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人生はゴミじゃない〜ルー・リード「スウィート・ジェーン」(2018.03.02)

 今日、3月2日は英語圏ではEmployee Apriciation Day(従業員に感謝の日)なのだそうだ。もちろん「毎日が従業員感謝の日であるべき」とか「俺は個人営業だから自分に感謝だな」なんてツッコミや茶化しもあるけれど、多くの企業や公共団体がツイッターのアカウントで「ありがとう従業員」「うちの素晴らしい従業員」とアピールしている。
 悪いことではないと思う。キレイごとかも知れん。欺瞞かも知れない。でも、あるべきキレイごとを提示する、現実がそれよりダメダメでも理想は掲げる、そういう姿勢は大事だと思うのだ。
 今日、3月2日は故ルー・リード(1942〜2013)の誕生日でもある。
 伝説のロックバンド=ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代に書かれた、彼の生涯を代表する楽曲のひとつ「スウィート・ジェーン」について、あれの正しい歌詞を把握してる人は意外と少ないのではないかと思いあたった。
 というのも、アルバムに収録された正式版(と呼ぶには紆余曲折が多いヴァージョン)ではevil mother(邪悪な母親)となっている二単語、実はevil motherfuxxer(邪悪なマザーファ××ー)なのが大人の事情でカットされた代物だったらしいのだ。母親もとんだ濡れ衣である。またステージでは歌詞の脈絡をよりハッキリさせるため、加わってる一節もある。そのあたりを踏まえて和訳を試みると→
 踊りに行くのが好きな連中もいる
 働かなきゃいけない奴らもいる この俺を見てみろよ
 中には邪悪なマザー(フ××カー)だっている
 奴らは君に言うだろう 何もかもゴミだって
 失神する女なんていない あいつらは目をしばたたいてみせるだけ
 顔を赤らめるのは子供くらいなもの
 そして人生は死ぬためのものだって
 (でも俺も君に言うことがある)←ライヴで加わる部分
 心ってものを持ってる奴なら それに背を向けて壊したりしない
 人生で何かの役を演じたことがある奴なら それに背を向けてヘイトしたりしない

 ドラッグやSM、同性愛や自殺などをテーマにした楽曲がとくに初期に多いことから「頽廃」「背徳」みたいなイメージで彼を捉え「近頃のルー・リードは毒が足りない、物足りない」みたいに嘯く人たちも昔はいて、まあそういう側面もあったのだろうけど(個人的には「良くも悪しくも赤裸々すぎるひと」という印象)、いや逆に彼の毒舌はそういう「なんでも斜に構えて人生をゴミ扱いするクズ」にだって向けられていたのだと思う。
 そして。
 この「スウィート・ジェーン」の歌詞といっしょに頭をよぎるのは、丸谷才一先生が吉田健一氏のために書いた追悼文の一節だったりする。
 詩を暗誦する喜びから群馬県の豚肉まで、
 父親とのつきあひを交流としてとらへることから街の古びを大事にすることまで(中略)
 吉田さんの発見したのは、総じて言へば人生の価値といふものだつた。(中略)
 われわれは明治末年の文学革命以後、一体どういふわけなのか、
  人生は無価値なものと判断するのがしやれてゐて文学的だと思ひ込んだのだ。
 その迷信を正すのに、吉田さんほど勇敢だつた人はほかにゐない。
 ルー・リードと丸谷才一。創作や表現・時には人生まで手引きしてくれた師ふたりが、ふたりとも「人生に価値がないとか気取って言うやつらと戦え」と口を揃えて言っていたのだ。そんな彼ら(ともに天界に帰ってしまった)を師と仰いで、まだペンを持ってる自分がいる。
 たまには、こういう短い日記もいいでしょう。
 今日はルー・リードの誕生日。そして「働かなきゃいけない奴ら」が感謝を受けてしかるべき日。「従業員に感謝の日」日本にも輸入されればいいのにね。

晩年の思想〜宮崎市定『論語の新しい読み方』今村仁司『現代思想の系譜学』(2018.03.21)

【シリーズ・古典を読む】←もう最近30年40年前の本を読むほうがデフォルトな読書生活をしてるので、この表題いらない気もするが。

  
 子曰く、吾十有五にして学に志す(中略)六十にして耳順(したが)う。七十にして己の欲するところに従えど矩(のり)を踰(こ)えず。人の批判や異論も素直に聞けるようになり、思うまま振舞っても規範を踏み外すことがない、孔子の晩年は心も穏やかに徳を究めた理想の境地であった…という解釈に、中国史の泰斗・宮崎市定氏は異議を唱える。
 別のところで、老いた孔子は嘆いている。甚だしいかなわが衰えたるや。久しいかな、われまた夢に周公を見ずなんと衰えてしまったことだろう、理想の君主と仰いだ周公が夢に出なくなって久しい…かような絶望を漏らす彼の晩年が、満足の境地であったはずがない。耳順う、矩を踰えずとは、悪口を言われ世の乱れを聞いても腹が立たなく「なってしまった」、好き放題してるつもりでも世間のルールの枠外に「出られなくなった」、そう捉えるべきではないかと言うのだ。

