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今年の一曲(2016.12.31)

Brian Eno - Fickle Sun (iii) I’m Set Free

 原曲は50年近く昔の、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサード・アルバム収録曲。
 「実際に活動していた当時、ヴェルヴェッツのレコードはほとんど売れなかった。だが、それを聴いたごく少数の者は、みな自らもバンドを始めた」と、その早すぎた先進性を形容したのがブライアン・イーノだった。それは一般論にことよせた己語りで、別の場所ではもっと端的に「自分はVUのアルバムを聴いてバンドを始めた」と語っている。
 だからそんなイーノが、VUのリーダーで実質的なソングライターだったルー・リード(〜2013)と距離を取り続けたのは、歴史のIFを思わせる、奇妙で興味深いできごとだった。

 音楽的には、その最初期からVUの「Candy Says」やルーのソロ曲「Caroline Says(I, II)」の影響があきらかな「Cindy Tells Me」があったり
(ちなみに「Caroline Says II」はスザンヌ・ヴェガに歌の道を進むことを決意させた曲でもある)
生涯ドローン(自動飛行するロボットではなく、長く伸びる持続音のこと)を愛し続けたルーの『メタルマシーン・ミュージック』や最晩年の『ハドソン・ウィンド・メディテーションズ』『ルル』などの試みに対応しては、キング・クリムゾンのロバート・フリップと共作した『ノー・プッシーフッティング』をはじめ数々のアンビエント・現代音楽系の仕事がイーノにもあり、また60年代後半ヴェルヴェッツが時代の尖端を切り開いたパンクな暴力性を80年代初頭・同じニューヨークで隔世遺伝のように再生させたノイズ系バンドのコンピレーション『ノー・ニューヨーク』をプロデュースしたのもイーノだったりと、両者は親しく近しく、イーノの関心の先にはルーがいた。あるいはルーにはないポップ性や時代への嗅覚で、その関心の先へ進んだ・ルーの狷介さを補完したのがイーノだった。
 けれどVUの解散後、後を追うように音楽界に踊りでたイーノが接近したのはセカンドでVUを脱退したジョン・ケイルのほうで、ルーではなかった。もちろんイーノとケイルは『アナザー・グリーンワールド』や『ロング・ウェイ・アップ』で素晴らしい共同作業を残している。デヴィッド・ボウイとの交流もある。70年代前半にソロの方向性で迷うルーにプロデュースの手を差し伸べたボウイが、自身の方向性を模索していた70年代後半に今度はイーノがボウイをプロデュースし、二人の交友は今年はじめのボウイの逝去まで続いた。一方70年代後半には疎遠となったルーとボウイも友情を取り戻し、その友情もルーが亡くなるまで、ルーが亡くなってからも続いた(ハードロック界の重鎮メタリカと共作し、主にメタリカのファンから酷評された遺作『ルル』をボウイは高く評価し、未亡人のローリー・アンダーソンを励ましたという)。ルーとケイルもバンドメイトだったスターリング・モリソンやバンドの支援者だったアンディ・ウォーホルの死を機会に和解している。

 だがこうしてルーの友人とは長い交流をつづけ、音楽的にも似た領域を模索しながら、イーノとルーが共演する、イーノがルーに直接アプローチすることは、驚くほどなかった気がする。人物的に合わなかったのかも知れない。また電子楽器を駆使するイーノと、生涯ギターにこだわったルー・リードでは、音楽の志向的に共有するものが多いぶん、逆に共有しないものが互いを斥けたのかも知れない。もちろん自分が何か大事な共同作業を忘れてるのかも知れない(えー)。
 あー、ごほん。
 だもんで原曲から、まだ何物でもなかったろう二十歳のイーノがそれを聴いてから約50年が経過して、ルーの楽曲が正面から取り上げられたことには、長い回り道がようやく出発点に戻ってきたような、何か「成就」に似たものを感じてしまったのだ。身も蓋もなく言うと「え?イーノ、死んじゃうの?と不安になったりもした(ひどい)。幸い、残された者たちにとっては悪夢か世界の終わりのようだった2016年をイーノはつつがなく生き延びた。明日=来年の1月1日にはまたアンビエントの新作をリリースするという。多くのひとが政治的に狼狽し、不安にかられた今年、音楽を離れて社会的なステートメントを幾度も発したりもした。正直「神様ありがとう、まだイーノを残しておいてくれて」と思うことすらあった。
 そう正直、今年はあまりに多くのスターがこの世を去った。ボウイが去り、プリンスが去り、春にはキース・エマーソンが冬にはグレッグ・レイクが、夏には吉良知彦と森岡賢が去った。ピート・バーンズが去りジョージ・マイケルが去り、ジョージ・マーティンもレナード・コーエンもこの世を去った。ミュージシャン以外にも作家や俳優、あまりに多くの人がこの世を去った。ついでに言えばアメリカも死んだ(少なくとも一度は死んだ)。
 50年ぶりのイーノの原点回帰は、ひどい言い方をすれば「これでイーノがいつ行っても受け容れるしかない」と覚悟を決めさせる出来事でもあったし、実際に死ぬかわりに一度その生涯を成就させる・実際に死ぬことなく聴く者に死と生涯を考えさせる「快活な脅し」イーノならではの実験にも思えた。ついでに言えば多くの作家が原点回帰というとき、自らのキャリアの原点に戻る・受け手もそれを期待するものだが、自身の音楽が始まる前に回帰したという意味でもイーノの「I'm Set Free」は実験であり、ヒントでもあった。

 何も知らずに聞けば長閑に聞こえそうなバラードだが、今年もっとも印象に残った曲に選ぶ由縁である。

 「僕は自由になった 僕は自由になった」
 ブライアン・イーノはこう唄うまでに、50年をかけた。
 そして彼の、ルーの詞はこう続く。
「僕は自由になった 新しいイリュージョンを見つけるために」
 それでは皆様、よい2017年を。
 
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1701  1611→  記事一覧(+検索)  ホーム