記事:2000年3月(普請中) ←0108  9805→  記事一覧(+検索)  ホーム 

リリーのおもかげ〜ザ・フー「Pictures of Lily」・瀬戸川猛資『夢想の研究』・丸谷才一『猫だつて夢を見る』(00.03.20〜23)

1)失なわれた週末(3/20)
 三連休のほとんどを、部屋をひっくり返すことで費やしてしまった。瀬戸川猛資『夢想の研究』(創元ライブラリ)を再読していて「女優リリー・ラングトリー」という一節を見つけたせいだ。このリリーって、やっぱりあのリリーなんだろうか?そう思うといても立ってもいられなくなったのだ。
 「あのリリー」とは丸谷才一さんのエッセイに出てくる「百合のように白いのでリリーと呼ばれた」女優のことだ。たしか『猫だつて散歩する』(文春文庫)に入つてた話ぢやないかしら。ところが探さうと思つた本に限つてなかなか見つからない(さういふことつてあるでせう)。下手な文体模写はさておき、部屋の整頓のためダンボール箱に入れていた文庫を思い切りぶちまけることになった。

 文章や全集をデジタル化・CD-ROM化することで文献学の方法が飛躍的に向上したと読んだことがある。たとえばカントやシェイクスピアが、生涯に渡って何々という単語をどれくらい使っているか、また時代を経るに従ってその使い方がどのように変化しているかといったことが、検索キーのひとひねりでパッと出てきてしまうのだ。だったらこれを早くデジタル化してくれと血を吐く思いで叫びたいのは、丸谷さんの一連のエッセイだ。実は自分で索引を作るべきかなと考えたこともある(時間がなくて挫折)。年に何度かは「ああ、あれは丸谷先生のどの本に書いてあった話だっけー!?」と本棚をひっくり返す羽目になるのだから。

 18世紀中ごろ、地中から発掘される恐竜や大型哺乳類の化石をぜんぶ人間と勘違いし(!)、アダムは身長124フィート(38m)、ノアは27フィート、モーゼはわづか13フィートとどんどん縮小している、それに歯止めがかかったのは「キリストが出現したおかげ」だという学説を発表した人がいる。
この僕が大好きな逸話も調べてみたら丸谷さんのエッセイで読んだ話だった(『男ごころ』新潮文庫)  007の作者イアン・フレミングが書いた「小説で食べ物をおいしそうに描写する秘訣」というのがあって、これが見つけられず本をひっくり返して悶絶した時期があった。今は見つけられるので、小説書きの方のために引用しておく。
「彼は”本日の特別料理”−すばらしいコテージ・パイと野菜と、それから自家製トライフル(中略)−であわただしく食事をすませた」と書くかわりに、「”本日の特別料理”というやつは一切本能的に信用していなかったので、彼は両側を焼いた目玉焼き四つと、バターをつけた熱いトーストと、それからブラックコーヒーの大きなカップを注文した」と書くのである。(中略)たしかにうまさうだ。欲望をきつく刺戟する。
おいしそうでしょ?『好きな背広』(文春文庫)所収。
 『好きな背広』には、シャンパンのオレンジジュース割りを「仔鹿のフィズ」と呼ぶとも書いてあるけれど、同じものを伊丹十三さんは「ミモザ」と呼んでたような(『ヨーロッパ退屈日記』文春文庫)。しかし『猫だつて夢を見る』は見つからない(泣)。女優リリーの話が入っていそうな第二候補『犬だつて散歩する』(講談社文庫)も(号泣)。
 結局、同じく丸谷ファンで、さいきん部屋の整理整頓に成功した(笑)兄に電話をかけ、調べてもらうことにした。
 また、それに先立ち、例によってインターネットを使い「Lily」「Lantley」の複合検索をかけてみるも、例によって絞りこめず。どうも最近のアメリカに似たような名前の女優さんがいるらしい。『ビバリーヒルズ青春白書』か何かに出てます?僕が知りたい女優リリーは今から約一世紀前、ヴィクトリア時代の人なのだ(もちろん続く)

※しかし、事態は此処から大きく展開する。
2)正式な愛人(3/21)
 索引つけてくれと言えば、今なにかと話題の『これを英語で言えますか?』(たしか講談社)。ちょっと見、なかなか面白そうな本だけれど、あれに索引がない(たしかなかった)のは、あんまりではないか(マクラ)。
 以下本論。ビートルズやストーンズと同時期にイギリスでデビューし、60〜70年代を駆け抜けた「ザ・フー」というバンドがある。ロックオペラ『トミー』などで知られる彼らに「リリーのおもかげ」というシングル曲があった。
 原題はPictures of Lily=リリーの写真。眠れぬ日々を過ごす思春期の「僕」に、父さんが「リリーの写真」をくれた、という唄だ。リリーの写真をもらって以来、「僕」は安らかに眠れるようになる−ジャジャジャジャッジャッ(←ギター)リリーの写真♪ジャジャジャジャッジャッ♪リリーおーリリー♪ジャジャジャジャッジャッ♪リリーおーリリー♪ジャジャジャジャッジャッリリーの写真!(間奏)
 間奏が終わると問題が持ち上がる。「僕」はリリーに恋してしまうのだ。彼女に会えないかと訊ねると、父さんは「冗談はよせ」と言う。「彼女は1929年に死んでる」ああ、その晩「僕」はどれほど泣いたことだろう−
 「ぎゃー♪」とか「俺が俺が♪」とか言ってそうなロックの歌詞が意外に軟派で、文学的な屈折に満ちていることに驚いていただけると嬉しいのだが、問題はこの「リリー」という女性。
 兄に聞いてみると、やっぱり『猫だつて夢を見る』でよかったようだ。丸谷さんのエッセイではリリー・レントリー。ラングトリーと同一人物と考えて間違いないだろう。ヴィクトリア時代のイギリスで一世を風靡した舞台女優だ。当時の皇太子エドワードの愛人としても有名で、それがさらなる人気につながり彼女の肖像画や肖像写真は飛ぶように売れたという。メディアの創生期が生んだ、いわばブロマイド・スターの走りだったわけだ。
 後は説明するだけ野暮だけど、野暮なので説明する。
 気づいてしまったのだ。60年代のロックバンドが唄ったPictures of Lilyとは、このリリー・レントリーの肖像ではなかったかと。
 根拠も証拠もない。おそらくロックの世界で誰も取り上げたことのないトンデモな説だと思う(つづく)。

