記事:2022年10月 ←2211  2209→  記事一覧(+検索)  ホーム 

名づけの魔力〜福岡伸一『プリオン説はほんとうか?』(22.10.01)

 金沢に行きたい。
 北陸新幹線の開業にともないJRの普通線が別会社に置き換えられ、18きっぷでの訪問が困難になった金沢だが、なんならその新幹線を使ってでも、いや深夜の高速バスを使えば平日12000円・週末でも15000円あれば金沢に行って帰ってこれる。そんな妄念が時々しばしば頭に浮かぶようになって久しい。

 確認してみると最後に訪れたのは2014年。「これで最後になっても悔いのないよう味わい尽くそう」と二日間かけ、犀川・浅野川、柳宗理ギャラリーに泉鏡花記念館、兼六園、当時「世界で最も美しい公共図書館25選」に選ばれたばかりの金沢海みらい図書館、それに海の幸・ハントンライス・金沢カレー、足を運ぶたび気になっていた喫茶店でコーヒーを飲み、行くたびにのぞいていた小さな町の本屋さんの終焉を確認した。
 
 21世紀美術館がメンテナンス中で入れなかった以外、心残りはなかった。ただ一つを除いては。
 やっぱり無理してでも一度は入ってみるべきではなかったか。中華料理店「チュー」に。
 
 金沢の街のあちこちで目に入った、店舗によっては「チュー」と言うより「チュ〜」に見えた気もするロゴ。その脱力した感じゆえに目を惹きもしたが、まあわざわざ入ることはないかな(何しろ他にも食べるべきものは沢山ある街だ)とスルーした、同店のことが次第に気になってきた。
 調べてみると、侮りがちな名前とは裏腹に金沢で最初の中華そば専門店」「石川県民のソウルフードなどの文字が踊る。チェーンではなく「のれん分け」による各店で、味は統一されてないというのも逆に面白い。一番人気が「ラーメンとチャーハン、それに隠れファンが多い餃子」というのも、かえって普通さが好いではないか。
・「【日本麺紀行】石川県民のソウルフードとも称される石川県限定ラーメンチェーン店「チュー」とは?(GOTRIP!)2019年」(外部サイトが開きます)
・「【わがまちの偉人】金沢 中華の「チュー」創業者 水野 忠(1912〜2004年)(中日新聞)2020年」(外部サイトが開きます)
 お前はラーメンと餃子・隠れ人気の餃子を食べに往復1万いくらかけて金沢に行きたいのか?と問われれば、まあ再訪したい・もっと言えばとにかく何処か遠くに行きたいための口実かも知れない。困った奴だ。

 しかし自分で「困った奴だ」と思う理由は、もうひとつある。自分が今になって「チュー」をスルーしたことを惜しがっているのは、新しく自分が「町中華」という言葉を知ったためではないか。
 これも調べたのだけど「町中華」なる言葉が世にあらわれた嚆矢は2015年・北尾トロ氏らの提唱によるものらしい。「B級グルメ」という言葉・分類からもこぼれ落ちがちだった「なんでもない中華」「ふつうの、昔ながらの、庶民向けな価格帯の中華」が、そういうのこそイイんだよとばかりに「町中華」と個別の名前を付与されることで、言うならば格が上がったのだ。
 あくまでも個人的な話で、世間全般の動きとは必ずしも連動していない。それが「町中華」と呼ばれるためにはプラスアルファ、こだわりのメニューだの酩酊だのが必要だ的な匂いがしなくもないけれど、「ふつうの中華」全体がイメージ的に底上げされた、それでいいじゃないですか。名前には、そんなチカラがある。

      *     *     *

 前々から気になっていた福岡伸一プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体説をめぐるミステリー』(講談社ブルーバックス、2005年)を、お茶の水で不定期に開催される「ソラシティ古本市」で手に入れた。『生物と無生物のあいだ』で一躍有名になる前の、ごく初期の著作だ。
 タイトルのとおり、世界的に受容されたプリオン説に異議を唱える内容だ。同説の分かりやすいまとめにもなっている。そもそも「その種」の病気として最も早く確認されたのは羊が罹患するスクレイピー。1950年代にヒトの症例としてニューギニアの風土病だったクールー病が着目され、そして狂牛病やクロイツフェルト・ヤコブ病の存在が明らかとなる。脳がスポンジ状になる、この奇病は感染症であるにも関わらず、細菌やウイルスといった病原体が発見されず、熱処理や抗ウィルス処理などを経ても感染力がなくならない謎の疾病だった。
 その病原体が、細菌やウイルスのように核酸(遺伝子)をもつ生物(ウイルスも一応生物としておきます)ではなく、変異するタンパク質「プリオン」だという新説を発表し、ノーベル賞に輝いたスタンリー・プルシナーを、著者は厳しく批判する。さまざまな反証により、プリオン説の不備を指摘し、またウィルス説は消え去ったわけではないと再実験・再審査を求める著者の批判の当否は、実は今でも明らかではない。
 このサイト日記的に興味ぶかいのは、上にあげたような「スクレイピーからクロイツフェルト・ヤコブ病まで共通する、細菌やウィルスではなく、どうやらタンパク質そのものが病原となっている…」といった(まだるっこしい)概念を「プリオン」という新語でまとめ、一気に通じやすくしたプルシナーの手腕だ。実はこのことにも著者は批判的で、すでに先達が各々積み上げてきた研究の成果にプルシナーは名前をつけただけだと手厳しい。もともと学者として出世すること・大金をつかみノーベル賞を獲得することが主目的で、そのステップになりそうだから(後に「プリオン」でまとめられる)疾病群に着目した、むしろマーケティングの才覚にすぐれた野心家としてプルシナーは描かれている。しかし、こうして書いてみると「プリオン」(プリオン説)という言葉の、ものごとをまとめる箱としての便利さは明らかでもある。
 前回の日記では「聞く力」「女性活躍」といった言葉が簒奪されることの危険性(ロクでもなさ)を書いたけど、やはり言葉はそれ自体が魔力とも呪力とも呼べる強いチカラを持っている。それは言うならば武器としてのチカラで、言葉や言語表現、表現を趣味として楽しみ、素敵なものとして愛でている者としては、あまり嬉しくない話でもあるのですが…

