだ。けれど、現地の人々が自ら発信している情報は、その気にならないと、なかなか掴めない。

 伊格言グラウンド・ゼロ〜台湾第四原発事故』(倉本知名訳/白水社)は原著2013年・邦訳2017年刊。台湾発の近未来ポリティカル・サスペンス≒同時代のエンターテインメント小説をほぼリアルタイムで読めるのは、かなり貴重な機会ではないか。知って、すぐさま飛びついた。
 副題のとおり、実在の原子力発電所が事故を起こし、台湾の北半分が居住不能になるという内容。作家業のかたわら反原発運動にも積極的に関わっていた著者が、事故の時期に設定したのは2015年、原著刊行のわずか二年後だ。近未来どころか超近未来、近すぎて既に過去になっている
 あるいは「ありえた未来」と呼ぶべきか。現実と同様、作中でも2011年の福島原発事故は起きている。2017年に台湾政府は脱原発を宣言したが、発表当時は(事故はともかく)福島事故を踏まえてなお、台湾が原発推進に舵を切る展開も十二分に現実的だった。
 物語は2015年10月19日を事故=グラウンド・ゼロと設定し、その一年前=刻々と事故に近づいていく日々と、二年後=事故から次第に遠ざかっていく日々を交互に描いてゆく。
 ちょっと面白かったのは事故前の、恋人たちの会話に日本の漫画『名探偵コナン』が登場すること。自分が少年に戻った夢を見た、という主人公に
「つまりあなたはコナンってわけ?それとも工藤新一?」小蓉はアニメの声優を真似て言った。
「犯人はこの中にいる!」
 「笑えないよ」。林雄浩は声を落として言った。
「まるで笑えない。もしも僕がコナンなら、君は毛利蘭なんだぜ。工藤新一と毛利蘭の関係はこの世界で最も残酷な愛情物語なんだ。君はどうやって子どもになった恋人を愛するんだ?」
やっぱり台湾でも日本の漫画は人気だなあとか、「コナン=新一」はネタバレ=公然の秘密だけど大丈夫か?外国で盛大にバラされちゃってるよ、とか思ったりしたのだが、この何気ない会話も後々の伏線に、なると言えばなっている。
 先に「エンターテインメント小説」とは書いたが、SF的なガジェットやサスペンスを十分に盛り込みながら、本作はメインストリームの文学作品に近い思想や文明観・人間観を盛り込んでいる。読了感はスリルやカタルシスと言うより、深く沈むような「悲しみ」に近い。

 読み進める途中で、事故前の日々を描く章がABOVE GROUND ZERO、事故後の章がUNDER GROUND ZEROと題名づけられていることに気づかされる。念のため確認してみたがaboveもunderも時制での前・後を示すことは普通なく、位置感覚的な上・下の意味でよいようだ。
 最初はどちらも茫洋と、ゆったりしたテンポで始まる二つの物語。それが事故後の章で「あのとき何が起きたのか」知ろうとする主人公の探索が核心に近づくのと相まって、事故前の章のカウントダウンが加速し、まるで上(above)から落下する・手足を振り回しても何も掴めず落下するようにグラウンド・ゼロ=爆心地に至るサスペンスが頂点に達する。
 そして抑制されながらも壊滅的な打撃を示唆する事故後の描写を経て、あらためて「爆心地の下」の意味が胸に迫ってくる。事故は遠ざかるのではなかった。いつまでも続く入院患者の列。監視と隠蔽。生き延び台南に新政府を構えた人々もまた、グラウンド・ゼロの「下」に封じ込められ、深い底に向けて沈む一方なのだ。

 こうした物語を、実際に事故が起きてしまった日本で書くことは難しいだろう。それは現実に避難を余儀なくされた人々へのデリカシーの問題でもある。けれど同時に、僕たちの国では事故のショックがあまりに大きかったため、逆に被害をなるべく小さく見積もり、目を逸らそうという否認が働いているのでは、という懸念も捨てきれない。実際、この本を読んでいる最中に、伊方原発(愛媛県)の再始動を容認する高裁の決定が報じられた。対岸の事故を見て、紆余曲折を経ながらも脱原発を選んだ台湾とは、対照的と言えはしないか。
 己の姿を直視することは難しい。深いダメージで自尊心が傷つき、弱っている時はなおさらだ。だからこそ「隣国(台湾)で隣国(日本)の受けたダメージを自国(台湾)に投影して描かれた近未来」という間接的な形で、世界の中で日本がどう見えているか、これからの日本がどう見えるかの似姿を垣間見れるのもまた、貴重なことだと思う。

 また、本作の舞台は台湾で、台湾独自の事情を綿密に描いてはいるけれど、それは「たまたま台湾」で、制御できない技術的な怪物を抱えてしまった世界全体の、普遍的な物語だとも言える。「制御できない怪物」は原子力や放射能ばかりでなく、経済や株式市場も含むだろう(本作の終盤の一章が、投機家の描写に割かれているのも印象的だ)。作中の第四原発が不可避的な事故に向けて「落下」していく描写には、ブラック企業的な現場の実態も示唆されている。
 生真面目で、もしかしたら生硬な作品なのかも知れないけれど、読むに足る一冊でした。呉濁流文学賞長篇小説賞・華文SF星雲賞長編小説賞。

 些事なのですが、本作には若い女性がカラオケで「広島の恋人(ヒロシマ・モナムール)」なる歌を唄う場面があって気になっている。ヒロシマ・モナムールというのは往年の日仏合作のタイトルで(邦題『24時間の情事』)同名の曲が二つほどあるらしいのだけど、一曲はウルトラヴォックスのエレクトロ・ポップ、もう一曲はイングヴェイ・マルムスティーンが在籍していたヘヴィメタル・バンドの曲で、ともに80年代初頭、2017年に歌われる曲とも思えない。
 第三の(あー、やはり80年代のムーンライダーズ「24時間の情事」も入れれば第四のか)ヒロシマ・モナムールについて御存知のかたが居らしたら、御教示ください。緩く待ってます。

