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言うまでもない(15.01.12)

 君たちはルネ・ジラールという思想家を知っているだろうか。いや、別に知らなくてもいい。彼の書いた『ドストエフスキー』という評論の訳者あとがきを読んで、私は強く勇気づけられた。
「この(中略)という図式が本書『ドストエフスキー』の根底にあることは、あらためていうまでもない
 また翌日、次は何の本を読もうかと、今度はミシュレという(彼のことも、知らなくてもまだ好い)歴史家の『フランス革命史』という本を少しめくって、また心を強くする一節に私は出会った。
「中庭にいた連中が急いで脱出したかどうか、言うまでもないことだ。急にはそんなことはできない」

 少し小難しいエッセイや論説・ブログや何やかやで「それが何なのかは、言うまでもないだろう(おわり)」と、したり顔で切り上げる文章に出会うことが、ままある。君たち自身も、そういうフレーズを使ってみたい誘惑にかられるかも知れない。
 だが「言うまでもない」と君が思って「言うまでもない」と書いたことが、君の思ったとおり読み手も「そうか、言うまでもなく◯◯だな」と伝わる保証はない。
 むしろ「言うまでもないって、何が?」と困惑される可能性が限りなく高い。

 これを一般論・抽象論に昇華していえば、君自身はよく分かってる(つもりの)ことでも、君以外の人が同じ認識を共有しているとは限らない。君と他人は違うのだ。分かり合いたければ、分かり合う努力が必要だ。また、相手のことは分からないとする想像力や思いやりも必要だ。

 しかし具体的な教訓としては、どんなに迂遠で馬鹿っぽいと思っても「それが何なのかは言うまでもないだろう」ではなく「◯◯なのは言うまでもない」「言うまでもなく◯◯だ」と書きなさい。これに尽きる。
 「言うまでもない」と書きたくなることは、逆にいえば、これだけは分かってもらわないと困る大事な内容であるはずで、だからこそ「◯◯なのは言うまでもない」と◯◯を念押しすべきなのだ。

 そしてまた読む側としても、「それが何なのかは言うまでもない(おわり。くーカッコいい)」という気取りより、「それが◯◯なのは言うまでもない」とベタを選ぶ・「ちゃんと言わないと伝わらないかも知れない」という配慮と「これだけは伝えたい」という熱意をもつ著者を、これからの人生で味方につけていくといい。
 新成人おめでとう。

※むかしサントリーという会社の新聞広告で、
 毎年成人の日に山口瞳さんというひとが新成人を祝福しエールを送る短文を書いていた。
 これから新たな顧客となる新成人への、酒造会社の粋なはからいであった。
 氏はとっくに天に召されたので今日だけ不肖マイムラが代理をつとめてみました。
 こういうことも、いちおう言っておかないと伝わらないのである。

譲ります〜ルネ・ジラール『ドストエフスキー』(15.01.15)

「注目すべきことは、ドストエフスキーが、その少年時代から晩年までの間に、ほぼ三世紀の長さに
 わたって西欧に横たわっている弁証法の、すべての契機を走り抜けたということである。
 (中略)
 一八六三年には、このロシアの作家は、ドイツやフランスの作家たちよりも、まだ三十年か五十年、
 いや二百年遅れていた。ところが数年後には、すべてに追いつき、追い越してしまう」

 よくよく調べてみたら山口瞳さんが「大体もう言いたいこと書き尽くしたから」と(?)天界に戻られたのが1995年。その年に生まれた赤子が去年だか今年だかの新成人なわけで、サントリーの新聞広告なんて現在アラサーの人だって憶えちゃいないよ。
 という与太話はさておき。
 その過日の日記で名前だけ出した、ルネ・ジラールの『ドストエフスキー 二重性から単一性へ』という本(鈴木晶訳/法政大学出版局)。昨年秋、神田の古本祭で入手したのですが、
 実は自分、このテキストを二冊持ってました(馬鹿)
 やはり昨年、別の古書店で買い求めた、同じジラールの『地下室の批評家』(織田俊和訳/白水社)という評論集。この中に一章として、件のドスト論がまるまる入っていた。どうも原著で、先にドスト論だけ新書で出版され→それを訳したのが『ドストエフスキー』らしい。