      *     *     *

 それまで名づけられず模糊としていたものにバシッと名前を与えることで、その概念を登録商標のように独占しマーケティング的な利益を得る者への反感は、たぶん自分の中にもある。
 「金沢に行きたい」と同じくらい時々しばしば襲ってくる妄念に「そうだ、京都行きたい」というのがあって(個人の話です)夏のあいだは黙っていたのだが、コロナ第7波がまさにピークに差し掛かろうという7月末、実は京都に行ってきた。
 いや、第7波が来るずっと前から予約していたのです、当地で開かれる『ブライアン・イーノ展』を。正直なところ京都に行くことよりも、神奈川県で暮らし毎日のように東京に通勤しているほうが感染リスクはずっと高い。だもんで前日にPCR検査を受け、陰性の結果を受けて京都に行き、仏像も見ず繁華街にも行かず、安全最優先で展覧会だけ観て帰ってきた。あ、いや食事はしましたが。
 「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することが出来るのです By allowing ourselves to let go of the world that we have to be part of every day, and to surrender to another kind of world, we're freeing ourselves to allow our imaginations to be inspired」BRIAN ENO
 そうまでして行った(このコロナ禍のコロナ下に遠出する口実にした)イーノ展、素敵でした。2016年のアルバム『THE SHIP』をBGMにしたインスタレーションでは(というか真っ暗な中で音楽を聴くだけというものでしたが)前にサイト日記で書いた「I'm Set Free」に浸ることが出来て嬉しかった。
 しかし。いや、堪能しましたよ。堪能したんだけれど、蛍光色を放つオブジェ(ほしい)や壁面いちめんに設置されたスクリーンが、アンビエント・ミュージックの流れる中、知覚できないくらいスローに色を変え、気がつくと移り変わっているというインスタレーション。いいなあ、こういう時間の流れかた、とくにコロナ以降は気忙しさとプレッシャーの中で忘れてたかも知れない…などと思いながら、その反面どうしても頭に浮かんでしまう言葉。そう、それは
アハ体験
イーノのインスタレーション
おのれ、茂木○一郎(敬称略)!
 …いや、テレビ番組で彼がショーアップして紹介していたのは、イーノのインスタレーションとは真逆の、変化をいかに速く見つけるかという時間に追われるゲームだったみたいだけれど。思えば氏の(あ、敬称がついた)「クオリア」も「プリオン」と同じマーケティングの匂いがしなくもないとは、近頃すっかり極右政権やカルト教団の擁護側に回った彼に対する意地悪な気持ちが生んだ錯覚だろうか。

 ちなみにイーノ展、暗い部屋を出たとたん癒やし…などと連れに言ってるヒトなども居て、いや、同行者とコミュニケーションを取らなきゃいかんのは分かるけど、そんな簡単に分かりやすいまとめ言葉に飛びついていいの?と思ったり…
 という話で終わると、なんだか残念な日記なので(くどいようだがイーノ展自体は好かった)余談。
 上に「展覧会だけ観て帰ってきた(食事はした)」と書いた食事の話。京都といえば駅から徒歩圏に新福菜館という漆黒の正油スープで有名なラーメン屋があって(あと同じように漆黒のヤキメシも美味い)があるのだけど、今回はそこも断念した。
 それくらい余裕のない中で、代わりに行った夕食は老舗の中華料理チェーン「ハマムラ」。広い意味での「町中華」で、ハマムラという片仮名が縦に並んで横顔になっているロゴ?トレードマーク?は知っていたけど、京都の大衆店とは知らなかった。ここの「からしそば」というのを食べてみたくて、ショッピングモールの中の店舗へ。
 美味しかったです「からしそば」。これにチャーハンと、画像には入ってないけど餃子もつけて、あれ?何処かで聞いたようなラインナップ…
炒飯、からしそば、マスクをした「ハマムラ」のロゴ
 なにしろ尋常でない暑さもあり、本当に展覧会と食事だけで宿に逃げ帰り、翌日には横浜に戻りの「遠出するためだけの遠出」でしたが、それでも切実な息抜きになる、そしてそんな息抜きも許されない人たちが沢山いる時期というか時代。誰もが気兼ねなく、遠い場所で羽を伸ばせる・あるいは「何もしない」ために時間をたっぷり使える世の中が早く戻るといいのですが。ハマムラの「からしそば」いいですよ←ようやく言えて肩の荷がおりた感じ(すみません、実は京都に行ってました…)。

(c)舞村そうじ/RIMLAND ←2211  2209→  記事一覧(+検索)  ホーム