 次は何を読もうかと積ん読の文庫を手に取り、ぱっと開いて、まずこの一節が目に入れば「これはすごく良さげな本だ」と期待するでしょう。『論語の新しい読み方』(礪波護 編・岩波現代文庫)、期待にたがわぬ一冊でした。
 まあ碩学である。語り口でも定評がある。題名のとおり論語にまつわる文章を納めた本書では、当時の漢文のたとえば対句などのルールから、現在に伝わっている論語の文章の欠落や書換を推測し、当初の原文はこうであったはずと再現する。そして後世に儒教として宗教化・国教化・正典化(聖典化)してしまったため「マルクス当人とマルクス主義がかけ離れるように」かけ離れてしまった、孔子本人の思想や感慨に迫る。非常に楽しく読了したのだが…

 最初に心惹かれた箇所に戻ろう。孔子の晩年は苦い失望だったという。だが十五で学問に志し、三十で自立し、四十で迷いもなくなった、前半生は満足すべきものだったはずだ。どこで蹉跌が生じたのか。
 宮崎が注目するのは五十にして天命を知るだ。
 なるほど天命を「天に指示された己の使命」と取ると、立志し自立し不惑となった後でそれを知るのは少しおかしい。宮崎は、有為な人物が志を果たせず不遇に終わった時の「残念だがそれが天命だった」のような意味での、自身の努力ではいかんともしがたい限界として「天命」を捉える。四十で迷いもなくなった孔子だが、その確信をもってなお、果たせぬ願いがあることを五十で悟ったというのだ。少なくとも自分の代では、周公の理想を現世に甦らせることはできない。やがて体力も気力も衰え、周公の夢をみることも絶えて久しくなる…
 1969年の文章である。1901年生まれの宮崎先生は68歳。その後95年に亡くなるまでさらに四半世紀を生きる。

  
 「泰斗」「碩学」などと言いつつ、実際に宮崎氏の著書をひもとくようになったのは没後しばらくしてからなのですが、
 今村仁司氏の著作は、そこそこリアルタイムで触れていたと思う。いわゆる西欧の現代思想を初学者むけに紹介するのに功のあったかただ。また自身が『暴力のオントロギー』などで提唱した「第三項排除」という考えかたには、早合点の誤解も含め、大きな示唆を受けたと思う。
 原著の刊行から30年を経て『現代思想の系譜学』(ちくま学芸文庫)を読むと、ともすれば思想がゲームやファッションのように消費されがちだった80年代(ひょっとしたら入門書を書くことで、結果的にそれに棹さしながら)ずっと誠実に、現代社会の問題や限界を考えてらしたのだなと思う。
 当時急逝したばかりのフーコーを本当に高く評価してたんだなとか、そのフーコーを筆頭に知の最先端とされていたフランス現代思想が一世代前のドイツの哲学者たちの(ナチズムと対峙しての)苦闘に下支えされてたとか、今だから(自分が)得心することも多い。ドゥルーズについて解説するはずの章が延々マルクスの話で「あれ?自分は今なにを読んでいるの?」と可笑しくなったり。若い頃に読んだ著作でフランス思想のはずが延々『大菩薩峠』の話をされて狐につままれたのを思い出す。あの手この手で、ともすれば難解で上滑りしがちな思想を(系譜づけたり、置き換えたりして)体感させようと工夫をこらしていたのだ。

