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国旗と駅伝(10.01.04)

 実家にて。テレビで箱根駅伝を見ながら
「○○大学(校名失念)の校旗の柄(青地に白の十字)ってフィンランドの国旗と同じらしいね」
「それじゃフィンランドと何処かが戦争してるとこに○○大学の選手団が居合わせたら大変だ、
 『撃つなぁーっ!オレたちは○○大学だぁーっ!!』て」
(後で確認したらフィンランド国旗は白地に青十字で、地と図が逆でした)
「ルーマニアの国旗とチャドの国旗、色がそっくり同じじゃない?」
「あ、ほんとだ?戦争になったら大変だね」
だからどうして戦争にしたがる
そんな感じの三が日を過ごしてきました。
 昨年の終わりに上巻を、今年の始めは下巻を。年をまたいでドストエフスキーの『白痴』(木村浩訳/新潮文庫)を読んでるところです。というか実は未読でした。
 黒澤明の映画を先に見ていて(失敗作と言われがちだけど)鮮烈に印象に残ったものの、ストーリーを知っちゃったからなあと逆に二の足にもなり、いつか機会があればと思っていたのが、旅先の松山のブックオフでキレイな上下揃いを見つけ(これが機会か)と。複雑な人間関係、先に映画を観ていたおかげで多少は分かりやすくなってるかも。そして面白い。
 今年はいい本を読んで、また、描き手としての活動にもチカラを入れられたらと思っています。おつきあいいただけるかたは、今年もよろしくお願いします。

ったく、アグラーヤさんは可愛いなあ!〜ドストエフスキー『白痴』(10.01.09)

 誰もいない早朝のベンチに彼を呼び出した彼女は用件をなかなか切り出せず。どんどん自分から話をそらしては「話の腰をおらないでください」と軌道修正すること二回、ついに意を決して「わ、わわ、私とお友達になってください!(←意訳だけど、これから読む人の興をそがないよう白抜き)」
【「あたくしはあなたに親友になっていただきたいんです。まあ、なんだってあなたは急にあたくしをそんな目でごらんになるんです?」
 彼女は腹をたてんばかりの勢いで言った。(中略)
 こんな場合、彼女は顔を赤らめれば赤らめるほど、ますます自分に腹をたてるらしかった。(中略)
 彼女は自分でもこうした(略)恥ずかしがりな性質を心得ていたので、ふだんはあまり話の仲間入りをせず(略)むしろ無口すぎるくらいであった。
 ぜひとも口をきかなければならないときには(略)おそろしく高慢な、まるで何かいどみかかっていくような調子で話しだすのであった】(木村浩訳)
 …通勤途中に小説を読んでいて「やばい、これ以上よんでたら小っ恥ずかしくて死ぬ」と、たまらず本を閉じたのって『マリア様がみてる』を初めて読んだとき以来じゃないか。
 ドストエフスキーが『白痴』を書き上げたのは1869年。ツンデレって140年前すでに芸風として完成されてたんだなあと妙な感心をしてしまった(ま、もっと遡ればシェイクスピアの喜劇とか、いくらでも居そうですけどね)。
 じっさい、ややこしい人物関係さえクリアすれば『白痴』は案外ライトノベルの愛好者が次に手を伸ばすのに向いた小説かも知れない。萌えあり・けれんあり・自意識過剰な若者の観念的な屁理屈あり(主人公クラスの人物のたいがいが、貧乏学生だったり貴族だったり誰かから遺産を譲られたり逆に仕事にすら恵まれなかったりして、よくもあしくも生活のための労働と縁がない点においても、ライトノベルとドストエフスキーは似通っている)

 さて。
 分かりやすい部分のみ抜き出すと『白痴』は、善良な元白痴のレフ・ニコライエヴィッチ・ムイシュキン公爵と、野獣のように粗暴で純粋なロクデナシのロゴージン、いっけん自堕落じつは情けぶかい宿命の女ナスターシャ、そして僕らのツンデレ令嬢アグラーヤさんの四角関係を描いた泥沼恋愛サスペンス。慈悲深い悪女vs高潔な令嬢(そして理知は天然の前に敗れ去る)という構図は『カラマーゾフの兄弟』でも繰り返される作者お得意のパターンだけど
 (自分のメガネで歪めてはいますが)『白痴』では、この令嬢アグラーヤさんのキャラがたまらなくツボでした。赤面症で照れ隠しで怒りんぼう、しかも聡明なわりに世間知らず、じつはマザコン。なんだろう、すごく金髪たてロール、前髪ぱっつんが似合いそうですよ!(歪んでる歪んでる)。
 …ただ。これがドストエフスキーのすごいところでもあり、キャラクタに萌えたい向きには痛恨でもあるのだけれど、このアグラーヤさんにしても、残念ながらデレて「あがり」ではないのですね。
 主人公を前に怒濤のデレっぷりをあふれさせるのは下巻なかばの4ページていど、後はツンになったり普通に心配性になったり、彼女の振る舞いもストーリーもジェットコースターみたいに猛スピードで上がったり下がったりして(まったく脇エピソードなんだけど、新聞で読んだちょっとイイ話を自分のことのように吹聴してバレバレで大顰蹙の「将軍」と呼ばれるキャラの虚言癖がついに大暴走する場面が圧巻)
 読了後は呆然。アグラーヤさんも超あんまりな結末を迎えてしまうので、途中4ページくらいの萌え萌えキュンぶりは、いちど手のひらにすくったキラキラ光る砂の粒がなめらかすぎて指の間から全て落ちてしまうように消し飛んでしまう。今回はそれがあまりに惜しいので、わざわざ項目を立てて、その部分だけ掬いあげてみました。

 ちなみに黒澤明の映画版ではムイシュキン公爵が森雅之・ロゴージンが三船敏郎・ナスターシャ原節子で・アグラーヤに該当する札幌のお嬢様は久我美子が演じて(ツンデレじゃないけど)印象的でした。戦後映画史に残る「硝子ごしの接吻」で知られる美人女優さん。
 黒澤版は原作と比べ圧倒的に陰鬱で重苦しく、緊張感にあふれたものでしたが、原作と異なり最後アグラーヤさん(役の久我美子)に物語のなけなしの希望を託しているように今では感じられます。ノーカット版を見てみたかったな。
 
【追記】
(原作と比べ)黒澤版『白痴』ではラスト、久我美子さんが演じる令嬢に希望を託しているように思えた?と上記の日記を結んださい「そう、同じ監督の『酔いどれ天使』ラストの女学生のように」と書こうと思って、でも話が煩雑になるし黒澤映画の半分も観てない半可な自分が書くのもなーと…
 …危うく(また)赤恥をかくところだった。後で調べてみたら『酔いどれ』の女学生も同じ久我美子さんでした。ぜんぜん印象ちがうんで気づかなかった。監督の「お気に」だったのかも。
 映画は、まして邦画はほとんど観てない自分だけれど、比較的あたらしめ(とは言っても20年くらい前?)の映画かテレビドラマで、この久我美子さんが上品な老婦人の役柄で登場するのを観た憶えがあって。ウィキペディアで作品リストを眺めて思い出すに、竹中直人監督の『119』(1994年)だったような。そうでもないような。自分以外にはどうでもいいような。すまん。(10.01.10)
(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1005  0909→  記事一覧(+検索)  ホーム