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ナチスの手法を発明した男〜レン・デイトン『ヴィンター家の兄弟』(14.07.22)

【徴兵制度の裏をかくのは、たいして難しいことじゃないよ】

 正月に帰省した折、実家近郊の古本屋で吉田健一の文庫を一冊入手した。また、前から(一度は読み直さなきゃ)と思っていたレン・デイトンの大河小説『ヴィンター家の兄弟(上下)』(田中融二訳・新潮文庫)を実家の本棚から取り出し、ヨコハマに持ち帰って来ていた。
 他にも読むべき本は多くて、ようやく7月に吉田健一の順番が廻ってきて、次は『ヴィンター家』だなと自ら腑に落ちた。
 なぜなのか。それは文人・吉田健一の甥にあたる麻生太郎氏という政治家がいて、自民党の副総理である彼が昨年、自党が望むような憲法の改定について(発議し国会で可決され国民投票を経る公正な手続きでなく)「ナチスの手法」を使えばいいと発言した−デイトンの小説は、まさにその「ナチスの手法」を発明した男の物語だったからだ。

フィクションであり、架空の人物です。たぶん。

 原題『WINTER: A BERLIN FAMILY 1899-1945』。20世紀を間近に控えた1899年に銀行家ヴィンターの次男として生まれたパウリと、三つ歳上の兄ペーターの、ダブル主人公で物語は紡がれる。
 ドイツ皇帝を崇拝する幼い兄弟。さらに少し歳上の、リープクネヒトに心酔する共産主義者の少年との出会い。そして第一次世界大戦。イギリスを爆撃する飛行船に登場した兄ペーターは撃墜され負傷し退役。フランス国境の塹壕で戦う弟パウリは、ドイツ降伏後も武器を持ち続ける義勇軍に身を寄せる。カギ十字を徽章とするその義勇軍を前身としたナチス党・その警察組織ゲシュタポに、パウリは法律家として雇われ、やがて…
 ただドイツの一家の物語であれば(深くはあれ)狭く終始したろう話が、兄弟の母ヴェロニカがアメリカ人という設定によって大きく広がる。やはりアメリカ人の女性と結婚し、その妻ロッティがユダヤ人だったことから、兄ペーターの人生は、母方の叔父グレンやその友人のイギリス人アランといった英米の人脈と否応なく結ばれる。
 一方で弟パウリの人生を彩るのは、第一次大戦で肩を並べ、ドイツ国防軍に進んだ昔気質の軍人ホーナー・陰湿な元上官ブラント・ナチの幹部として出世街道を歩むエッサーといった面々だ。
 そしてこのエッサーの依頼に応える形で、法律家のパウリはナチスが実権を獲得するための法の抜け穴を次々と「発明」していく。
 議員特権を利用して、法が禁止したナチ制服での議会登壇を可能にする。「法の解釈を変えることで」秘密警察に万能の予備逮捕の特権を付与する。前大統領ヒンデンブルクの死去にともない後継者となるべきヒトラーが、しかし大統領に要求される憲法遵守義務を回避するため、大統領には就任せず新たに設けた「総統」という役職に就かせる。徴兵権がないSSが軍を持つことを可能にし、そしてドイツ法の及ばない隣国ポーランドに収容所を設ける秘策を提案して、ユダヤ人の大量殺戮への路を開く−
 実際には数多くの官僚によって行なわれたろう、これらの手法を、たった一人の、当人はお人好しで身内のユダヤ人救済のため奔走までする悪意なき法律家がすべて発明した、という「発明」によってデイトンは、非人格化された顔のない巨大な圧殺のシステムに「顔」を与える。
 困ったことに読む者の多くは、結果的に彼が可能にした悪行の巨大さにたじろぎ、これはとても許されるものではないと理解しながら、一個人としては(ユダヤ人である)義姉や父の愛人まで救おうと右往左往し、けなげにも報われない生涯を送る彼を何とか救えないかと思わずにはいられないだろう。

 そのことに焦点を絞らなくても、第一次世界大戦の塹壕や第二次世界大戦のモスクワの悲惨、旅客飛行船ツェッペリン号の優雅さや大恐慌の奈落、ブレヒトやハリウッドまで顔を出す20世紀前半のパノラマだけで、きっと読者は十分に堪能し、満足するはずだ。およそ四半世紀前の文庫だが、今この小説を、それこそ「ナチスの手法を生んだ男」とでも帯に書いて書店に並べたら、手に取るひとは少なくないと思うのだが。
(※ちなみに著者デイトンの二つ名は「スパイ小説の詩人」で、この大河小説も実はスパイが縦糸を紡いでいる)

 以下は与太話で、冒頭にあげた吉田健一とその甥について。
 伯父にあたる健一は20世紀の日本で最も政治的だった吉田茂という人物の息子にあたるわけだが、息子の彼は一切政治に関わらず文筆家としても政治について書いたりはしない、非政治的人間として生涯を終えた。
 僕は彼の文章のファンだが、ときどき彼が見せる狷介さ、「至極あたりまえのことを言ってるのに妙にややこしい話になってしまうのは(あたりまえがあたりまえでない)世の中がおかしい」的な態度、その悪くいえば自分がよしとしないものを見下すときの意地の悪さ・乱暴にいえば高慢さといった資質を…甥である現与党の現副総理に、僕はつい投影してしまう。
 そして伯父健一が一生政治に関わらず、酒と食事とあふれる学識をただ享楽して生きたように、甥も政治を選ばず文筆の道を進んでいたら…と想像しないではない。いや、彼が好きだというマンガやアニメにたとえば評論家として本気で取り組んだとして、その狷介さを愛されるほどまでに高めて、伯父のような文名を築けたかは分からないけど…

 …ヴィンター家の物語につられて、ひょっとしたら同じくらい幅広くドラマチック(で悲劇的)かも知れない吉田家の物語について、余計なことを考えてしまった。ただまあ、気がついたら現在アジアの指導者は日本や隣国やその隣国も含め、大半が結果として世襲なのだそうで「◯◯家の物語」はゲンナリするけど現代政治を読み解く鍵のひとつかも知れないのでした。
 50年か100年後くらいにデイトンのような謀略小説の大家が、ということはなくとも、ツヴァイクのような歴史作家が書かないとは言い切れず。
 なお、麻生太郎氏が首相になったころ著書として出版された新書は、今のところ僕の読む予定に入ってはいない。

(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1408  1406→  記事一覧(+検索)  ホーム