記事:2005年2月(普請中) ←0909  0108→  記事一覧(+検索)  ホーム 

エマール(05.02.05)

 ちょっと面白いものをお見せしましょうそう言って先生が出してきたのは、ハンガーにかかったタートルネックの薄手のセーターだった。エモンカケにトックリそう微笑んで自分で洗ってみたのですよ
 御自分でですか。思わず訊きかえす。
 「ええ一昨日。ずっと使ってる洗濯機に『手洗い』というボタンがあって、ふと、これを使えばセーターも洗えるのではないかと気がついた。『マツキヨ』に行って『エマール』という洗剤を買ってきました」
マツキヨ。エモンカケとか古い言葉を使いたがるのと同じように、若者言葉も面白がって使われる。「若ぶってる年寄り」をわざと演じていらっしゃるのだ。
「でも本当は普通の洗濯洗剤でいいんですね。実はこれの前に一枚、もう少し厚手のを洗ってみて、べつだん問題はありませんでした」
ただこちらの薄手のは、ちょっと気に入りだったので、専用洗剤を買ってみたということらしい。これだけ技術が発達すれば、セーターのほうも昔より縮みにくくなってるのかも知れませんねと言われても答えようがないが。
 「失礼ですけど、奥様が亡くなられてからはーどうなすっていたんですか」
先生の奥様は五年前に亡くなっている。その話題は別にタブーではないけれど、なんとなく遠慮しつつうかがうと
「ずっとクリーニングに出していました。奥さんはぜんぶ手洗いしていたようだけど」
全部、とは先生と奥様、それに息子さんの分をさすのだろう。今はナントカ駐在員でサンフランシスコにいらっしゃる。既婚とうかがっている。
「なんとはなし特殊な技術が必要で、それは私には習得しえないような思い込みがあったのでしょう。それがふいに、自分で洗えそうだと気がついた」
モーフィアス風に言えば洗おうと思うな。洗えると知れですね
そう私がまぜっかえすと、先生の細い目がメガネの奥で、またにっこりと笑みを作る。先生が興味を持たれたので、私が『マトリックス』のDVDをお貸ししたのだ。あの時は返礼に、この同じ書斎でアールグレイの紅茶をいただきながら、映画が20世紀の小説に主に時間感覚の面で与えた影響について一時間の特別講義をしてくださった。そして先生は笑顔のまま
「女子短大で講義のある日は弁当も自分で用意するようになりました

 御自分でですか。思わずまた訊きかえす。モーフィアスなら「デジャヴュはエージェントがマトリックスを操作した徴(しるし)」と脱出の準備を始めるところだ。だが先生は動じず
「そんな凝ったものを作ろうと思わなければ、これも案外に簡単でした。揚げ物などはとても出来ないが、今はスーパーに行けば『レンジでチン』するだけのコロッケやメンチカツがありますからねーそれも弁当用に特化した商品です」
むしろ自分がいきなり手弁当を持参した時の周囲の反応や、これで続かなかったら決まりが悪い、そんなことのほうが抵抗になったと仰言って− 「リラダンの言葉がありましたね−『生活なんてものは召使いに任せておけ』」
 私はうなづく。もっともその言葉を私は、姉の部屋から拝借した中島らもの本で知ったのだが。
「そんなものは任せておけと思ったわけではないが、奥さんがいた時は、私は『生活』を奥さんに全部任せていたんですね。一人になってからは、クリーニング店や学校のカフェテリアにお金を出して生活を委託していた」
むろん外食も外食で趣がありますが、と付け加えて先生は
「でもそうしたことも自分で出来ると分かった−これは女性差別かも知れないが、世の女性の多くがしていることでしょう。男性だってしてるかも知れない。50年以上生きてきて私は初めて『生活』というものを自分でしてみることを面白がっているのです」

 そこまで話すと、ふいにメガネごしの目線をまっすぐ私にぶつけてきた。
「ですからね、今の私には、面倒な家事を代行してあげましょうというタイプのアプローチは有効ではないと思いますよ
 先生の目線は私を見据えて、けれど柔和に微笑んでいる。私は動揺などしなかったが、自分の頬の上・目の下のふっくらしたあたりと、それから耳朶がかーっと熱くなるのを感じた。先生の目から見たら、思わぬ反撃を受け赤くなってる17歳の子供なのだろう。余裕しゃくしゃくといった表情で
「だいたい私においしいものを食べさせてくれようにも、君はまだ私ほどにも料理をしないのではないかな−少なくとも毎日のお弁当を自分で作っているわけではないでしょう」
 まったくそのとおりなので反論のしようがない。うちの母は姉が生まれた時から専業主婦で、私は自分の弁当を作ったこともセーターを自分で洗ったこともない。そのうち先生が揚げ物まで習得されたら(また「そう難しいものではありませんでした」と憎たらしくも仰言るのだろうか)差は広がる一方だ。
「誤解しないように。別に家事を代行してくれなくても君は君のままで十分です。君はとても魅力的な人格で、私に取っては貴重な話し相手です」
それでは枯れ切った茶飲み友達ではないですか、とか、いっそ揚げ物もマスターしていただいて先生に私のお嫁さんになってもらおうかな、とか言いたいのをぐっとこらえ
今ある得意分野で勝負しろということですね
そういうことです
かろうじて私は笑顔を返し、時計を見やる。講義の準備や御自身の研究、何より御自身の読書、ああそれに今は「生活」もあるのだーそんなこんなで多忙なお時間を私のために割いていただけるだけで満足しなければならない…などとは決して思わないが、今日は退け時だろう。