 と、いうわけで。いわば先行シングルに当たるこの『ドストエフスキー』ダブリになるので、希望するかたに譲渡しようと思います。条件は三つ、とゆうか二つ:
1:RIMが参加する同人誌即売会の会場で、受け渡しできるかたに限ります。
  まずは来月の東京コミティアから、最初に申し出たかたにお譲りします。
2:『カラマーゾフの兄弟』のネタバレ(フョードル殺しの真相)がありますので
  最低限『兄弟』は既読の、まあドストが好きなかたに限ります。
2':ちなみに読了後、転売等されてもかまいませんが、上記のような経緯により
  (現在は法政からも『地下室の批評家』新訳で出ている模様)
  あまり好い値段では売れないと思います。

 ルネ・ジラールは(本サイトごらんのかたはお察しのとおり)この数年、僕が熱心に読んでいる、半世紀〜四半世紀前に健筆を振るった思想家・評論家。その思想は大まかに
・文芸評論を通じて、人の嫉妬や虚栄心・模倣のメカニズムを追究する前期
・人類学的な主題にシフトし、社会がスケープゴートを生み出す迫害の仕組みを暴いた後期
に分かれます。『ドストエフスキー』は言うまでもなく(←あっ、出た!)前者で、まっすぐ対象に向かわず捻じくれる人の虚栄心・羨望・マゾヒズム・サディズムといった近代の「地下室的な心」を誰よりも深く追究し、そこから脱出する道を示唆した作家としてドストを称揚しています。

・初期ロマンスの主人公は、なぜ躍起になってライバルに恋人を譲ろうとするのか。
・懸想していた貴婦人を手に入れた途端、すべてを投げ打ち賭博に走る無謀の秘密。
・悪霊ニコライ・スタヴローギンと純真なムイシュキンの表裏一体の関係とは。
・真に善良な人間を描くはずだった『白痴』はなぜ最も暗鬱な結末を迎えたか。
 逆に絶望に満ちているはずの『カラマーゾフの兄弟』の救われ感は何なのか。
(ちなみにこの最後の↑自分の『兄弟』読後感まんまだったので「そうそう!」と思った)
そんな謎の数々が、一貫した作家の成長の軌跡として明快に解き明かされる。
 ひょっとしたら「そんなバカな!」と目にウロコが貼りつくかも知れない、非常にアクの強い内容で、ドスト好きでも評価は分かれるかもですが「これは自分ひとりで死蔵するには惜しい」ある意味とても読ませる一冊です。

 ジラール自身は中期から後期、とくにキリストの教えに強く傾斜していく。本書にもその片鱗が見えるのですが、逆にそうしたジラールの傾向は、(文学者の中でもとくに評価している)ドストエフスキーの精読から得られたものかも知れません。
 前期ジラール入門としても、悪くないと思います。「どうして自分は人をうらやんだり、人の反応に一喜一憂してしまうんだろう」「そういう心持ちから脱する方法はないんだろうか」そんな悩みをもつ人に、ジラール、おすすめです。

前期ジラールの代表作。ドン・キホーテから『失われた時を求めて』まで、「吾思うゆえにある吾」ではなく、他人の評価なしでは己を確認できない近代人の苦悶を解き明かします。

新春クローネンバーグ祭り(15.01.17)