東北落ち穂拾い〜18きっぷ東北旅行2018夏(2018.9.22)

 お前は東北で本を買って本を読んで麺やら丼やら食べて来ただけか。まあその通りなのですが、それだけでない東北の魅力ということで、若干の拾遺を。

 歴史に触れる
 岩手県から秋田県へ・東北本線から奥羽本線に乗り換えての鉄路で停車したのが後三年の役ならぬ後三年の駅

平泉(岩手県)は何度も通過・立ち寄ったこともあって「義経がここまで落ち延びてきたのか」と感慨にふけったりもしたのだけど、恥ずかしながら後三年の役がこんな北(秋田県)だとは知らなんだ。当時の社会は京都中心・関東でもド田舎扱いという先入観から、どうも日本を狭く見積もる悪癖があるらしい。ちょっと反省。
 歴史つながりで言うと、仙台と青森で、それぞれ太古の遺跡を訪ねる機会がありました。

 地底の森ミュージアム(仙台市長町)は二万年前の炭化した森と当時の生活の痕跡をそのまま保存した遺跡。縄文・弥生の石器や道具類の展示も。再現された当時の服装が、意外にカラフルで、これもイメージ変わりますよね。

 そして青森市が誇る三内丸山遺跡。まあ「行ってきたよ!」以外、上手く語れることもないのですが…

 青森(と秋田)の眺めの良さ
 三内丸山遺跡に隣接してあるのが青森県立美術館

 奈良美智の作になる「あおもり犬」ちょうど西に傾いた太陽を背にしたせいで妙に現実感のない写真が撮れてしまったけど、本物。そして画像では分かりにくいけど巨大。大人で鼻に手が届くくらい。
 美少女展(と言っても大正モダンなどの作品が主軸っぽかったと記憶)やメガネ展(語弊あり。遠眼鏡・だまし絵からVRまでを網羅した「めがねと旅する美術展」)など、トンガッた企画展の名が届いてくる青森市立美術館。ちょうど特別展は切替の時期で、コレクション展だけだったけど、これも逆に良かった。

 これも巨大さが分かりにくいけど、エントランスホールの四面に吊るされた、シャガールによる舞台用の背景幕。純真な美しさと戦慄すれすれの異形が同居する、独自の世界。
 コレクション展は青森出身の作家5人に絞ったもので、そのラインナップが奈良美智棟方志功・絵本で知られる馬場のぼる・ウルトラマンや怪獣をデザインした成田亨そしてベトナム写真の沢田教一という密度の高さ。駅から遠いのだけは難点ですが(まあ最初からバスを利用すれば良かったのですが「最寄りの駅から歩けば」と高をくくってたら小一時間歩いた)訪ねるに値する美術館でした。

 天気が良かったことにも圧倒的に助けられてのことですが、青森港も眼福でした。左に津軽半島・右に下北半島を望んで、さすがに北海道までは見えなかった。
 青森のホテル・地上6階の部屋で寝ている真夜中に北海道の地震があって、実は今回の東北旅行「頑張って函館まで到達できないかなー無理だー」となったのと、そもそも「7月に豪雨で被災した中国四国に(大阪経由で)観光でお金を落としに行くべきではないか」と迷ったけど初志貫徹で東北を選んだら、今度は大阪が豪雨で大変だったという。
 正直「被災地にお金を使いに行く」なんて自己満足でしかない側面もあり、じゃあ何が役に立つのかと言えばそれが政治だろうという思いがあって、なんで臨時国会を10月末まで開かんのん?補正予算、組まんのん?でもって被災地のための措置より総裁選を優先して、三期目が決まった自民党の総裁、第一声が「臨時国会で憲法改正」って何なん?
 「棄民党」とでも改名したら如何か
 …びゅんびゅん飛び去る車窓からの眺めゆえ写真には収められなかったけど、青森〜秋田の鉄路の風景も好かった。こんもりと緑を茂らせた山々が連なる眺めも(それ山脈でいいんじゃない?)ふつうに良かったけど、そういうのを背景に時々、平野(もっぱら水田)の中に一山だけコンビニのおにぎりみたいに真三角な山がそびえてる光景を何度か見かけて、ああいうのが百名山とかになるのかなーと思いました。

 おまけのおまけ
 岩手(北上駅)の顔・秋田の顔・青森の顔。「悔いなきまで欲しいものは買う」を目標にした今回の旅行だけど、ねぶたフェイスパックを買いそびれたのは、ちょっと悔いが残りました。

 石巻美人と秋田美人。秋田美人は庶民的。

 えー、ご当地キャラ・地元キャラには、なまはげ・ねぶたのような伝統的なのの他に「新興ご当地キャラ」がおおよそ三別できる形でございまして
1:(ぬいぐるみや、ヘタウマっぽい)ゆるキャラ
2:(美少女などの)萌えキャラ
3:そして(特撮風の)ヒーローもしくは戦隊
 3のご当地ヒーロー・戦隊が、一番マイナーであるぶん最も関係者の思い入れが深い(重い?)気がするのは気のせいか。

 一ノ関で採取した新幹線はやぶさ・こまちの擬人化(人?)。特撮ヒーローと鉄道は、なんか相性が良さそうである。
 少しだけ立ち寄った盛岡(岩手県)では、地方テレビ局でオリジナルの変身ヒーロー番組の放映直前だったのですが

俺の右手は南部鉄器だお、おう…(東北旅行2018・おわり)

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