3)レントリーかラングトリーか(3/22)
 イギリスのロックバンド「ザ・フー」のヒット曲「リリーのおもかげ」に唄われた「1929年に死んだリリー」とは、ヴィクトリア時代に一世を風靡した女優・にして皇太子エドワードの愛人=リリー・レントリーではないのか。
 もちろん、さしたる根拠も確証もない。強いて挙げれば
・リリー・レントリーは似顔絵や肖像写真が飛ぶように売れた世界最初のブロマイドスターだった。ゆえに「Pictures」of Lilyのヒロインにも相応しい
・「父さん」がその没年を正確に言える以上、肖像の人物は(出所の分からない無名の女性ではなく)ある程度以上の有名人だった可能性が高い
くらいは主張できるが−
 そんなまだるっこしいことを並べなくても、彼女の没年が分かればいいじゃないか。
 1929年なら当たりだし、そうでなければ文字どおり机上の空論で幕だ

 もちろん数年前この奇説を思いついた時もそう思った。だが当時調べた限りでは、リリー・レントリーなる人物は数種の百科事典を探しても見つからなかったのである。残念ながら、そこまでメジャーな人物ではなかったか、そう判断して撤退した。
 しかし。ここで話は瀬戸川猛資『夢想の研究』に戻る。
 同書によれば、1940年に作られた異色ウェスタン映画『西部の男』は実在した「首吊り判事」ロイ・ビーンを
「イギリスの舞台女優リリー・ラングトリーに恋い焦がれる老人に仕立てて、異様なるロマンティシズムを盛り込んでいる」
らしい。ロイ・ビーンの物語は後年ポール・ニューマン主演でリメイクされたらしいが(これはインターネット検索で仕入れた情報)やはりビーン判事が「リリー・ラングトリー」の舞台を見に行くエピソードがあるらしい。それはつまりどういうことか。こういうことである。
 第一に、女優リリーはアメリカの判事にまでファンが出来る有名人だった。きちんと探せば見つかるのではないか。
 そして第二に、女優リリーの名前を、日本では、レントリーではなくラングトリーと表記する方が一般的なのかも知れない。

 実は「ラングトリー」でインターネット検索をかけてみた結果、さきのポール・ニューマン主演の『ロイ・ビーン』と並んで、どこぞの美術展で「ヴィクトリア時代の女優リリー・ラングトリーの肖像」が展示されるという情報が見つかった。リリー・レントリーなる人物は探しても見つからなかった。だが「ラングトリー」で百科事典を引いてみたらどうだろう。
・「やっぱりラングトリーでも見つからなかった」と泣く自分
・「ラングトリーで見つけて、1929年没じゃなかった」と号泣する自分
の姿が未来視できなくもないけど(笑)これは再度、行くしかないでしょう、横浜市立中央図書館へ(つづく!)

4)(3/23)
Langtry, Lillie, nee EMILIE SHARLOTTE LE BRETON, also called (from 1907) LADY DE BATHE(b. Oct. 13, 1853, Isle of Jersey, Channel Islands - d, Feb. 12, 1929, Monte-Carlo),British beauty and actress, known as Jersey Lily.
百科事典「ブリタニカ」より。まさか本当に当たりだったとは。
 本来ならここで「わー本当だったすげーすげー」と騒いでも良さそうなものだけれど、逆にアンチクライマックスのように、しゅんとしてしまった。それはもう「1929年に彼女は死んでるよ」と父親に聞かされた少年のように。

 いきなり飛躍するけれど、『市民ケーン』の記者たちが仮に「バラのつぼみ」の秘密にたどりついたとしたら、やはりしゅんとしたのではないだろうか。あれは謎が謎のまま終わるからこそ「よく出来た話」だったのだと。世の名探偵たちは、謎が解けてしまうたび索漠とした気持ちになるのではないかと。
 今回はじめて、そんなことを思いついた。瀬戸川さんといえば『市民ケーン』とエラリー・クイーンの関連についての卓抜な指摘が浮かぶから、かも知れない。少し苦い発見でした。


(c)舞村そうじ/RIMLAND ←0108  9805→  記事一覧(+検索)  ホーム