※クローネンバーグとは関係ないのですが『ワールド・ウォーZ』のネタバレがあります注意。

「ともにスキャンをしよう…ともにスキャンをして心を結びつけよう…お互いの心を結びつけよう…ひとつの魂、ひとつの生、素晴らしい…素晴らしい…素晴らしく、そして恐ろしい…」
 1月の第2土曜日、池袋の名画座「新文芸坐」で開催されたデヴィッド・クローネンバーグ監督4作品のオールナイト上映に行ってきました。260席の客席はほぼ満席。3割〜4割は女性客で老若男女、まんべんない人気を再確認しました(まんべんなく偏ったひとたちという気もしますが…)。隣席になった女性二人連れが、上映が終わるたびに交わす感想が「それな」「ほんまそれ」と横から言いたくなるモノばかりなのも可笑しく。『スキャナーズ』に出てくる良いスキャナーズのセッションみたいに、あの場にいた一同、何かしらテレパシーで共有していたのかも知れません。素晴らしく、そして恐ろしい…

 『イースタン・プロミス』(2007年)
 現実と幻覚の間を行き来する作風から一転(?)あくまで実社会をベースに、人の凶暴性をリアルに描いた『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で新境地を開いたクローネンバーグ(?全作品キチンと押さえてるわけでないのでキチンと断言できない)。続く本作の題材はロンドンに巣食い、同郷の少女たちを人身売買で食い物にするロシアン・マフィアの闇。『ヒストリー…』から継続で主演のヴィゴ・モーテンセン、『ロード・オブ・ザ・リング』での王子ぶりが一滴の水も残さず蒸発したようなコワモテ面を魅せてくれます。どうしても終盤の、サウナで敵対組織に襲われ全裸・フルチンで戦うところに持ってかれてしまうのですが(見えそうで見えない、ちょっと見えると隣席も大満足)最初から最後までスキのない傑作。
 今回わざわざ何か感想つけたす必要がないくらい好きな作品なのですが、敢えて言い足すと上映時間が1時間40分なのが新たな驚き。あんな濃ゆくて敵味方入り乱れた話を、なんでそんなコンパクトにまとめられるのか。

 『イグジステンズ』(1999年)
 今回のオールナイト、意外な大当たりだったのが本作。
 もともと上映作品4本のうち、コレと初期作品の『ザ・ブルード』は未見で、半分未見はお得だなあ、逆に『イグジステンズ』見逃してて好かったよと思ったら
 昔レンタルDVDで観たことあったのに、観たことすら忘れていたと判明。ひどい!そして2014年の現在になって観直すとスゲ面白かった!
 仮想世界の体験型ゲームが作品のテーマなのですが、まずヒロイン(ジェニファー・ジェイソン・リー)が、波打つ髪とサラサラのストレートが交互にストライプになった=非現実的なほど凝りまくった髪型に天才ゲームプログラマという設定・そして強引でワガママで怒りんぼな性格。万事受け身で特徴のない主人公(ジュード・ロウ)と相まって、なんだか最近の日本のライトノベル原作のアニメみたい。
 ゲーム場面も映像としては現実とまったく同じ(CG的演出などはナシ)なのに、田舎のガソリンスタンドの看板が「田舎のガソリンスタンド」だったり、モブキャラに上手く話しかけないと棒読みの同じ返答を繰り返されたり、細部の手抜き感が絶妙。脊椎に穴を穿けケーブルを接続するゲーム機も、第三世界の沼みたいなところで両生類だか魚だかを包丁で割いて加工して作ってるあたり『ダーウィンの悪夢』や伊藤計劃の『虐殺器官』を思わせ、諸々まとめて公開当時より今のほうが「あるある!」とウケそうな気がしました。
 隣席の女性ズも「内容すっかり忘れてた」と言ってて意を強くする。他に聞こえた感想としてはジュード・ロウ若くてかわいいそしてウィレム・デフォー萌え。みんな大好きウィレム・デフォー、短いながら実においしい役どころです。見逃してる(もしくは観たけど忘れてる)ファンのひとは是非。