 そんな『現代思想の系譜学』で、今村が「思想の晩年様式」という考察に一章を割いているのに出会った。宮崎市定の孔子を読んだ直後のことである。
 青年期の思想は、と今村は言う。未熟で荒削りだが、のちに開花する観念や思想の萌芽がすでに播種されており←こう抜粋してみると「播種・萌芽・開花」と植物の喩えで統一してるのが、単に思想というだけでなく文章表現に通暁したひとだったと思わされますね、という話はさておき…出発時のアイディアが壮年期に結実(真似てみた)するまでの軌跡を追ううえでも興味ぶかい。またアイディアが生まれたとき特有の、瑞々しい喜びも感得できる。
 思想が完成する成熟期の重要さは言うまでもない。だが、それら青年期・成熟期に対し晩年はどうか。
 坂部恵、アドルノなどを援用しながら今村は、閑却されがちな晩年の思想に積極的な意味を見出そうとする。興味深いのはカントやマルクス、あるいはベートーヴェンのような作曲家まで取り上げながら、今村が「晩年の様式の特性は、主体の力の最後の瞬間的な爆発と、主観性の対極にある紋切型との異質混合状態にある」と述べていることだ。
 それまでは使わなかったような常套表現を、ついに追いつかれたかのように多用するベートーヴェン。ノスタルジーに浸るように、自身の過去の著作(資本論など)を引用しパッチワークするマルクス。
 すでに着想や思いのたけを遺漏なく形よく統御し体系化する力は残っていない。そのことを自覚しつつ試みられる最後の跳躍は、殻を破るように野放図で、だが一方で慣用や常套句が多用され単調に陥る。今村はその両極端が調和せず、引き裂かれてあることに思想の晩年をみるのだが、「爆発と紋切型」は宮崎が言う、失意としての欲するところに従えど矩を踰えずに通じるところがないだろうか。さらに新たな光を当てるものではないだろうか。

  
 などと大雑把に「さわり」を抜き出したところで、さてこの「晩年論」を書いたときの今村氏は幾歳だったろうと確認して魂消た。初出は1986年。42年生まれの今村仁司は、まだ44歳だったことになる。
 あちゃー。齢68歳で孔子七十歳を語った宮崎先生と比べ、なんと気の早いことか。狼狽するとともに「あ、うん、この年代はそろそろ『晩年』を早取りで自覚しがちかも」と思ったのである。

 中年クライシスなる、便利な言葉がある。これもキチンとした研究書(河合隼雄先生が何かしら書いておられたはずだ)に当たらず、世間一般で流通してる意味をそのまま使い廻して言うのだが、それまで順風満帆・創造力や表現力を開花させてきたアーティストが不意に失速・迷走に陥る。突然、それまでの楽曲を演奏しないことを宣言し、バンドを組んだ(二枚のアルバムを発表して解散した)デヴィッド・ボウイ。レコード会社との確執から自身の名前を封印し「元プリンス」になったプリンス。ハリウッドのトップスターが離婚し、新興宗教のスポークスマンとして奇行を重ねた時期を「後から思えばアレも中年クライシスだったのだろう」と指摘され、納得したこともある。日本を代表するファッションモデルがパリコレを去り、前衛舞踏との共演に活路を求めたのも、ひとつのそれかと回顧フィルムを観て思ったことも。
 もちろん、その時期の活動に実がないというわけではない。けれど多くの表現者が(そして生活者が)陥る中年期の躓きは「もう若くない」「今までは出来たことが、思うように行かない」ことへの驚愕・抗いの産物なのだろう。十五で志し、三十で自らのスタイルを確立した者が、四十にして惑うのだ。孔子の言う「四十にして惑わず」は、ひょっとしたら「ふつうの人は四十で惑うけど、私は惑わなかった」もしくは「四十を前に惑ったが、なんとか克服した」という意味に取れるのかも知れない。

 今村氏の晩年論に(30年後)接して思ったのは、中年クライシスにも前期と後期があるのかも知れないということだ。これまでの、若かった時期に目を向け「おかしい、上手く行かない」「もう若くないのか」と苦しみ惑う前期。それに対し中年の後期は、これから来る晩年を先取りし「もう晩年」「残された時間は少ない」と悲しい悟り・もしくは錯覚に直面する。いや、「思想の晩年」を書いた時の今村氏が、そうした危機に直面していたとは言わないが。
 もう若くない、どうしようと惑って、その惑いに四十で折り合いをつけた者が、今度は死から生涯を数えたほうが早いことを悟り、晩年をのぞきこむ。「五十にして天命を知る」とは、案外そういう意味に取れるのかも知れない。
 まあ誤読の可能性が高いですが。宮崎先生には怒られそうだ。

   
 第三項排除とは、AとBの関係が第三項Cを排除することで初めて成り立つ(物品AとBを交換するため排除される貨幣Cが召喚される)現象を言う。AさんとBさんが結ばれるため当て馬Cが召喚され捨てられるのは物語でよくあることで、その視点を得ることは自身の創作に大きな影響を与えたと思う。『暴力のオントロギー』が、(スケープゴートなどの)排除が人の社会の原初にあると言うのは、歴史的に太古のことではなく、吾々が社会的に活動し関係を取り結ぶその都度、その起点・根底に排除・暴力があることを告げている。根底の暴力をあばき直視することなしに、平和を構築することは出来ないと著者は述べている。
(c)舞村そうじ/RIMLAND 1711→  記事一覧(+検索)  ホーム