 「得意分野といえば、今度の日曜に市立体育館でうちのバスケ部の試合があります。いちど私の華麗なフィールディングを御覧になってください。よろしければそのあと、隣の図書館で一緒に本を見て、コーヒー屋でお茶しましょう」
 こんど来る時は遠慮なんかせず、もっと短いスカートを履いてきてやると内心で決意しつつ私は立ち上がる。先生はいつもどおり、屋敷の玄関までスリッパで見送ってくださる。二月のとある水曜の夕方。それから色々あって私と先生が結局めでたくゴールインする三年か、四年前の出来事であった。

 と、三年か四年のちには振り返る予定である。少しずつ外堀を埋めていく。私は気が長いのだ。(つづかない)

その場合ボノが間違ってる〜『アクトン・ベイビー』(05.02.13)

 A woman needs a man(女には男が必要だ)−」前半だけ引くと憤慨する人がいそうだけれど、続けていわく−like a fish needs a bicycle後半はあえて訳しません。"A woman needs a man - like a fish needs a bicycle",どうよ?
 U2の「Tryin' to throw your arms around the world」という曲の一節です。アルバム『Acthung Baby』に収録。彼らのキャリアの中では比較的地味めのナンバーだけど、なんか好き。で、この唄にはもう一つ、口元が緩んでしまう箇所がある。
 曲名は和訳すると「世界をその腕に抱き取ろうとする」くらいの意味になるんだろうか、「あーたらがこーたら、どーたらがこーたら、君は世界をその腕に抱き取ろうとしている」「なんたらがどーたら、それそれがこーたら、君は世界をその腕に抱き取ろうとしている」と続く歌詞で中盤「スーパーマーケットでダリに会う夢を見た」と展開し、ここだけ(世界じゃなく)「彼はガラをその腕に抱き取ろうとしてたとなっているのだ。ちょうど虹をつかむ男が西部劇のシーンのみ「ゲイロード・ミティ」になる感じで()
 これは丸谷才一先生のエッセイ経由で知ったんだけど、「柔らかい時計」でおなじみの画家サルバドール・ダリはサインを求められるとガラ・サルバドール・ダリと署名し「他の女性に興味はない、ガラに忠節を誓うとインタビューで語るほど奥さんのガラにぞっこんだったという。君は世界を抱き取ろうとしてるけど、ダリは夢でも奥さんラヴ。あのギョロ目とヒゲの奇才の風貌まで目に浮かぶようで、なんだかいい。U2の歌詞って、実は相当おもしろいよなと思うのだけれど−
 『Acthung baby』のCDスリーブを確認してみると、なんと印刷された歌詞には「...tryin' to throw his arms around a girlと書かれている。分かってないなあ!ガールじゃなくてガラでしょう!
 向こうで歌詞カードをつけてない洋楽のアルバムに日本で聞き取りの歌詞をつけて、努力は買うけど無茶苦茶にまつがってるなんてケースも、特に昔はよくあったけど、僕が持ってる同アルバムは輸入盤。オリジナルの歌詞カードでも間違ってることってあるんだねえ、といっそ感心しつつ曲を聴きなおすと、たしかにa girlと聴こえてしまうのも無理ない感じ。ここでもちろん、本当にa girlって唄ってるんじゃないのという疑惑は生じるけど、もしそうだとしたら、そのばあい唄ってるボノが間違ってる(すごい暴言)
 僕が高校生の頃までサルバドール・ダリは存命だったので、妙な親しみがある。画家として(あまりに)有名ですが、じつはブーメラン好き・何メートル級とかのブーメラン投げの世界記録(ギネス)保持者だったという。代表作である「記憶の固執」=例の柔らかい時計の絵の端っこのほうには、地平線そばの青空を飛ぶブーメランが小さく描かれているそうです。U2の新譜は、まだ自分が聴くモードに入ってないので未聴です。

『虹をつかむ男』は、しがない編集者ウォルター・ミティが些細なことですぐ妄想モードに入ってしまううち、妄想と現実がごっちゃになってハッピーエンドのコメディ映画。会議中でも歩いていても「…そしてこのとき天才外科医ウォルター・ミティは」「…ところがそのころ天才操縦士ウォルター・ミティは」と妄想モードになるのだけれど、妄想で西部の伊達男になったときだけ「西部の伊達男ゲイロード・ミティは…」と(理由不明で)名前が違う(笑)。映画そのものも面白いけど和田誠×山田宏一の対談集『たかが映画じゃないか』(文春文庫)での和田氏の話芸による再現がたまらなくよいので、ぜひ図書館で借りて読んでみてください。ポケタポケタ!