 『スキャナーズ』(1981年)
 超能力合戦→頭部爆発という衝撃的アイディアで、クローネンバーグの名を一躍知らしめた初期の出世作。他人の思考が全部「聞こえて」しまう超能力者の苦悩を彫刻作品に昇華する芸術家とか、電話回線を通じてコンピュータを念力で操作などギミックも盛り沢山、実によく練られた作品だと思います(妊婦に投与した新薬の精神安定剤が副作用で赤子を超能力者にという設定は、サリドマイドの社会問題から着想を得たとか)。
 長らくマトモな形でソフトが出回らず、大昔のテレビ放映を(ビデオ→データ化して)後生大事にしてきたのですが、今回初めてノーカット版を観て、日本のテレビ放映版はハサミを入れて尺を短くするだけでなく、カットの順番を入れ替えて細切れ感を軽減することまでしてたらしいと発見。テレビ放映用のカットも時々(トリュフォーの『突然炎のごとく』なんてジャンヌ・モローが唄う挿入歌まで違和感なく詰めてた)職人技・名人芸みたいなことするよなと感心を新たにしました。
 感心を新たにしたといえば『スキャナーズ』非常にバイオレントな内容なのに中盤、良いスキャナーズたちが隠れ住むアジトに悪党どもが押し入る場面で、ドアをバーンと蹴破って・とかならず・ナチュラルに施錠してない扉を開けてたのが「さすがカナダ(笑)」と個人的にツボでした。←マイケル・ムーア監督が自国アメリカの銃依存社会を告発した『ボウリング・フォー・コロンバイン』で隣国カナダを観てみろ、玄関のドアにカギもかけてないんだぞと話を盛ってた(?)ことに由来する、細かすぎて伝わらないツボ。つい最近のブラッド・ピット主演作『ワールド・ウォーZ』でも「世界中で謎のウィルスが蔓延・朝鮮半島もインドも壊滅、暴動状態の各国を飛び回ったブラピが決死の思いでワクチン作成に成功、カナダの山奥に逃れてた妻子と涙の再会←なんでカナダは無事なんだよ」みたいなことがあって、なんかカナダという国はアメリカ人の中で神話化されてるような。
 隣席の感想はケラー、死にかた地味だな!そしてクローネンバーグ映画の主人公、ケツアゴ率高し

 『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979年)
 たぶん『スキャナーズ』以上にレアで、今回のオールナイトの目玉ともいえるラスト作品。
 まあなんというか、酸味の強いゴツゴツした具材を惜しまず鍋に投入しつつ、ダシ的な旨味・まろやかさは皆無な、いかにも「後に鬼才と呼ばれるひとの若書き」で好かったです。長年コンビを組んでるハワード・ショア(クリストファー・ノーラン映画などでも活躍してますね)の音楽も大仰なわりに稚気で、人に歴史ありと実感。面白い作品とは言えますが、見逃して強烈に惜しむ・なんとしても入手して観るべし、というモノでもないので今回の上映に行けなかったひとも安心(?)
 狂気をはらんだ奥さんの
あなた(夫)私が重たくてイヤな女だと思ってるんでしょう
 (夫「そんなことないよ」)
嘘。みんな私が悪いと思ってるんだわ
てあたり、うわあああ本当に重たくてイヤあああって感じ、目の据わり方も迫真、イイものを見ました。カナダの冬は寒そう(またそれか)。『スキャナーズ』でも『イグジステンズ』でも、この『ブルード』でも、クローネンバーグさん、客席を前に講演したり実演したりする場面が好きなのかなと思ったり。学者肌や芸術家、インテリぽい人が頻出するのも面白いところで、そういう処がホラーな作品にも気品とそして厨二病っぽいテイストを与えているのだと思います。


今回の上映にはなかったけど、個人的に大好きなこれ。中学時代から好きな一作と話して「早熟ですね」と言われたこともあるけれど、幻覚や洗脳といった厨二的モチーフと雰囲気が当時は好きで(「危険だから近づかないで、彼らには貴方にないものがあるの−哲学 philosophy よ」だもんなあ)、エロティックな処はそんなに分かってなかった気がします。
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1502  1412→  記事一覧(+検索)  ホーム