明晰で気高い、そして人間的(05.02.14)〜田中充子『プラハを歩く』

 博多銘菓・鶴之子といって、茹で玉子の半分くらいの大きさの白くて丸いものが手漉きにパッケージされてるので(饅頭のたぐいかな)と思ったら、餡を肉厚の真白いマシュマロで包んでいました。原材料名に「手亡豆」とあるので調べると、白いんげんの別名とか。そんなお三時、2月14日。「人は愛なしには生きていけない。が、問題は、にもかかわらず少なからぬ人が愛なしで生きていかなければならないということだって誰の台詞だったっけ。
 その点、本はいい。(そんな可哀想な人を見る目で見るな)
 田中充子プラハを歩く』(岩波新書)は題名のとおりチェコの首都・近年では映画のロケ地として大人気の観光都市を、建築史家が考察する一冊。まずは何の気なしに読みはじめたプロローグがすごい。話のマクラにふさわしく、この街を騒がせる最新の見所・1995年建造の通称「ダンスするビル」を取り上げているのだが、その奇抜なフォルムで批評家から総スカンを食った建物を擁護して「場違いだというけれど」そもそも前世紀初頭を席巻した鉄とガラスのアールヌーヴォー建築だってそれまでのバロック建築とは大違い、そのバロックだってそれ以前のルネサンス建築から見れば憤慨もの、地を這うルネサンス建築はそれまでの天に向かうゴシック建築の理想を失墜させるもので、そのゴシックも堅牢に石で囲んだロマネスク建築から見ればいびつで、いやそもそも石の城塞の旧来の木の建築に比べた時の狭苦しさ・圧迫感はどうだ…次々さかのぼることで、たった1ページのうちに西洋建築の様式の推移が、ひょっとしてどんな教科書より分かりやすくまとめられてしまっているのだ。言い替えれば(いや、この言い替えも本文すぐ後にあるのですが)「防衛が切実なときには石で建築をつくる。神が天にいると聞けば塔を建てる。やっぱり人間が大事だとおもったら今度は地上にドーム建築だ。貴族の時代になると城のかわりに宮殿で競い合う。東洋への窓が開けば世界の文化も入ってくる。そして、機械時代になれば機能的建築が…」マクラだけで勝負あり。すぐれてクレバーな書き手だという第一印象を持った。
 いざ中身に進んでも明晰さは変わらず−たとえば悪魔と城主と奥方をめぐる中世の民話から、戦争→外交という政治方法の転換を抽出する手際など明晰すぎて少し不安になるほど。ああそうだ、もう今はポストモダンの時代なのだと踏まえたうえで「すぐれてモダン」、合理主義だけでは現実を捉えきれない気がする現在において「すぐれて合理的」なんだなと思うけど−いやいや、まだまだ理性で切り開ける場所はあるのだと読めば信じる気になれる。
 広場とは何か、キュビズムとは何か、ロンドンの水晶宮がどう衝撃的だったのか。「建築」を意味するアーキテクトとは「第一の(アルキ)技術(テクトン)」のことで、「第一」とはつまりである。神ならぬ人が神殿という神の空間を俗な地上に現出できたのは、その空間を列柱で囲んで聖別したからだという(ギリシャ様式についての)説明を読んで、これはまんがで神殿を描いたり、あるいは現実の建物で列柱を見るとき参考になりそうだと思ったり。。
 著者はプラハが、パリやローマに先駆け近代につながる都市整備を成し遂げ、つねに時代をリードしてきたのだと論証する。人は自分の関連分野こそ世界でいちばん価値のあるものと思い入れる動物だから多少は割り引いて考えるべきかも知れないが、たとえば19世紀末〜20世紀初頭のプラハがいちはやく工業化を成し遂げ、すでに凋落を始めていたロンドンすら凌駕する最先端都市だったという説明が、そういう場所だから「ロボット(カレル・チャペック『R.U.R』)」発祥の地になったのだとつながると、たしかな説得力とスリルがある。
 むろんそうしたこと抜きに単に街好き・中欧あこがれとして読んでも楽しかった本で、1911年に落成した市民会館の市長室の装飾がアルフォンス・マリア・ミュシャ(現地読みではムハ)だったと言われればそうそう、そうだったよといつか彼の地を訪れたくなってくる。いや、きっと行こうプラハ。そう思うといずれ来るだろう同人活動から退く日がちょっとだけ楽しみにもなってくる。新しい物も受け入れつつ、旧い佳い物も残しつづけるプラハのことだ、訪問が十年や二十年先になっても、わくわくするような空間のまま、待っててくれてるに違いない。

 終盤のまとめも人間的で気高く、読み終わってほのほのとした幸福感に包まれる。よい書物でした。

追記:この日記から10年を経て、「いつか自分がプラハに行ける」とは信じがたくなってる昨今。プラハに行きたい理由の重要なひとつだったミュシャの大作「スラブ叙事詩」が今年来日すると聞いて、色々おののいている。(2017.1.08)
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←0909  0108→  記事一覧(+検索)  ホーム